1 名前:七波羅探題 ★:2026/04/24(金) 07:31:52.96 ID:1HBtkMf59.net DIAMOND, INC.4/22 大学進学は「努力すれば報われる公平な競争」だと考えられている。誰もが同じ条件で受験に臨み、その結果が進路を決める…そんなイメージを持っている人も多いだろう。だが、その前提は本当に成り立っているのだろうか。進学という選択の背後には、見えにくい差が存在している可能性がある。大学進学をめぐる「見えない不平等」の実態に迫る。 ●東京にある大学は 東北全体の約2倍 読者の皆さんが暮らす都道府県には、大学がいくつあるかご存じだろうか?図1からわかるように、日本の大学は、埼玉・千葉・東京・神奈川・愛知・京都・大阪・兵庫の三大都市圏に集中している(8都府県で全国の50.7%を占める)。大学数が多ければ、それだけ収容できる学生数も多くなる。 2024年度の18歳人口(推計)に対する大学収容力(*注1)が100%を超えているのは、東京154.9%、京都156.3%のみであり、それ以外の都道府県は100%を下回っている。そもそも、在住都道府県の大学へ「高校生全員」が進学することは不可能なのだ(*注2)。大学進学者のみに限定して改めて収容力を算出すると、収容力が100%を超えるのは宮城・東京・神奈川・石川・愛知・滋賀・京都・大阪・福岡となる。つまり、それ以外の道県では、必ず県外進学者が発生することになる。 余談だが、東北全体で54大学、九州・沖縄全体で79大学あるのに対し、東京23区内だけで102大学がある。東京在住であれば進学先として検討する大学が多すぎて悩むかもしれないが、東北や九州では検討できる大学が少ないことで悩むかもしれない。 大学数や収容力について簡単に触れたが、こうしたデータだけでも、「大学進学機会が平等である」と言い切ることが難しくなったのではないだろうか。本記事では、高校や家庭の影響力、「地方」における大学の存在感、「地方」で暮らすことに触れながら、大学進学という選択がさまざまな社会的条件に影響を受けることについて説明する。 (中略) ●大学受験という全国レースは 「同じ条件」で行われているか 先の中村高康が説明しているように、暫定的とはいえ学歴が「能力」の基準足りえるために、いくつかの条件が重要となる。 第1に、学歴獲得過程が広く開かれていることである。例えば、大学受験は高卒資格を有していて本人の「やる気」さえあれば、誰でも可能であると思われている。つまり、大学受験というレースに参加することは全員可能であり、参加するからにはレースの結果(合否やどの大学へ進学できるかなど)を受け入れることが求められる。 第2に、学歴獲得過程が能力測定手続きとして、社会にとって説得的であることが必要となる。日本では全員一斉実施による学力筆記試験を行うことが一般的であると考えられており(高校入試も大学入試もその形態は多様化しているが)、同じ問題を同じ時間に解答し、そのほかの一切の条件を考慮せず「平等」に実施する試験の結果は、皆が一斉に参加するレースのようなものである。 その象徴とも言えるのが、毎年1月に行われている「大学入学共通テスト」である。約50万人が受験する巨大なイベントだが、全国津々浦々の何百何千という会場において、全く同じ時間に同じ科目の試験が行われるよう制度設計されており、まさに「同じ条件」で試験が行われることが徹底されている(*注4)。皆が「同じ条件」のテストだからこそ、その結果の成否は受験者本人の「能力」をあらわしたものと考えられるのである。 しかし、近年さまざまな格差が教育には存在していることが注目を集めている。例えば、教育社会学者、松岡亮二の『教育格差』では、両親の学歴という「生まれ」が、その子の幼少期から大学進学に至るまで影響を与え続けていること、数多くの格差を生み出していることを指摘している。また、筆者も分担執筆した『現場で使える教育社会学』において、日下田岳史は親の経済状況が大学進学率に影響を与えることを指摘している。 要は個人の「努力」の背後にある社会的諸条件によって、教育達成や学業成績に影響を及ぼす社会に私たちは暮らしているのである。 ●高校入学の時点で 走るコースは決まっている 情報が溢れている現代社会であれば、大学が身近ではない地域であっても、インターネットやSNSなどのメディアから、大学という存在を知る機会は数多くあるだろう。また、「学びたい学問がある」や「将来就きたい仕事のため」といった本人の意思も重要である。 ただ、それらだけで自然と大学進学を目指すわけではない。大学進学を目指すよう方向づける社会的条件として、学校教育、特に高校のもつ影響力は大きい。 ※注、及び全文は出典先で 引用元:…