
1: muffin ★ 2026/05/09(土) 16:09:29 ID:sxH+nZsj9 新海誠と細田守の“作家性”はなぜ差が出た? オリジナルアニメ映画がSNS時代に直面する壁(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース この連載は、2016年を契機として、この10年に日本のアニメに起きた変化を追うことを主旨としている。連載1回目の前回は、日本の商業アニメには批評の層が薄く、本来的な意味での「作家」が成立しにくいこYahoo!ニュース 5/9(土) 12:31 今回は、その論点をこの10年を代表する2人のアニメ映画作家、新海誠と細田守の具体的な歩みを通じて深掘りしたい。 ともにオリジナル映画を発表し続け、ヒットメイカーとしてアニメ映画市場を牽引してきた2人だが、今その行き先は明暗が分かれ始めているようにも見える。 あらかじめ断っておくが、本稿は新海誠と細田守、どちらが優れた作家かを論じるものではない。 本稿の狙いは、2人の作家性がどう時代に適応しているのか、あるいは反目しやすいのかという時代との距離感を通じて、この10年がアニメ作家にとってどんな時代だったのかを明らかにすることだ。 (中略) ■一目でわかる新海、文脈を必要とする細田 まず、新海誠と細田守の映像的特徴とモチーフを比較し、作品をまたいで強く刻印される作家性を明らかにしてみよう。 新海誠の特徴は、非常にわかりやすい。 光あふれる美麗な風景描写、レンズフレアのようなカメラ効果を強調した映像美は、デビュー当初から定評があった。 『君の名は。』以降はそこに躍動感ある物語と音楽が加わり娯楽性が高まったが、ストロングポイントは失われていない。 新海の作風はほとんど一瞬で認識できる強固な視覚的インパクトを持つ。 かつて写真を新海作品風に加工する違法アプリが出回ったことがその証左だ。 モチーフの面でも一貫性は明快だ。 初期は男女のすれ違いと自然描写を重ね合わせ、『言の葉の庭』の雨、『秒速5センチメートル』の種子島のロケット発射といった風景に感情を託してきた。 『君の名は。』以降は悲劇を乗り越える運命的な邂逅が加わり、東日本大震災と向き合い、天災が風景を一変させ人に牙をむくモチーフが前景化した。 自然の美しさと暴力性を同時に描きながら映像を磨き続けるという軸は、キャリアを通じてぶれていない。 一方、細田守の映像的特徴は新海ほどわかりやすくない。 精緻なレイアウトの同ポジションのカットを繰り返す客観的なカメラが特徴で、カメラが固定されるがゆえに、ほんのわずかな差異が強調されやすい。 生活の何気ない変化を繊細に捉える。 長回しのショットが多いのも生活感を強調する。 同ポジションも長回しもそれ自体がすごいのではない。 繰り返したり、長く見せても観客を飽きさせないほどに完成度の高い構図と芝居が作れていることに細田のセンスがある。 描いてきたモチーフは一見多彩だ。 ネット社会(『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』『サマーウォーズ』『竜とそばかすの姫』)、時間と青春(『時をかける少女』)、家族のあり方(『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』『未来のミライ』)、そして最新作『果てしなきスカーレット』は氏と生の狭間を舞台に据えた。 (中略) 雑多なモチーフを選びながらも一貫性は強くあるが、選ばれる世界が多彩なのでその一貫性は新海に比べて伝わりにくく、人によっては迷走に映るかもしれない。 この可視化の困難さは、新海との決定的な違いだ。 新海の映像は一枚絵としてSNSでも拡散されやすく、ユーザーの生成の素材としても使いやすい。 一方、細田の映像とモチーフを理解するには、ある程度の文脈を必要とする。 短時間でどちらがより多くのアテンションをとれるかは明白だ。 続き・全文はソースをご覧ください…