
1: 少考さん ★ 2026/06/17(水) 13:28:58 ID:bReIH53Q9.net ※ FRIDAYデジタル 2時間前 田幸 和歌子 出版社が動いた異例の事態 ’26年5月15日、柏書房が一通の声明を自社サイトに掲げた。 《『こちら日本中学生新聞』著者・川中だいじ氏に対する誹謗中傷について》。 (中略) 前回取材したのは、彼が高校生になる前日の3月31日だった。 あれから2ヵ月あまり。 画面に現れた彼が話したのは、中傷そのものよりも、その奥にある問題——子どもへの差別と、いまの言論空間だった。 「子どもの権利条約に批准して32年経っても、子どもへの差別はなかなか注目されていません。 女性差別は光が当たってきましたが、子ども差別についてはそうではないんですよね」(川中さん・以下同) そう切り出した彼が問題の中心に据えるのは、「子どもらしさ」の押し付けだ。 「多くの大人が、無意識のうちに子どもを枠にはめようとしている。 大人にとって都合のいい子ども像を作っているなと感じます。 これはSNSだけの問題ではなく、日本社会全体の問題だと捉えています」 政治について投稿すると、〈操られている〉〈洗脳されている〉というコメントがつく。 なかには〈中国共産党の手先〉だと決めつける者もいるという。 ずいぶん想像力豊かなことだが、彼は意に介さず、こう反論する。 「子どもは野球やサッカーに夢中になるのが当たり前だと思われている。 でも僕は、たまたま政治にはまっただけなんです。 野球にはまる子、サッカーにはまる子がいるのと同じこと。 それを『大概の子どもはこうだろう』と枠にはめてくる。 大人だって、思い込みや理想で縛られたら嫌でしょう」 子どもが自分の意思で動いているとは考えない——その不信こそが、彼の言う「枠」の正体だ。 枠は、家庭のなかにもある。 「親が子どもを、無理やり部活に入れることがあるんです。 『水泳部か陸上部か、どっちか入りなさい』と。 本人が望んで入ったわけではないから苦労するし、やる気が出ないから顧問にも怒られる。 辞めるにも、親の許可がいる」 将来のためという親心が、いつしか「あなたはこうしなさい」に変わる。 「これも、『親心』の押し付けで、子どもの主体性が大切にされていないと感じます」 体罰のように目に見える差別は減っても、中身は形を変えて残っている、と彼は言う。 「子ども差別は、むしろ昔より広がったとさえ思います」 大人の「心配」は責任逃れ 同じ不信は、攻撃ではなく「心配」の顔をしてやってくることもある。 「最終的に責任を負うのは自分自身なのに、心配しているという体裁を取ってくるのは、ある意味、欺瞞だなと思います」 彼が挙げたのは、兵庫県の斎藤知事の記者会見を巡る経験だ。 「定例会見に出席したいと申請したときも、『誹謗中傷があるかもしれないから』と言われ、何かあっても責任は負います、という承諾書を兵庫県政記者クラブに書かされました。 それは主催者側が責任逃れをするためのものなのに、あたかも心配しているように言ってくるんです」 心から案じてくれる人との違いは、はっきりしているという。 「本当に心配してくれる方は、『最近こういう事件もあるから気をつけてね』と実体験として話してくれる。 でも押し付けてくる人は、『こういうことがあるから、こんな活動はしちゃダメだ』と言ってくる。 自由を奪うかどうかの違いです」 悪意のある中傷だけでなく、善意のかたちをとった介入もまた、子どもの自由を狭めていく。 差別反対と叫び排除する矛盾 彼の関心は、子どもへの差別だけにとどまらない。 「考え方が違う相手を受け入れない、違うからあいつはダメなんだ、という傾向が最近とても強い気がします。 同じイデオロギーだから正しい、というのは本当に危険なことだと思っています」 彼はこう続ける。 「『差別反対』と言いながら、いつの間にか自分たちも排除する側と似た態度をとってしまっている」 誰かを糾弾する側に立つと、自分が同じことをしているとは気づきにくい。 違う意見を切り捨てて回るSNS時代の言論空間で、15歳のこの指摘は核心を突く。 違いを受け入れる手がかりとして、直接民主制の導入の必要性を挙げる。 (後略) ※全文はソースで 〈操られてる〉中傷にも屈しない!15歳『日本中学生新聞』記者が語る「大人たちの欺瞞と子ども差別」 | FRIDAYデジタル「操られてる」…15歳の『日本中学生新聞』記者・川中だいじ氏へのネット中傷に対し、出版社が異例の声明を発表。彼が鋭く見抜く「大人たちの欺瞞」と、日本社会に根深く残る「子ども差別」の実態とは。FRIDAYデジタル…