
1: 匿名 2026/05/12(火) 07:21:25.26 ID:??? TID:ayukawa 今回は、以前から不思議に思っていた「言説」について書いてみたい。それは「売れなくなった芸能人・芸人は左傾化する」である。「売れない芸能人は左翼になる」という言い方もSNSやネットではよく見かける。芸能人が政治や社会問題について口にするとこうした言説が飛ぶ。 ※注 「右翼」「左翼」「保守」「リベラル」といった言葉の定義は簡単ではない。まして他人を断定するには慎重であるべきだと思うが、今回は論を進めるために便宜上そのまま使わせてもらう。 (略) まずおさらいをしよう。当コラムは新聞読み比べを中心にしているが、前回は沖縄・辺野古の転覆事故をめぐって「メディアは報じていない」、さらには「沖縄2紙は報じていない」という言説までネットで広がっていたことに注目した。実際に紙面を確認すると、琉球新報・沖縄タイムスはともに、事故原因や安全管理について厳しい論調で検証報道をしていた。 全国紙を読むと、際立っていたのは産経新聞の記事量だった。社説『辺野古沖で転覆「平和学習」はき違えるな』にもあるように、事故原因だけでなく、「平和学習」そのものへの批判、「イデオロギー」「思想」にも大きく比重を置いていた。つまり、「メディアは辺野古の転覆事故を報じていない」を言い直すなら、「なぜ他紙は産経新聞ほど“平和学習批判”をしないのか」という感覚がSNS上で増幅していたのではないか。そのうえで注目したのは、産経新聞が事故後に広がった当事者らへのデマや誹謗中傷については“スルー”していたことだ。辺野古報道読み比べの大きな気づきはそこにあった。 すると後日、産経ニュースに私への「反論」コラムが掲載された。 皆川氏のコラムを読んで驚いたのは、私(プチ鹿島)個人への人格的・職業的な揶揄が多かったことだ。 《しばらく見ないうちに、単なる「産経嫌い」になってしまったようだ。》 と冒頭に書き、ラストは、 《このままでは「新聞芸人」ではなく「赤旗芸人」などと呼ばれかねない。形だけでも、もう少しイデオロギー性は隠した方が仕事の幅は広がるのではないか。》 私が仕事が無いことに焦り、前回のようなコラムを書いた――そんな締め方なのである。これが新聞記者の文章だというから驚く。 特に気になったのは《形だけでも、もう少しイデオロギー性は隠した方が仕事の幅は広がる》という部分だ。これは裏を返せば、「そういう発言をすると仕事が狭まるぞ」という意味にも読める。あと、何としても「思想」の話へ持っていきたいようにも見えた。興味深いのは「しばらく見ないうちに」「仕事の幅」「焦って」といった、“落ち目”のイメージまで一緒に貼り付けられていることだ。「売れない芸能人は左翼になる」という言説は、こうして「誰だこいつ」感も印象付けながら作られていくのかもしれない。 注目は、私を「産経嫌い」と書いたあと、後半にこんなフレーズが出てくることだ。 《まるで、プチ氏の嫌いな「ネトウヨ」が、》 ギョッとした。私は前回のコラムで「ネトウヨ」という言葉は一度も使っていないからだ。日常生活でも「ネトウヨ」「パヨク」というスラングは使わないようにしている。相手を馬鹿にしているように思えるからだ。 しかし産経・皆川氏のコラムでは唐突に《プチ氏の嫌いな「ネトウヨ」》と出てきた。これは一体なんだろう? 事実に無いことを書いている。もしかしたら誰かに呼びかけているのだろうか。 いつの間にか、「ネトウヨを嫌う側の人」として話が進んでいる。そしてしまいには「赤旗芸人」というラベリングをされている。しかも《「赤旗芸人」などと呼ばれかねない》と自己の責任は回避しつつ巧妙に。なるほど、「売れない芸能人は左翼になる」という言説は、こうして形作られていくのかもしれない。今回それをかなり実感したのである。 ちなみに産経・皆川氏には仕事が減って焦っているように書かれた私だが、現在レギュラー番組3本、コラムは月に13本、本の出版はこの1年間で4冊、そこに単独ライブを各地で開催と、自分では忙しいつもりだった。だが暇なように思われてしまうことに反省しきりである。そういえば数年前に産経新聞から無料の仕事依頼があったが、忙しくて断ったこともあった。生意気だった。反省したい。 でもちゃんと言っておくと、もし仕事が無い状態だったとしても、おかしいことはおかしいと言ったり書いたりして何が悪いのだろうか。ましてや私の新聞読み比べは「おかしさ」だけでなく、「可笑しみ」も含めた人間への興味も書いているつもりだ。 産経・皆川氏の私への「反論」コラムには、《被害者や遺族に対する思いが書かれた部分は一切ない》とあった。驚いた。 続きはこちら >>…