広島は6日、80回目の原爆の日を迎えました。広島市の平和公園で午前8時から行われた平和記念式典には、被爆者や遺族の代表をはじめ、石破総理のほか、過去最多となる120の国と地域の大使などを含むおよそ5万5000人が参列しました。原爆により広島は壊滅的な被害を受け、「75年は草木も生えない」と言われていた中で、広島の人たちの強さを示すエピソードが、海外のインターネット上でたびたび話題になっています。1945年8月6日、市民の足として機能していた広島電鉄も、変電所の大半が甚大な被害を受け、車両の多くが大破。無傷だった車両は、当時保有していた123両のうち、故障していたものを除くとわずか3両でした。そのような状況下でも、わずか3日で市内線の一部が復旧。さらに、2度の大型台風にも襲われながら、大動脈でもある広島駅までの路線が10月に復旧しています。戦前に年間5000万人以上だった路面電車の利用客は、原爆投下の翌年に2380万人程度まで激減していましたが、1949年には戦前に近い水準にまで回復しました。そして、「被爆電車」として知られる650形の2両が、主に朝のラッシュ時に、現在も運行されており、「復興のシンボル」の1つとなっています。被爆電車の物語は、以前にBBCも、「わずか3日で復旧させた」と驚きをもって伝えているのですが、多くの外国人にとっても、驚嘆に値する歴史だったようでした。寄せられていた反応をまとめましたので、ご覧ください。「日本が復活出来たわけだ」 広島市民の気高い精神性に海外から称賛の声…