山に置き忘れたものは、たいてい持ち主のところに戻ってこない。ただし、その置き忘れたものが原子力電池で動く監視装置で、置き忘れた場所が世界有数の難峰の山頂近くだったとしたら、話はまるで別の重さを持ちはじめる。1965年、アメリカとインドが本当にそれをやってしまい、装置は今も見つかっていない。 ※注:CIA(中央情報局)はアメリカの対外情報機関。インド情報局(Intelligence Bureau)はインドの国内情報機関で、当時は対外的な情報活動もあわせて担っていた。インドが対外専門の情報機関R&AW(調査分析局)を分離するのは1968年のことになる。 今日の知ってた? 🏔️ 1965年、CIAとインド情報局は、中国の核開発を監視するための装置をヒマラヤのナンダ・デヴィ山に設置しようとした。電源はプルトニウムを使った原子力電池で、装置一式の重さは約123ポンド(およそ56キロ)。猛吹雪で登頂を断念した隊は、重い装置を担いで下りることをあきらめ、山に置いたまま撤退した。翌年戻ると、装置は跡形もなく消えていた。1966年から1968年にかけての回収作戦はすべて失敗し、60年たった今も所在は不明のままである。 背景:冷戦下の「山の上から中国を見る」という発想 きっかけは1964年10月の中国初の核実験だった。中国が新疆ウイグル自治区のロプノール実験場※で最初の核実験に成功したことで、アメリカは中国の核・ミサイル開発の実態をどうにかして把握したいと考えるようになる。当時はまだ偵察衛星が実用化の途上にあり、内陸奥地で何が行われているかを継続的に知る手段が乏しかった。 ※ ロプノール:中国北西部・新疆ウイグル自治区にある湖の跡地で、1964年から核実験場として使われた。中国初の核実験は1964年10月16日に実施された。 そこで出てきたのが「ヒマラヤに機械を置く」案だった。アメリカ空軍参謀総長のカーチス・ルメイが、ナショナルジオグラフィックの写真家で登山家でもあったバリー・ビショップから、ヒマラヤの山頂から見える途方もない眺望の話を聞いたことが発端とされる。あれほど高い場所に受信機を据えれば、中国側のミサイル実験の電波信号を拾えるのではないか——こうしてCIAは、インド情報局と組んで「高高度試験作戦(Operation High Altitude Test)」を立ち上げた。 インド側にも乗る理由があった。1962年の中印国境紛争でインドは大きな痛手を負い、中国を最大の安全保障上の脅威と見るようになっていた。表向きは東西どちらの陣営にも与しない非同盟政策を掲げていたインドが、アメリカの情報機関と手を組んだ背景にはこの事情がある。 もう少し詳しく 標的はナンダ・デヴィ※だった。インド北部ウッタラカンド州にそびえる標高7,816メートルの山で、これは富士山(3,776メートル)を2つ積み上げてもまだ264メートル足りない高さにあたる。元の話では装置を運び上げた場所が「およそ26,000フィート地点」とされるが、ナンダ・デヴィの標高そのものが約25,600フィート(7,816メートル)なので、この数字は山の高さに寄せたおおまかな言い方と受け取ったほうがいい。確かなのは、隊が山頂のすぐ手前まで装置を担ぎ上げたところで力尽きた、ということである。 ※ ナンダ・デヴィ:ヒンドゥー教の女神ナンダにちなむ名で、地元では古くから聖なる山とされてきた。周辺は現在ナンダ・デヴィ国立公園として保護され、中心部への立ち入りは厳しく制限されている。 運び上げようとしたのは、プルトニウムで動く発電機を積んだ受信装置だった。SNAP-19Cと呼ばれる原子力電池※を使った機材で、極寒の高所に何年も置きっぱなしにしても電力を供給し続けられる。普通の電池では真冬のヒマラヤで数日ももたないため、無人で長期間動かすにはこれしか選択肢がなかった。 ※ 原子力電池(RTG=放射性同位体熱電気転換器):放射性物質が崩壊するときに出る熱を、そのまま電気に変える装置。可動部がなく、燃料の補給も日光も要らないため、深宇宙探査機や無人の観測拠点で使われてきた。核分裂で動く原子炉とは仕組みがまったく違い、爆発するものではない。 隊はインド海軍の登山家マンモハン・シン・コーリが率いた。米印の混成隊で、事前にアラスカのマッキンリー山(現在のデナリ)で合同訓練を積んでいる。ところが現地入りしたのは登山シーズンの終わり際で、深いクレバス、いつ崩れるか分からない雪の橋、高山病、そして吹雪と、条件は日を追うごとに悪くなっていった。 そして、装置は山に置かれた。山頂を目前にして天候が崩れ、隊は登頂を断念する。56キロの機材を吹雪の中で担ぎ下ろすのは危険すぎたため、条件が良くなったら取りに戻る前提で、装置は岩場に固定して残された。ところが翌1966年に隊が同じ場所へ行くと、そこには何もなかった。1968年までに複数回の捜索が行われたが、装置はどこからも出てこなかった。 問題は、失った機材の値段ではなかった。ナンダ・デヴィはヒマラヤの分水嶺の一部で、この山に降った雪はやがて川となり、ガンジス川※の水系へと流れ込む。雪崩や落石で容器が壊れれば、放射性物質が水系に入るのではないか——インド政府が本当に恐れたのはそこだった。地上と航空機による大規模な捜索が繰り返され、周辺の水質検査も長年続けられたが、放射能汚染の証拠は見つかっていないとされる。1970年ごろには「雪崩の下に埋もれたか、クレバスの奥に落ち込んだのだろう」という見方が有力になった。 ※ ガンジス川の水源地帯:ガンジス川はヒマラヤの氷河を源とし、インド北部の広い範囲で飲み水と農業用水をまかなっている。ヒンドゥー教では聖なる川とされ、生活と信仰の両面で特別な位置を占める。 作戦そのものは、この失敗で終わらなかった。1967年には隣のナンダ・コート山の山頂近くに2台目の装置が設置され、数か月動いたのち1968年に無事回収されている。1969年には「ジェミニ作戦」としてラダックとアルナーチャル・プラデーシュにも観測機材が置かれたが、こちらの電源はガスと太陽光で、プルトニウムは使われなかった。 すべてが表に出たのは1978年である。ジャーナリストのハワード・コーンが雑誌記事で作戦の存在を暴き、インドとアメリカの双方で大きな騒ぎになった。記事にはインド側のどの機関が動いたかなど不正確な点も含まれていたが、注目すべきはその後の対応で、当時のモラルジー・デサイ首相は議会でこの作戦を公に認めた。インド政府が承認した合同作戦であること、原子力電池を積んだ装置が1台ナンダ・デヴィで失われたことを、首相自身が説明したのである。インドが「CIAに勝手に使われた被害者」ではなく、自ら選んで加わった当事者だったことが、これではっきりした。 皮肉なのは、その後の展開だった。1970年代初頭には偵察衛星の性能が上がり、危険な山の上に人力で機械を担ぎ上げる必要そのものが薄れていく。命がけの登山を何度も繰り返させた技術的な必然は、10年もたたずに消えた。そして装置だけが、今もナンダ・デヴィのどこかに残っている。 海外の反応 1. 海外の名無しさん これは映画にするべき話でしょ。冷戦、ヒマラヤ、原子力電池、消えた機材、全部そろってる。しかも実話というのが一番強い。脚本家が何も足さなくていいタイプの素材だと思う。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 映画はまだだけど本ならある。ピート・タケダの『Eye on Top of the World』が詳しい。作戦の経緯だけじゃなくて、著者自身が現地に入って放射線を測って回るところまで書いてあるのがいい。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) その著者、まさか山で装置を見つけて自宅に持ち帰り、以後一生電気代を払わなくてよくなった人ではないよね。もしそうならタイトルの意味がだいぶ変わってくるんだけど。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) いや、そこまで大きな話にはしてない。朝のトーストを焼くのに使ってるだけ。世界一高くついたトースターとして静かに暮らしているらしい。 5. 海外の名無しさん 電源は原子力電池、いわゆるRTGだよね。実は行方が分からなくなったRTGって、旧ソ連が残したものだけでもかなりの数がある。ヒマラヤの1台だけが特別に迷子なわけじゃないというのが、なかなか落ち着かない話だ。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) それについてはIAEAが回収作業の報告書を出していて、1,000台以上あったうち最後の3台を除いてほぼ回収済み、というところまで進んでいたはず。写真や地図も載っていて、壊れた状態の線源を扱う難しさがよく分かる。 7. 海外の名無しさん ソ連が各地の無人灯台や無線標識に置いていったRTGの話がまさにそれで、住民には何の説明もなかった。冬に温かい金属の箱が転がっていれば、そりゃ持ち帰って小屋の暖房に使う人が出てくる。「魔法のヒーター」と呼ばれていたと聞いて、笑えなくなった。 8. 海外の名無しさん 積まれていたプルトニウム238は1.2キロほどだったという話を見た。数字だけ聞くと少なく感じるけど、それが所在不明のまま氷河の中にあると考えると、量の問題ではないという気がしてくる。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) 補足すると、プルトニウム238は核爆弾の材料にはならないし、いわゆる汚い爆弾にも向かない。出すのは主にアルファ線で、容器の中にある限り外への影響は小さい。だから「誰かが軍事目的で盗んだ」という筋書きはかなり考えにくいと思う。 10. 海外の名無しさん 純粋に、隠した場所を本当に見失っただけなのか、それとも隊か組織の誰かが横流ししたのか、どっちなんだろう。冷戦期の話だと後者を疑いたくなるけど、山の上でそれをやる手間を考えると現実的ではない気もする。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) 今の有力な見方は、強風と雪と氷河の動きで機材そのものが移動した、というもの。実際、部品の一部と思われるものは年月をかけて何度か見つかっている。山が装置をゆっくり運んで、どこかへしまい込んだという感じらしい。 12. 海外の名無しさん 現場の会話を想像してしまった。「うわ、クレバスに落とした」「……よし、安全な場所に保管したことにしよう」。報告書の『キャッシュした』という一語には、かなりの含みがあるのかもしれない。 13. 海外の名無しさん こういうのは業界では「オーファンソース」と呼ばれる。管理の手を離れてしまった放射線源のことで、工事現場の計測器や医療機器の線源が行方不明になる事例が世界中にある。専用の呼び名があるくらい、珍しくない問題だというのが怖いところ。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) 恥ずかしながら「出典が書かれていない」という意味の言い回しかと思っていた。調べ始めたら関連項目をたどり続けて、気づいたら全然関係ない分野の記事を読んでいた。今日はもう戻れない。 15. 海外の名無しさん ついでに言うと「ブロークン・アロー」は核兵器そのものを失った事故を指す用語で、今回のような発電装置には使わない。似た話に見えて、扱いも呼び名も別々に決まっているのが逆に生々しい。 16. 海外の名無しさん 面白いのは、この数年後にアメリカがインド自身の核開発には強硬に反対したこと。インドは砂漠の実験場で研究を進めて、昼間は覆いをかけて偵察衛星の目から隠していたという。同じ相手と山の上では組んでいたのに、と考えると味わい深い。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) アメリカはごく近い同盟国以外の核武装には基本的に全部反対していたから、インドだけが特別扱いされたわけではないんだよね。情報協力と核不拡散は完全に別の帳簿でつけていた、ということだと思う。 18. 海外の名無しさん 非同盟を掲げていたインドがCIAと組んだ、という部分が一番意外だった。ただ1962年の国境紛争のあとだと考えると腑に落ちる。理念より先に、国境の向こうで何が起きているか知りたいという実務が来たということなんだろう。 19. 海外の名無しさん 一番切ないのは、これだけ危険を冒した数年後に偵察衛星が実用段階に入って、山の上の装置がまるごと要らなくなったこと。命をかけた登山が、技術の進歩で静かに無意味になっていくのは冷戦期の話にわりとよくある。 20. 海外の名無しさん ナンダ・デヴィは地元では聖なる山で、今は保護区として立ち入りが厳しく制限されている。つまり回収したくても、そもそも人がほとんど入れない。信仰と国立公園と冷戦の落とし物が同じ場所で重なっているのが、なんとも言えない。 21. 海外の名無しさん 1978年に報道で表沙汰になったあと、首相が議会で作戦を認めたというのが個人的に一番驚いた。この手の話は普通、最後まで「そのような事実はない」で押し通されるものだと思っていた。認めたことで騒ぎが早く収まったというのも皮肉が効いている。 22. 海外の名無しさん ガンジス川の水源にあたる場所に原子力電池が置き去りになっている、という一文の重さがすごい。水質検査では何も検出されていないというから、いま慌てる話ではないんだろう。それでも「たぶん雪崩の下」で60年止まっているというのは、落とし物としてスケールが大きすぎる。 まとめ 1965年、CIAとインド情報局は中国の核開発を監視するため、プルトニウムを電源とする装置をナンダ・デヴィの山頂近くまで運び上げようとした。吹雪で断念して山に残した装置は翌年には消えており、1968年までの回収作戦もすべて失敗して、60年たった今も見つかっていない。ガンジス川の水源地帯に放射性物質が残されている可能性はインド国内で長く議論されてきたが、繰り返された水質検査では汚染は確認されていないとされ、装置は雪崩かクレバスの奥に埋もれたというのが有力な見方である。コメント欄はスパイ映画のような筋立てに沸きつつ、旧ソ連が各地に残したRTGの話や「オーファンソース」という業界用語の話へ広がり、最後は「たった1.2キロでも、行方が分からないというのが落ち着かない」という静かな感想に落ち着いていた。 元ソース: 1965年、CIAとインド情報局が中国の核開発を監視するため、プルトニウムで動く監視装置をナンダ・デヴィ山の標高約26,000フィート地点に設置しようとした。吹雪で断念して残置し、戻ったら消えていた The post 「猛吹雪で山に置いてきた核電池が、翌年には消えていた」1965年ヒマラヤ、CIAとインドの共同作戦…今も見つかっていない appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…