1: 朝一から閉店までφ ★ 2025/09/04(木) 17:07:46.63 ID:??? TID:syoubainin 遠藤誉 中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士 9/3(水) 14:13 9月1日のコラムで<台湾で機密解除 抗日戦争戦場での手書き極秘報告集が暴く「中共軍と日本軍の生々しい共謀」記録発見>と書いたが、この機密解除された同じ記録から、抗日戦争中、中共軍は日本軍と水面下で「不可侵条約」を結んでいたことが判明した。記録の時期は1940年12月。 また、7月10日のコラム<習近平、BRICS欠席して抗日戦争「七七事変」を重視 百団大戦跡地訪問し「日本軍との共謀」否定か>で、毛沢東が上海にある日本の外務省管轄の岩井公館に潜り込ませたスパイ藩漢年に 「華北一帯における中共軍と日本軍との停戦」を依頼していたことを証拠物件となる図表付きで示した。それを証明するかのように、台湾の軍事機密資料の中の一つには「江蘇省一帯における中共軍と日本軍の間の不可侵条約が結ばれていた」ことが記録されている。 ふしぎなのは、その現象の一つとして「中共軍が日本軍の代わりに綿花を購入運搬し、その見返りに日本軍から弾薬を贈ってもらった」と書いてあることだ。 なぜ――? 当時、日本軍は軍需製品の一つとして中国の農家に強制的に綿花を作らせ、華中の生産量の92%を日本が購入していた。それなのになぜ日本軍が自分で購入運搬しないで中共軍に購入運搬させたのか? 唯一考えられるのは、中共軍が「見返りの弾薬が欲しいために、積極的に日本軍の手伝いをすることを申し出た」ことだ。岩井公館における藩漢年のスパイ行動から見ると、そういうことしか考えられない。 悩みに悩んだ末に、遂に見つけた。 今年5月に中国政府のシンクタンク中国社会科学院の研究者が、「1940年初頭、蒋介石が中共軍への弾薬配給を停止したために、中共軍は激しい弾薬不足に追い込まれていたこと」を書いている論考を発見したのである。 理由は「国共合作をしているのに、あまりに中共軍が国民党軍を攻撃ばかりしてくるから、蒋介石が激怒したから」だが、その事には論考は触れていない。中国政府側の論考なので、言えないだろう。 しかし国民党側の軍事機密記録には、「中共軍が日本軍とは戦わずに日本軍と結託ばかりして、国民党軍への攻撃に集中している」事実が、至るところに書いてある。 蒋介石としては「自分を攻撃させるために中共軍に弾薬を配給する」というようなバカげたことを続けられるわけがないと判断せざるを得ない。 ◆【1248号】文献:民国29年(西暦1940年)12月17日(12月18日11:05審査) 引用元: ・ スポンサーリンク スポンサーリンク 2: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:10:07.16 ID:A98Nx 知ってた 3: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:10:58.42 ID:TC00x 抗日戦争って言うけどさ 清の皇帝も欧米ではなく日本に助けを求めてきたわけで 日本は清国を守るために中国国内の反乱勢力と戦ったんだよ 中国にとどめ刺したのは日本ではなく、中国人自身 4: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:14:53.60 ID:SG5iW >>3 孫文「おまえの時系列めちゃくちゃ」 7: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:21:20.25 ID:Ls1Nz 単なるホロコーストだったってわけ 9: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:25:26.08 ID:ZbPYM デタラメふざけんな 11: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:30:17.78 ID:koCoi とうとう出たね 12: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:31:13.56 ID:5SBG0 戦前に水面下でつながっていたから今でも日本に親中共派の政治家が多くいて 天安門からのー国際社会への復帰に陛下訪中するアシスト満点の外交していたわけか 13: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:32:44.38 ID:AJ5v7 当時の紅軍はドイツ式の国民党軍から武器弾薬を受け取っていたため、日本軍の弾薬を受け取っても使えない >>1943 年から米製兵器・弾薬に更新した部隊が出るようになった つまり、国民党軍が遺棄残置した弾薬を日本軍が鹵獲して、それを紅軍へ綿花の代金として渡していたことになる 14: 名無しさん 2025/09/04(木) 17:35:36.93 ID:olnXf 毛沢東あわせても5人だっけ?少くね?何で? スポンサーリンク スポンサーリンク スポンサーリンク…