信者がいま世界に3人しかいない宗派がある。しかもその3人目は、去年になって新しく加わった人だ。減り続けてきた集団がひさしぶりに一人増えた、という話なのだが、この宗派には人数が増えにくい理由がはっきりとひとつある。生涯にわたって結婚も性的な関係も持たない、という戒律を全員が守っているのである。 ※注:「シェーカー(Shakers)」は通称で、正式名称は長く、日本語では「キリスト再臨信徒連合会」などと訳される。礼拝のときに体を震わせながら踊り、歌う様子を見た外の人がそう呼びはじめ、それがそのまま定着した。 今日の知ってた? 🪑 18世紀後半に生まれ、最盛期にはおよそ4000人の信者を抱えたシェーカー教は、いま活動している共同体が世界にひとつ、信者は3人しかいない。その3人目が加わったのが去年のことである。人数が減った理由ははっきりしていて、彼らの中心的な戒律のひとつが「生涯を通じて結婚せず、性的な関係も持たない」というものだからだ。つまり信仰は子どもに受け継がれない。増えるには、外から大人が入ってくるしかない。なお、家具好きなら名前を聞いたことがあるはずの「シェーカー様式」は、この人たちが作り上げたものである。 背景:シェーカー教とはどんな信仰か 始まりは18世紀のイギリスにある。クエーカーの流れをくむ小さな集まりから枝分かれし、アン・リーという女性が指導者になった。彼女は1774年、十人に満たない仲間とともにアメリカへ渡り、ニューヨーク州のオールバニ近郊に落ち着く。信者たちは彼女を、キリストの再来が女性の姿で現れたものとして受け止めていた。神には父としての面と母としての面の両方がある、という考え方が、この宗派の根にある。 そこからの広がり方は、思ったより早い。19世紀のなかばには、ニューイングランドからニューヨーク、オハイオ、ケンタッキー、インディアナにかけて20近い共同体ができ、信者は合わせておよそ4000人にのぼった。財産は個人のものではなく共同体のもので、暮らしはすべて共有される。労働は信仰の一部と見なされ、手を抜いて作ったものは信仰の面でも手抜きだ、という感覚があった。武器を持つことは拒み、戦争にも加わらない。 当時としては、驚くほど平等な集団でもあった。指導者は男女が対になって立つ仕組みで、女性が実際の決定権を持っていた。19世紀のアメリカで女性が財産と共同体の運営を任されるというのは、まったく普通のことではない。元のスレッドでも「いろいろな面でかなり開けた考え方をしていた宗派だ」という指摘が出ていたが、それは大げさな評価ではない。 ただし、性についてだけは徹底していた。結婚の内側にあるものも含めて、性行為はすべて罪だと考えられていた。夫婦で入信した場合も、共同体の中では兄弟姉妹として暮らすことになる。男女は同じ建物で生活しながら、階段も出入口も別に作られていた。この点に例外を設けなかったことが、そのまま人数の話につながっていく。 もう少し詳しく 信者が増える経路は、もともと二つしかなかった。ひとつは大人の入信者。もうひとつは、共同体が引き取って育てた子どもたちである。孤児や、事情があって親元にいられない子どもを預かり、共同体の中で育てる。その子が成人したときに、信仰の誓約に署名して残るか、外の世界へ出ていくかを自分で選ぶ。残ることを選んだ人が、次の世代の信者になった。 20世紀に入ると、この二つ目の入口が閉じていく。子どもを預かって育てるという役割は、少しずつ公的な福祉と養子縁組の制度に置き換わっていった。宗教共同体が子どもを引き取って労働をともにする形は、法律の上でも社会通念の上でも成り立たなくなる。ここで人数の減り方が急になった。元のスレッドでも「子どもを信仰の中で育てられなくなった集団は、そのうち自然に消える」という言い方で、この点を指摘するコメントに賛同が集まっていた。 1960年代なかばには、中央の指導部が「これ以上、新しい信者を受け入れない」と決めている。高齢の信者しか残っておらず、共同体を維持できる見込みが立たない以上、静かに終わらせるほうがいい、という判断だった。ただし、これに従わなかった共同体がひとつある。メイン州ニューグロスターのサバスデイ・レイクである。ここは受け入れを続ける立場を取り、そのまま今日まで残った。いま「最後のシェーカー教徒の共同体」と呼ばれているのが、この場所だ。 もうひとつ、コメント欄で出ていた話がある。「独身制のせいで新しい信者が集まらなかった、という説明はずれている。本当に効いたのは、自分の子どもを信仰の中で育てられないことのほうだ」というものだ。育った環境と関係のない宗教に大人になってから入る人はもともと少なく、入る場合も結婚がきっかけになることが多い——という指摘である。これに対して「つまりそれは独身制のせいでは」という一行が返って、そのやりとりに票が集まっていた。どちらの言い分も、指している事実は同じところにある。 彼らが残した椅子と木箱 シェーカー様式、という言葉のほうが先に耳になじんでいる人は多いと思う。装飾を一切足さない作り、細く削られた脚、はしごのような背もたれの椅子。側面の重ね目が細い指のような形に切られている楕円形の木箱。壁をぐるりと一周する木の桟に、使わないときの椅子や道具を掛けておく仕組み。床を掃くときに邪魔なものを全部持ち上げてしまえる、という発想である。どれも見た目のために選ばれた形ではなく、掃除がしやすい、壊れにくい、余計な手間がかからない、という理由から生まれている。 結果として、それが現代のデザインの直接の先祖のように扱われるようになった。いま家具店で「シェーカースタイル」として売られている椅子は、当然ながら本人たちが作ったものではない。彼らが編み出した技法と道具の系譜を引く職人が作っている。作り手の名前ではなく、作り方の名前として残ったわけだ。信者が3人になっても様式のほうは世界じゅうの家具店に並んでいる、というのは、なかなか例のない残り方だと思う。 ものづくりの話はほかにもある。アメリカで、野菜や花の種を紙の小袋に詰めて売るという商売を最初に始めたのはシェーカー教徒だとされる。平らな形の箒を広めたのも彼らだと言われている。丸のこぎりを考案したのは共同体の女性だ、という言い伝えもあるが、こちらは確かなこととは言えない。共通しているのは、暮らしの中で毎日使うものを、少しずつ使いやすく作り直していく方向に手が向いていることだ。 音楽も残った。「シンプル・ギフツ」という曲は、日本でも耳にする機会がある。1848年にメイン州の共同体で作られたシェーカー教徒の歌で、後にアーロン・コープランドが『アパラチアの春』の中で使ったことで一気に知られるようになった。「単純であることは贈り物、自由であることは贈り物」という大意の、短い歌である。彼らがよく口にしたとされる言葉に「手は仕事に、心は神に」というものがあるが、家具も箒も歌も、たしかにその一言の延長線上に並んでいる。 いま見に行ける場所 共同体そのものは消えても、建物はかなりの数が残っている。ケンタッキー州のプレザントヒル、マサチューセッツ州西部のハンコック・シェーカー村などは、当時の集落がまとまった形で保存されていて、見学できる。ハンコックには円形の石造りの牛舎があり、牛を円周に沿って内向きに並べ、一人が中央から餌をやれば全部に手が届く、という考えでその形になっている。ニューハンプシャー州やニューヨーク州にも、規模の小さい保存地がいくつかある。 共通しているのは、飾りが何もないのに空間として気持ちがいい、という点らしい。窓の位置、天井の高さ、階段の傾き、壁の桟。必要なものしか置かない、という方針を暮らしの隅々まで徹底していくと、こういう形になるということなのだと思う。 海外の反応 1. 海外の名無しさん この投稿がたくさんの人の目に触れたら、それだけで人数が倍になったりしないだろうか。いま3人なんだから、3人入信すればもう倍だ。宗教の歴史の中でいちばん達成しやすい倍増だと思う。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 入信の条件が生涯独身? こちらとしては何ひとつ問題がない。今の生活と変わるところが見当たらないので、明日からでも始められる。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) それが自分で選んだ状態なのか、そうなってしまっただけなのかで、話はだいぶ変わってくると思う。向こうとしても「別に困っていないので」という理由で来られると、扱いに困るのではないだろうか。 4. 海外の名無しさん じゃあ世の中に出回っているシェーカー家具は、いったい誰が作っているんだ。家具屋に行けば普通に「シェーカースタイル」と書かれた椅子が並んでいるんだが。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 冗談で言っているのはわかるけど、あれが「シェーカー」と呼ばれるのは、彼らが家具作りの技法や道具をいくつも生み出して、それを今の職人がそのまま受け継いで使っているからだよ。作り手の名前ではなく、作り方の名前として残ったということ。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) つまり正確には「シェーカー様式の家具」なわけか。うちのやつは本物じゃなかったのかと一瞬思ったけど、その理屈でいくと、いま本物を作れる人は世界に3人しかいないことになる。それはさすがに手に入らない。 7. 海外の名無しさん かなり珍しい成り立ちの宗派で、男女の平等については当時としてよほど先を行っていた。指導者も男女が対になって立つ形だったらしい。そのうえで、結婚の中のものも含めて性行為はすべて罪だと考えていた。組み合わせが独特すぎる。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) 誰にも例外を認めない、というのは一応筋が通っている。既婚者だけは許すという形にしていたら、そこから確実に崩れていっただろうな、というのは想像がつく。 9. 海外の名無しさん 独身制のせいで新しい信者が集まらなかった、という説明は少しずれている気がする。実際に効いたのは、自分たちの子どもを信仰の中で育てられないことのほうだ。育った環境と無関係な宗教に大人になってから入る人はほとんどいないし、入る場合もたいてい結婚がきっかけになる。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) つまりそれは、独身制のせいで新しい信者が集まらなかったということでは。 11. 海外の名無しさん というわけでシェーカー教は、増加率で見れば世界一の成長を遂げている宗教ということになる。2人から3人なので50パーセント増。この伸び率を維持できている宗派は他にひとつもない。 12. 海外の名無しさん ケンタッキーに、当時のまま保存されていて見学できる集落がある。行ってきたけど建物が本当によかった。飾りが何ひとつないのに、窓の位置と天井の高さだけで気持ちよくなる空間というのがあるんだな。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) マサチューセッツ州の西部からニューヨーク州にかけても、いくつか残っているよ。ハンコック・シェーカー村はかなり大きな施設で、円形の石造りの牛舎が有名。近くには規模の小さい保存地も点在している。 14. 海外の名無しさん 世界の終わりが自分の生きているうちに来ると本気で信じているなら、子どもを持つ意味はない。新約聖書の手紙の中にも、似た理屈が書かれている箇所がある。要するに、残された時間の使い道をどう考えるかという問題なんだと思う。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 終末を待つための思想としては、まったく筋が通っているんだよな。ただ、終末が来なかった場合に集団を長く保つほうの設計がどこにもない。何百年も外れ続けたときにどうするかを、たぶん誰も考えていない。 16. 海外の名無しさん 子どもを信仰の中で育てられない集団は、放っておいても自然に消えていく。しかも20世紀に入ると、孤児を引き取って育てるという入口のほうも、制度が変わって使えなくなった。そこから人数の減り方が一気に急になっている。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 大人を説得するより子どもを育てるほうが簡単、というのは身も蓋もない話だけれど、たぶん本当のことだと思う。規模の大きい宗教はどこもそこに支えられている。 18. 海外の名無しさん 独身制だけじゃなくて、こちらから積極的に勧誘はしないという方針もあると聞いた。だとすると、人数が増えない要因を二つ同時に抱えていることになる。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) 今の共同体が静かなのはその通りだけど、歴史的にはかなり熱心に伝道していた時期があるよ。19世紀の初めに信仰復興の波が来たとき、それに合わせて西へ人を送り、ケンタッキーやオハイオに新しい共同体を作っている。最盛期の4000人は、そうやって集めた人数だ。 20. 海外の名無しさん グノーシス派を思い出す話だな。あちらは、人間の魂は肉体に閉じ込められて苦しんでいて、その苦しみを旧約の神が糧にしている、だから新しい子どもをこの世に送り出すべきではない、という理屈だった。出発点はまるで違うのに、結論の形だけがよく似ている。 21. 海外の名無しさん 音楽の話をすると、「シンプル・ギフツ」という有名な曲はもともとシェーカー教徒の歌だ。1848年にメイン州の共同体で作られたもので、後にアーロン・コープランドが『アパラチアの春』の中で使ったことで広く知られるようになった。人は減っても歌のほうは残った。 22. 海外の名無しさん(>>21への返信) 彼らがよく口にしたとされる言葉に「手は仕事に、心は神に」というのがある。歌も家具も箒も、全部その一言の延長線上に並んでいると考えると、なんとなく腑に落ちるものがある。 23. 海外の名無しさん アン・リーを題材にした『The Testament of Ann Lee』というミュージカル映画がある。かなり変わった作品なんだけど、これがよかった。歌と踊りが延々と続く、彼らの礼拝を大げさにした感じの映像で、妙に引き込まれる美しさがある。 24. 海外の名無しさん 消えていく側の話のはずなのに、読んでいて暗い気持ちにならないのが不思議だ。人は減ったけれど、椅子も木箱も歌も残っていて、しかもそれを今でも誰かが日常的に使い続けている。残り方としては、そんなに悪くない。 まとめ 18世紀後半にイギリスで生まれ、アメリカで最盛期およそ4000人まで広がったシェーカー教は、いま活動している共同体が世界にひとつ、信者は3人。その3人目が加わったのが去年のことだった。人数が減った理由は明快で、生涯にわたって結婚も性的な関係も持たないという戒律のため、信仰が子どもに受け継がれないからである。20世紀に入ると、孤児を引き取って育てるというもう一方の入口も制度の変化で閉じ、減り方は決定的になった。コメント欄では、「独身制が原因なのか、子どもを育てられないことが原因なのか」というやりとりに票が集まり、そこから終末思想と出生の関係、ケンタッキーやマサチューセッツに残る集落の話、そして「じゃあ今のシェーカー家具は誰が作っているんだ」という定番の疑問へと流れていった。人の数だけを見れば消えかけている集団だが、椅子と木箱と歌のほうは、今も普通に使われ続けている。 元ソース: 去年、最後に残ったシェーカー教徒の共同体が3人目のメンバーを迎えた。シェーカー教は18世紀後半に生まれたキリスト教の一派で、最盛期の信者は4000人ほど。主要な戒律のひとつが独身制で、そのために新しい信者を得ることが難しかった The post 「最盛期はおよそ4000人、いまは3人」去年その共同体に3人目が加わったらしい appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…