「犬は、何と言いますか」。1960年代、オーストラリア北東部で消えかけていた言語を記録していた言語学者が、数少ない話者にそう尋ねた。返ってきた答えは「ドッグ」だった。英語につられて答えてしまったのだろうと思い、言い方を変えて何度も確かめた。それでも答えは変わらない。その言語では、犬は本当に「ドッグ」だったのである。英語とは、何のつながりもないのに。 ※注:この言語はムババラム語。オーストラリア・クイーンズランド州北部で話されていた先住民の言語で、最後の流暢な話者は1972年に亡くなったとされ、現在は話す人がいない。 今日の知ってた? 🗣️ 別々の言語の単語が、語源の上ではまったくつながっていないのに、偶然、似た音と似た意味を持ってしまうことがある。これを言語学では「空似言葉(英語で false cognate)」と呼ぶ。ペルシャ語の bad(バド)は、英語の bad と同じく「悪い」を意味する。音も意味もほぼ重なっているのに、この二語のあいだに系譜上のつながりは確認されていない。ムババラム語で犬を指す語が「ドッグ」になったのも同じで、英語とは無関係に、その言語の内側で音の変化が規則どおりに積み重なった結果だと考えられている。 背景:「空似言葉」と「偽の友」は、じつは別物 まず「同根語(cognate)」という言葉から。同じ祖先の言語から枝分かれして、姿を変えながら別々の言語に残った単語のことを指す。英語の father とドイツ語の Vater、ラテン語の pater は、この意味で正真正銘の親戚である。似ているのには理由があって、系図をさかのぼれば一点に行き着く。 ところが、系図をさかのぼっても一点に行き着かないのに、似てしまう単語がある。英語の much とスペイン語の mucho は、どちらも「たくさん」で、綴りまでよく似ている。それでも語源はまったく別で、たまたま似た形に落ち着いただけとされる。英語の day とラテン語の dies(日)も同じく、意味も音も近いのに親戚ではない。こうした「顔は似ているが血はつながっていない」語が空似言葉である。 ここでよく混同されるのが「偽の友(false friend)」のほうだ。こちらは形が似ているせいで意味まで同じだと思い込んでしまう語を指す。スペイン語の largo は「長い」で、英語の large(大きい)ではない。スペイン語の embarazada は「恥ずかしい」ではなく「妊娠している」。constipado にいたっては「便秘」ではなく「鼻風邪をひいている」である。 そして厄介なことに、偽の友は語源をたどると本当に親戚であることが多い。largo と large はどちらもラテン語の largus から出ているし、constipado と constipated も同じラテン語にさかのぼる。つまり空似言葉は「出どころ」の話、偽の友は「意味のずれ」の話で、そもそも測っている軸が違う。血縁はないのに似ている語と、血縁はあるのに意味が離れた語。呼び名が紛らわしいせいで、学校の授業でも辞書サイトでも入れ替わって説明されていることがある。 日本語の訳語も、じつは落ち着いていない。false cognate に「空似言葉」「偽同根語」が当てられる一方で、「空似言葉」を false friend の訳語として使っている辞書や解説記事もある。用語をめぐる同じ混乱が、そのまま日本語にも輸入されている格好だ。 もう少し詳しく:ペルシャ語の bad が有名になった理由 この話題で必ず名前が挙がるのが、ペルシャ語の bad である。意味は「悪い」。発音も英語のそれとほとんど変わらない。あまりに似ているので、英語からの借用ではないかとまず疑いたくなる。だが、ペルシャ語の bad は中期ペルシャ語の wad にさかのぼる古い語で、英語から入ったものではない。一方の英語 bad は語源に定説がなく、古英語の bæddel という語を持ち出す説などが並んでいる段階で、いずれにせよペルシャ語側とつながる道筋は見つかっていない。 ただし「系統の異なる二言語」という言い方は、この例に関しては厳密ではない。ペルシャ語も英語も印欧語族に属していて、言語としては遠い親戚だからだ。それでもこの二語だけは別々に生まれたと考えられている、というのが正確なところである。同じ理由で判定が難しくなる例もある。ペルシャ語の behtar(より良い)と英語の better は、これも偶然似ただけとされることが多いが、そもそも親戚言語どうしなので、この手の組み合わせには「調べたら本当に同根語だった」が混ざり込む。似ている、だから偶然だ、とも即断できない。 もう一つの定番が sheriff(保安官)である。アラビア語の sharif(高貴な人)から来た、という説明を聞いたことがある人は多い。実際には古英語の scir(州)と gerefa(代官)が結び付いた scirgerefa が、長い時間をかけて発音の角が取れて sheriff になったもので、アラビア語とは関係がない。もっともらしい語源話ほど広まりやすいのは、どの言語でも変わらないらしい。 日本語にもある——「名前」と name、そして「ありがとう」の俗説 日本語で最もよく挙げられるのが、「名前」と英語の name だ。音も意味も近い。だが日本語の「名前」は、固有語の「な(名)」に接尾辞的な「まえ」が付いた形で、英語の name は印欧祖語にさかのぼる語である。どちらの方向にたどっていっても、両者が交わる地点は出てこない。偶然そう聞こえるだけ、というのが定説になっている。 トルコ語との一致もよく話題になる。トルコ語の iyi(良い)は日本語の「いい」に、kara(黒)は「黒(くろ)」に、tepe(丘・頂上)は「てっぺん」に響きが近い。ただし日本語の「てっぺん」は「天辺(てんぺん)」が崩れた形で、トルコ語とは別の道筋をたどっている。かつては日本語・朝鮮語・トルコ語などをひとまとめにする「アルタイ諸語」という仮説があり、こうした一致はその証拠として持ち出されたが、現在の主流の学説では支持されていない。似た語は近隣言語との接触や偶然で説明できてしまうことが多いためである。 意外に知られていないのが「絵文字」だ。英語圏では emoji という語が emoticon(顔文字)を縮めたものだと思われがちだが、日本語の「絵文字」は絵+文字であって、emoticon は emotion(感情)と icon(記号)を組み合わせた別の造語である。日本にはすでに「顔文字」があり、「〜文字」という語の作り方も先にあった。仮に emoticon を日本語の音に写したなら「エモティコン」のような形になるはずで、和語まじりの「えもじ」には落ち着きにくい。ここまで似ていながら、出どころは別々というわけだ。 その一方で、いかにも本当らしく語られる俗説もある。代表格が「『ありがとう』はポルトガル語の obrigado が語源」という話である。これは成り立たない。「ありがとう」は「有り難し(=めったにない、貴重だ)」の変化した形で、平安時代の『枕草子』にも「ありがたきもの」という一段がある。ポルトガル人が日本に着いたのは1543年で、それより何百年も前から使われていた語だ。ネット上には日本語と外国語の一致がおびただしく流通しているが、「名前」と name のように広く指摘されているものと、語呂合わせの域を出ないものは、分けて考えたほうがいい。 海外の反応 1. 海外の名無しさん トルコ語の iyi は「良い」という意味で、読み方も日本語の「いい」とほとんど同じ。距離も系統も遠いのに、こんなに短い語で音と意味が両方そろうのは気持ちがいい。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) トルコ語と日本語は妙に近い語がいくつかあって、黒を意味する kara と「くろ」、頂上を指す tepe と「てっぺん」あたりが有名。ただ、まとめて説明できる系統関係は見つかっていなくて、専門家は今のところ偶然の側に置いている。 3. 海外の名無しさん 自分のいちばん好きな例は emoji。日本語から来たこの語は、emoticon とは何の関係もない。日本語の「絵」が絵、「文字」が字で、合わせて「絵文字」。一方の emoticon は emotion と icon をくっつけた造語で、まったく別の場所で生まれている。ここまで似ているのに無関係というのが効いている。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) これはまだ怪しいと思っている。顔文字は絵文字より先に存在していたわけで、80年代の日本の技術者がアメリカの端末でそれを見て、名前をうろ覚えのまま「エ」と「モ」だけ持ち帰った、という筋書きも想像できてしまう。証拠がないのは分かっているが、完全には切り捨てにくい。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) それは順番が逆で、日本には当時すでに「顔文字」という言い方があった。顔+文字という組み立てが先にあるので、絵+文字は自然に出てくる。しかも emoticon を日本語の音に置き換えるなら「エモティコン」に近い形になるはずで、和語まじりの「えもじ」にはならない。作り方の癖からしてつながらない。 6. 海外の名無しさん 今日いちばん驚いたのは、自分がこの用語を何年も取り違えて使っていたこと。ずっと「偽の友」のほうを空似言葉だと思い込んでいた。しかも解説記事にわざわざ「偽の友と混同しないこと」と注意書きがあるあたり、間違えているのは自分だけではないらしい。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 自分もだ。スペイン語の embarazada は「恥ずかしい」ではなく「妊娠している」、という例で覚えさせられたので、あれが空似言葉なのだとずっと信じていた。あれは意味のほうがずれている話だから、分類としては偽の友になる。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) なるほど、じゃあ今の君はさぞかし「妊娠している」んだろうな。……すまない、この流れなら一度は言っておきたかった。 9. 海外の名無しさん(>>7への返信) ちなみに embarazada と embarrass は、語源をたどると同じところに行き着く。「紐」を指す語から「絡まって身動きが取れない」という意味の動詞が生まれ、それがフランス語を経由して英語に入って「社会的に身動きが取れない=きまり悪い」になった。スペイン語のほうは「重荷を背負っている」の方向へ進んで、妊娠の遠回しな言い方として定着した。同じ根から真逆に見える二語が育っている。 10. 海外の名無しさん 昔、英語の sheriff はアラビア語の sharif から借りたのだと教わったことがある。実際には古英語の「州」と「代官」を意味する二語がくっついて、長い年月のあいだに発音が丸くなって sheriff になっただけだった。もっともらしい語源話ほど、訂正が追いつかない。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) 日本語の「ありがとう」がポルトガル語の obrigado から来ている、という話も同じ手口で広まっている。実際には「めったにない、貴重だ」を意味する古い語が変化したもので、ポルトガル人が日本に着くより何百年も前の文献に出てくる。音が近いうえに、両方とも感謝の言葉というのが効きすぎている。 12. 海外の名無しさん オーストラリアの先住民の言語のひとつが、犬を「ドッグ」と呼ぶという話が好きだ。最初に記録した言語学者は、相手が英語で答えてしまったのだと思って何度も確認したらしい。確認するたび同じ音が返ってくる場面を想像すると笑ってしまう。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) クイーンズランド州北部で話されていたムババラム語のことだね。最後の流暢な話者が1972年に亡くなって消滅したが、記録はかなり残っている。面白いのは、この語がでたらめに一致したのではなく、その言語で規則どおりに起きた音の変化を逆算していくと、きちんと「ドッグ」に行き着くところ。偶然のほうが筋を通している。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) 念のために書いておくと、ヨーロッパ人が来る前からオーストラリアに犬はいた。ディンゴが何千年も前から住んでいるので、「英語から借りたに違いない」という思い込みは、そもそも前提から怪しい。 15. 海外の名無しさん 平原クリー語を少し話すのだが、ムース(ヘラジカ)を指す mooswa と英語の moose は偶然そっくりになったのだと長いこと思っていた。調べたら偶然でも何でもなく、英語のほうが北米の先住民の言葉から借りていただけだった。似ている理由がある場合のほうが、実は多いのかもしれない。 16. 海外の名無しさん ベトナム語の chào とイタリア語の ciao はどちらも挨拶に使う。イタリア語のほうは「あなたの下僕です」という古い言い回しが縮んだもので、ベトナム語とはまったく別の道をたどっている。旅行中にどちらの国でも同じ調子で挨拶できてしまうのが妙におかしい。 17. 海外の名無しさん マオリ語では rā が太陽を指していて、古代エジプトの太陽神ラーと重なる。地球の反対側どうしで、しかも同じ「太陽」で当たるというのは出来すぎている。もちろん両者に接点はないので、本当にただの偶然。 18. 海外の名無しさん 韓国語の똥(ットン)と英語の dung が同じ意味なのも笑える。どちらもあまり上品な語ではないぶん、一致したときのおかしさが増している。両者のあいだには歴史的な接点がまるでないので、これも純粋に偶然そろっただけということになる。 19. 海外の名無しさん これで思い出したのが、音の響きに「とがった感じ」と「丸い感じ」があるという例の話。母語が何であっても、ある音の並びはとがった図形に、別の並びは丸い図形に結び付けられるという実験がある。名前は確かリッキとボバ、だったと思う。 20. 海外の名無しさん(>>19への返信) キキとブーバだね。元になった実験は1929年のもので、そのときは別の音の組み合わせが使われていた。今の呼び名で広く知られるようになったのは2000年代に入ってからで、その後も何度も再現されている。ただしこれは空似言葉とは別の現象で、こちらは音そのものが持つ手触りの話。似ている理由が「偶然」ではなく「人間の側の共通した感覚」にあるぶん、むしろ逆の例になる。 21. 海外の名無しさん 英語の better とウルドゥー語の behtar(おそらくペルシャ語由来)も空似言葉なのか、前から気になっていた。辞書を引くと偶然の一致とされているが、ペルシャ語もウルドゥー語も英語と同じ語族なので、この手の組み合わせには本物の同根語が普通に混ざる。だから見た目だけでは判定できない。 22. 海外の名無しさん 「十分に巧妙な同根語は、空似言葉と見分けがつかない」。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」をもじってみたけれど、この分野に関しては本当にそのとおりだと思う。つながりがあることを証明するのも、無いことを証明するのも、どちらも同じくらい骨が折れる。 23. 海外の名無しさん スペイン語の授業では、確実に逆の意味で教わった記憶がある。調べてみたら、辞書サイトや語学ブログにも「音は同じで意味が違う語」を空似言葉と説明しているものがあった。専門用語の定義と、教室で流通している定義が二本立てになっている状態で、そりゃ全員が混乱する。 24. 海外の名無しさん 日本語話者だけど、いちばん身近なのは「名前(なまえ)」と name だと思う。音も意味もほとんど同じなのに、完全に別々に育った語で、接点はどこにもない。日常でいちばんよく使う単語のひとつが、実は世界の反対側の言葉とたまたま似ていた、というのはちょっと不思議な気分になる。 まとめ 系統の違う言語が、まったくの偶然で似た音・似た意味の語を持つことがある。これが「空似言葉」で、ペルシャ語と英語の bad、ムババラム語の「ドッグ」がその代表例として知られている。似た形なのに意味がずれている「偽の友」とは別物で、こちらはむしろ語源が同じで意味だけが離れていった語が多い。コメント欄では、この二つの用語を長年取り違えていたという告白が相次ぎ、辞書サイトや語学の授業でも説明が食い違っていることが指摘されていた。日本語がらみでは「絵文字」と emoticon が無関係だという話が人気を集めた一方、「ありがとう」とポルトガル語の obrigado のように、いかにも本当らしいのに成り立たない俗説もある。似ているものには理由がある、と考えたくなるのが人間らしいが、言葉に関してはそうとも限らないらしい。 元ソース: 系統の異なる二つの言語が、まったくの偶然で同じ意味の単語を共有することがある。これを「空似言葉」と呼ぶ。たとえばペルシャ語の bad は、英語の bad とまったく同じ意味を持っている The post 「犬は何と言いますか」「ドッグ」——英語と何のつながりも無い言語で、犬が本当に「ドッグ」だった話 appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…