ヘレン・ケラーの話は、たいてい「水」のところで終わる。手のひらに綴られた文字、井戸のポンプ、家庭教師のアン・サリヴァン。日本の教科書でも映画でも、語られるのはほぼ子ども時代だ。けれど彼女は87歳まで生きていて、大人になってからの時間のほうがずっと長い。その後半に何をしていたかというと、政党に入り、言論の自由を守る民間団体の立ち上げに名を連ねていた。 ※注:この記事に出てくるアメリカ自由人権協会(ACLU)は、言論の自由などの権利が侵されたときに、相手が政府でも裁判を起こして争う民間団体。政府の機関ではなく寄付で運営されている。日本には同じ立ち位置の組織がない。 今日の知ってた? 📚 ヘレン・ケラーは1909年にアメリカ社会党に入党し、1920年に設立されたアメリカ自由人権協会(ACLU)の創立会員でもあった。社会主義系の新聞に記事を書き、候補者の応援に回り、ストライキ中の労働者に名前を貸した。新聞に「目も耳も不自由だから判断を誤るのだ」という趣旨のことを書かれても、やめなかった。 背景:私たちが習ったのは、どこまでか まず、よく知られているほうの話。ヘレン・ケラーは1880年、アメリカ南部アラバマ州の生まれ。生後1年半ほどのときに高熱を出し、視力と聴力を失った。6歳のときに家庭教師としてやってきたのがアン・サリヴァンだ。流れる水にヘレンの手を当て、もう一方の手に「water」と綴る——世界中の教科書に載っているあの場面だ。1904年、24歳でラドクリフ・カレッジを卒業する。目と耳の両方が不自由な人が学士号を取ったのは、これが初めてだった。 『奇跡の人』の「奇跡の人」は、ヘレンではない。日本でこの子ども時代が広く知られているのは、舞台と映画の『奇跡の人』の影響が大きい。ただ原題は「The Miracle Worker」で、これは奇跡を起こす側を指す言葉。つまりサリヴァンのことだ。日本では長く「奇跡の人=ヘレン」と受け取られてきたが、あの作品が描いているのは、言葉の通じない子どもに言葉を届けきった教師の話でもある。 そして、物語はたいていここで終わる。ヘレンが亡くなるのは1968年。大学卒業から数えて64年ある。その64年のほうは、教科書にはほとんど出てこない。 もう少し詳しく 1909年、アメリカ社会党に入党。きっかけは読書だった。彼女自身が1912年の文章「私はいかにして社会主義者になったか」の中で、最初に読んだのはH・G・ウェルズの『New Worlds for Old』という社会主義の本で、サリヴァンに勧められたのだと書いている。点字の雑誌を取り寄せたり、友人に記事を手のひらに綴ってもらったりして読んだ、とも書き残している。入党後の十年あまり、彼女は社会主義系の新聞に記事を書き、候補者の応援に回り、ストライキ中の労働者に名前を貸した。世界産業労働組合(IWW)の活動にも加わっている。 「目が見えないから間違えるのだ」と新聞に書かれた。彼女が社会主義を表明すると、ニューヨークのブルックリン・イーグル紙は、彼女の誤りは「発達の限界から来るもの」だと書いた。要するに、目も耳も不自由だから判断を誤るのだ、という言い方である。これに対する反論が容赦ない。——私の政治的な立場を知る前、あの編集者が私に寄せた賛辞は、思い出すと赤面するほど寛大だった。ところが社会主義だと表明した途端、彼は私が目も耳も不自由で間違いを犯しやすいことを、わざわざ世間に思い出させている。彼女はそう書いたうえで、その新聞こそ「社会的に目も耳も不自由」なのだと返した。あなたたちが守っている仕組みこそ、私たちが減らそうとしている失明と難聴を生んでいるのだ、と。 失明と貧困を、彼女は切り離さなかった。この指摘は言葉のあやではない。当時のアメリカでは、工場や鉱山の事故で視力を失う働き手が珍しくなく、生まれたばかりの赤ん坊が、防げるはずの感染症で失明する例も多かった。失明は「運の悪い人に起きること」ではなく、働き方や医療の届き方の問題でもある——というのが彼女の一貫した主張だった。同じ文章の終わりでは、いつか社会主義について本を書くなら題は「産業的失明と社会的難聴(Industrial Blindness and Social Deafness)」にする、と冗談めかして書いている。 1920年、ACLUの創立に名を連ねる。第一次世界大戦のあと、戦争に反対した人や労働運動の関係者が次々と摘発された時期に、言論と集会の自由を守る団体としてACLUがつくられた。ヘレン・ケラーはその創立会員のひとりである。もちろん障害のある人への支援を広げる活動も生涯続けていて、視覚障害の予防と支援に取り組む国際団体の設立にも関わっている。社会運動に寄ったからそちらを捨てた、という話ではない。 日本には3回来ている 1937年(昭和12年)4月、ヘレン・ケラーは来日した。離日は夏。その間、日本各地の盲学校やろう学校を回り、各地で講演している。6月には秋田県を訪れた。このとき、忠犬ハチ公の話を聞いて秋田犬に関心を持ち、地元の警察官が自分の飼っていた子犬を譲った、と伝えられている。「神風号」と名付けられたこの犬は、日本からアメリカへ渡った最初の秋田犬とされる。神風号は渡米後まもなく病気で死んでしまい、のちに日本政府を通じて、同じ飼い主から「剣山号」が贈られている。 来日はこの1937年のほか、1948年と1955年にもあり、合わせて3回。つまり日本で「奇跡の人」のイメージが固まっていく時期、本人は現役で世界を回っていた。秋田犬の話がこれだけ知られているのに、同じ人物が社会党員でACLUの創立会員だったことはほとんど語られない。このねじれ自体が、今回のスレッドで海外の人たちが言っていることとよく似ている。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 学校で習うのは、水のエピソードのところまでだった。あの子ども時代の場面だけが有名で、そのあと60年以上、書いて話して各地を回っていたことはほとんど知らなかった。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) うちも12年間ずっと井戸のポンプの話だった。社会党に入ったところは一度も出てこない。伝記をどこで切るかというのは、思っているよりずっと意図的なんだなと思う。 3. 海外の名無しさん ここ数年、ネットで「ヘレン・ケラーは実在しなかった」「周りの大人に操られていただけ」みたいな話が広まっていて、正直うんざりしている。刺激的な話ほど拡散されるのが厄介だ。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) 彼女は本を読んで世界を知った。それだけの話だと思う。ネットのない時代に、外へ出ていく壁が高かったぶん読む時間は山ほどあったはずで、後半生は各地を回って人と会っている。読書や会話で知識を得るのを「本物じゃない」と言い出したら、大半の人間の知識が無効になってしまう。 5. 海外の名無しさん(>>3への返信) 「操っていた人がいた」説でいつも引っかかるのが、その人は誰なのかというところ。アン・サリヴァンは1936年に亡くなっていて、ヘレンはそこから30年以上活動して1968年に亡くなっている。その30年ぶんは誰が書いたことになるんだ。 6. 海外の名無しさん 障害のある人が強い意見を持つと、必ず誰かが「それ本人の考えじゃないでしょ」と言い出す。この構図だけは100年前も今もまったく変わっていない。 7. 海外の名無しさん 彼女の主張はずっと一貫している。ちゃんとした支援があったから自分はここまで来られた、ならその支援が普通の働き手にも届いていいはずだ、というだけの話なんだよな。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) しかも当時は、工場や鉱山の事故で一生ものの障害を負う人が本当に多かった時代だ。失明の原因に労働災害があると彼女が繰り返し書いていたのは、そういう景色を前提にしている。 9. 海外の名無しさん(>>7への返信) 自分が教育を受けられたのは、家がその費用を出せたからだ、という趣旨のことも何度も書いている。だから同じ支援が親の財布と関係なく全員に届くべきだ、という話につながっていく。自分の恵まれた部分から目を逸らしていないのが強い。 10. 海外の名無しさん 当時のアメリカで社会主義はそこまで特殊な選択じゃない。1912年の大統領選ではユージン・デブスが90万票以上を取っている。今の感覚で当時の空気を測ると読み違えると思う。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) 社会主義系の新聞も普通に読まれていた時代だからね。「変わった思想にかぶれた」という話ではなくて、選択肢のひとつとして棚に並んでいた。 12. 海外の名無しさん 新聞への反論が痛快すぎる。褒めていたときは何も言わなかったのに、社会主義だと表明した途端に「目も耳も不自由だから間違えやすい」と書き出した、という指摘。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) しかもそのあと「その新聞こそ社会的に目も耳も不自由だ」と返すところまでがセットなんだよね。100年以上前の文章とは思えない切れ味だと思う。 14. 海外の名無しさん ACLUの創立会員というのが一番意外だった。日本には同じ立ち位置の組織がないらしいけど、言論の自由が踏まれたときに裁判を起こす民間団体、くらいの理解でいいのかな。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) だいたいそれで合ってる。政府の機関ではなくて寄付で回っている民間団体で、相手が政府でも訴えるのが仕事。気に入らない相手の言論も守るので、しょっちゅうどこかから嫌われている。 16. 海外の名無しさん 「歴史家が隠してきた」という言い方には引っかかる。研究の世界では普通に知られている話で、子ども向けの伝記と映画が「感動する子ども時代」だけを切り取って売ってきた結果だと思う。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 一般の歴史イメージを作っているのは研究者じゃなくてポップカルチャーだからね。中世がまるごと真っ暗な時代だったことになっているのと、たぶん同じ仕組み。 18. 海外の名無しさん 一方で、彼女を聖人にしすぎるのもよくないと思う。1915年に雑誌へ寄せた文章では、重い障害を持って生まれた新生児を治療しないという医師の判断を支持していて、今読むとかなりきつい。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) その文章、ある一件への意見で終わらせずに、命が尊いのは本人と世界にとって何かの意味を持ちうるときだ、という一般論として書かれているんだよな。庇いにくい部分だと思う。 20. 海外の名無しさん(>>18への返信) 当時は多くの専門家が似たことを言っていた時代だった、というのは説明にはなっても免罪符にはならない。偉人を全肯定か全否定かで処理するのを、そろそろやめたほうがいいと思う。 21. 海外の名無しさん 本当に本人が書いたのか、という疑いも時々見かける。ただ彼女はタイプライターで自分で打っていたわけで、介助者に手を取られて文字盤を指すようなやり方とは、そもそも条件がまるで違う。 22. 海外の名無しさん 「彼女ほど書けた盲ろうの人は他にいない」とよく言われるけど、それは単に知らないだけだと思う。ハーベン・ギルマのように、ハーバードのロースクールを出て弁護士になった盲ろうの人が現代にもいる。 23. 海外の名無しさん 日本に3回行っているのも意外と知られていない。1937年の訪日では秋田で子犬を譲られて、そのままアメリカに連れ帰っている。日本から海を渡った最初の秋田犬なんだとか。 24. 海外の名無しさん(>>23への返信) ついでに言うと『奇跡の人』というタイトル、英語では「奇跡を起こす人」という意味で、指しているのはヘレンではなく家庭教師のアン・サリヴァンのほう。逆に覚えている人、けっこう多いんじゃないかな。 まとめ ヘレン・ケラーは1909年にアメリカ社会党に入党し、1920年にはACLUの創立会員になった。失明や難聴は運の問題ではなく、働き方や医療の届き方の問題でもある——というのが、新聞に叩かれても変えなかった彼女の主張だった。コメント欄には「水のエピソードで話が止まっていた」という驚きが並ぶ一方、彼女を聖人にしすぎるのもよくない、という声も出て議論になった。全肯定でも全否定でもない置き場所を探す流れに落ち着いたのが、読んでいて気持ちよかった。 元ソース: ヘレン・ケラーは1909年に社会党に入党し、アメリカ自由人権協会の創立会員でもあったと知った The post 「12年間ずっと井戸のポンプの話だった」ヘレン・ケラーが1909年に社会党へ入党していたと知って… appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…