1: ひぃぃ ★ DEA+Zwvq9 2025-09-17 18:18:18 ■AT免許時代の現実 いまだに「免許はMTで取るべき」と考える人はいる。昔の自動車社会では理解できる部分もあるが、現代の状況を踏まえると、もはや「AT限定は甘え」といった議論は成り立たない。むしろ、時代に合わせた免許選択の柔軟性が求められる。 事実として、日本国内の新車販売の約99%はAT車であり、軽自動車から高級車まで大半が自動変速機搭載である。MT車はスポーツカーや一部商用車に限られ、1980年代には約5割あった比率も、2000年代以降は急速に減少した。もはやMT前提の交通社会は存在しない。 ソニー損害保険の2025年1月調査では、2004(平成16)年4月2日~2005年4月1日生まれの1000人に、普通自動車運転免許を持っているかを聞いたところ、「普通自動車免許(オートマ限定)」は40.6%、「普通自動車免許(マニュアル)」は12.9%だった。 性別で見ると、女性ではオートマ限定免許の保有率が46.4%と男性(34.8%)より高く、男性ではマニュアル免許の保有率が18.0%と女性(7.8%)より高い。こうした現状を前に、「免許はMTで取るべき」という考え方は、まるで 「レコードを使えなければ音楽を語れない」 といった比喩のようなのかもしれない。 ■AT移行が問う人材戦略 次に、労働市場への影響について考える。 物流業界や介護施設などでは、送迎や配送のために運転免許が求められることが多い。ただし、「MT車を運転できる人材」に限定すると、応募者の数はどうしても減ってしまう。 実際、物流業界では人手不足や効率化の観点から、AT車への移行が進んでいる。AT車は操作が簡単で、運転者の負担を軽くできるうえ、採用の幅も広がる。また、運転技術の習得が比較的容易なため、教育コストの面でもメリットがある。 こうした背景を踏まえると、いまだに「新人はMTで取るべき」と考える組織は、人材獲得の競争において自ら不利な条件を課していることになる。 教習コストや時間の面でも、AT限定免許の方が効率的である。MTコースより数万円安く、技能教習も数時限少なく済むため、若年層にとっては大きな差となる。都市部でほとんど車を運転しない生活者が 「念のため」 にMT免許を取る合理性は低く、不要な時間や費用をかけることは、社会全体の損失にもつながる。 ■MT技能の存在意義の変化 電気自動車(EV)やハイブリッド車の普及により、MT車の設計は徐々に減少している。電動パワートレインではクラッチ操作が不要で、シフトレバーのないモデルも増えている。ガソリン車の比率が下がれば、MTの役割もより限定的になり、将来的にはクラッチ操作ができることは 「懐かしさの象徴」 になりそうだ。一方で、MT支持派がよく挙げる 「MTの方が運転に集中できる」 「ATは事故を増やす」 といった主張は、警察庁の統計から見ると裏付けは弱い。高齢者の事故で多いのはアクセルとブレーキの踏み間違いで、MT・ATに関わらず起こり得る。さらに、衝突被害軽減ブレーキ(AEB)や踏み間違い防止装置など、安全技術の普及により、「MTの方が安全」という議論は前提を保てなくなりつつある。 ■AT普及と制度調整 世界的にAT化は進んでいる。米国では1960年代からAT車が多く、州によってはAT限定免許の区分がない場合もある。欧州では長くMT比率が高かったが、EVシフトの進展に伴い、AT車の普及が徐々に拡大している。ただし国や地域によって差はあり、ドイツやフランスでは依然としてMT車の需要が残る。 こうした状況で、日本だけがAT限定免許を強調することは、国際的な潮流とはやや異なる印象を与える。とはいえ、国内の安全性や効率性を考慮すると、AT限定免許は合理的な制度であり、他国との単純比較で 「ガラパゴス」 と断じることは適切ではない。 MTが完全に不要になるわけではなく、産業用車両や一部地域輸送ではMT車が残る可能性もある。その場合は必要な人材に限定して「限定解除」を行えば十分であり、全員に義務化する必要はない。免許制度や教習の簡素化、企業の車両更新に合わせたAT化など、現実的な対応が求められる。 ■AT時代の運転選択 「免許はMTで取るべき」 「MT免許でなければ一人前」 「AT限定免許は甘え」 といういい回しは、過去の自動車社会に基づく価値観の名残といえる。現実の車両構成はAT車が大半を占め、労働市場でもAT限定者の採用範囲は広がっている。 (以下略、続きはソースでご確認下さい) 2025.09.17 13:33更新 merkmal…