1943年11月、大西洋を東へ進む新造の戦艦アイオワには、テヘラン会談へ向かうフランクリン・ルーズベルト大統領と、米軍のトップ4人が乗っていました。その戦艦に向けて、護衛についていた味方の駆逐艦が、訓練の最中に本物の魚雷を撃ってしまいます。 今日の知ってた? 📅 1943年11月14日の午後、バミューダ諸島の東の大西洋で、米海軍の駆逐艦ウィリアム・D・ポーターが、訓練中に誤って本物の魚雷を1本発射した。 🚢 魚雷が向かった先は、ルーズベルト大統領を乗せた戦艦アイオワ。大統領はカイロ会談とテヘラン会談へ向かう途中で、艦には米軍のトップである統合参謀本部の4人(リーヒ、マーシャル、キング、アーノルド)も乗っていた。 ⏱️ ポーターの航海日誌では発射は14時36分。警告を受けたアイオワは急いで向きを変え、魚雷は14時40分ごろ、アイオワの後方の航跡のなかで爆発した。発射から爆発までおよそ4分。アイオワに被害はなかった。 背景:大統領を乗せた極秘の航海 1943年11月、ルーズベルトは、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蔣介石とエジプトのカイロで(11月22〜26日)、チャーチル、ソ連のスターリンとイランのテヘランで(11月28日〜12月1日)会談することになっていました。大西洋を渡る最初の区間に使われたのが、この年の2月に就役したばかりの戦艦アイオワです。艦長のジョン・L・マクリー大佐は、それまで大統領付きの海軍補佐官を務めていた人物でした。 大統領の移動は極秘でした。11月12日、大統領一行はチェサピーク湾で大統領のヨットからアイオワに乗り移ります。ヨットは「大統領はヨットで船旅中」と思わせるため、1週間以上、人目につかない場所に身を隠すよう命じられました。アイオワには、側近のハリー・ホプキンスや統合参謀本部の4人など、政府と軍の中枢がそろって乗っていました。13日の未明、アイオワは駆逐艦コグスウェル、ヤング、ウィリアム・D・ポーターの3隻に守られて、アルジェリアのオランへ向けて出港します。 大西洋にはまだドイツの潜水艦Uボートがいて、無線で電波を出せば位置を探られるおそれがありました。船団は無線封止(無線を使わないこと)を守って進みます。ポーターは、この年の7月に就役したばかりのフレッチャー級駆逐艦で、アイオワの右舷側(進行方向の右)で潜水艦への警戒を受け持っていました。 14日の午後、アイオワは大統領に見せるため、対空射撃の演習を行います。気象観測用の風船を放って敵機に見立て、艦の対空砲でどれだけの弾幕を張れるかを披露するものでした。大統領の旅の公式記録によると、大統領は自室のすぐ外にある右舷側の甲板からこれを見ていました。同じころ、護衛の駆逐艦は、アイオワを的に見立てて魚雷攻撃の手順を確かめる訓練をしていました。ポーターの航海日誌には「14時36分、魚雷訓練中に2番発射管から魚雷が誤って発射された。調査中」と短く記され、そのあとに「15時03分、アイオワが対空射撃の演習を再開」と続いています。 公式記録は、このときの艦内の様子をこう書いています。対空射撃の合間に、水中で思いがけない爆発が起き、続いて「これは訓練ではない」と短い放送が流れた。乗っていた全員が「攻撃されたのか」と思ったが、まもなくポーターから、魚雷を誤ってこちらへ撃ってしまったという信号が届いた――。 もう少し詳しく 警告はなかなか伝わらなかった。米海軍協会の歴史誌『ネイバル・ヒストリー』(2021年6月号)によると、ポーターは無線封止を守ろうと、最初は発光信号(ライトの点滅)で知らせようとしました。ところが最初の信号は、魚雷の来る方向を反対側の左舷と伝え、次の信号は「本艦は全速で後進中」という見当違いの内容でした。最後は無線封止を破り、アイオワの呼び出し符号「ライオン」をくり返して、直接危険を知らせたといいます。アイオワの記録では、駆逐艦から魚雷接近の知らせを受けたのが14時38分。公式記録によると、アイオワの見張りも魚雷の航跡を見つけて報告していました。米海軍の艦艇事典は、アイオワが右へ大きく舵を切り、魚雷の航跡と平行になる向きでかわしたと書いています。 原因の説明は2通りある。公式記録によると、ポーターは当時、「前日までの荒天で湿気が入り、電気回路がショートして、魚雷を押し出す火薬に火が付いたのだろう」と説明していました。一方、上の歴史誌によると、ポーターは爆発のあと、発射管のひとつで点火具(プライマー)が外されていなかったと認めています。 距離も資料によってまちまち。魚雷がアイオワの後ろを抜けた距離は、公式記録ではおよそ1,200ヤード(約1.1キロ)。米海軍の艦艇事典は、アイオワの後方およそ3,000ヤード(約2.7キロ)で爆発したとしています。公式記録は、魚雷の速さを推定46ノット(時速約85キロ)と書いています。 「乗員全員が逮捕された」は記録にない。アイオワに乗っていた合衆国艦隊司令長官のキング提督は、すぐに調査を命じました。翌15日、ポーターは別の駆逐艦と護衛を交代して船団を離れ、16日から23日までバミューダで調査を受けます。この事件はのちに「乗員が全員逮捕された」「アイオワが全部の砲をポーターに向けた」などと語られるようになりましたが、上の歴史誌によると、どちらも航海日誌などの記録には出てきません。艦長のウィルフレッド・A・ウォルター少佐も解任されず、翌1944年5月30日まで艦長を務めて、のちに少将で退役しています。魚雷担当の上等兵曹ロートン・ドーソンは軍法会議に回され、階級を1つ下げられました。公式記録には、「ポーターの乗員は、おそらくアイオワに誰が乗っているのかを知らなかった」とも書かれています。 沖縄沖で沈んだポーター。ポーターはその後、太平洋へ回されました。1943年の年末から翌年9月まではアラスカのアリューシャン列島で船団の護衛などにあたり、フィリピンの戦いを経て、1945年3月から沖縄戦に加わります。5月からは、艦隊の外側に出て敵機の接近をレーダーで見張る「レーダーピケット」の任務につきました。1945年6月10日の朝8時15分、雲の中から現れた日本軍の旧式の急降下爆撃機(九九式艦上爆撃機、米軍の呼び名は「ヴァル」)が、特攻を仕掛けます。機体はポーターのすぐそばの海に落ちましたが、なぜか艦の真下で爆発し、ポーターは海面から持ち上げられて落とされました。乗員は3時間にわたって火災や損傷と戦いましたが、艦は右に傾いて沈みます。乗員に死者は出ませんでした。ポーターは第二次世界大戦で従軍星章を4つ受けています。2026年3月には、米国の沈没艦探査チーム「ロスト52プロジェクト」が、2025年の調査でポーターの船体を見つけたと発表しました。 海外の反応 1. 海外の名無しさん どこかの記事のこの一節を読んで固まった。「アイオワが気象観測用の風船を飛ばして、対空射撃の的にした。仲間外れにされた末っ子みたいに、ポーターも混ざりたくなった。艦長は乗員を戦闘配置につけた。風船を撃ち始める者もいたが、その下では別の乗員が、アイオワを狙って練習する準備をしていた。……魚雷で」。は? 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 魚雷の訓練そのものは普通だよ。目標の速さや距離を測って、魚雷の設定をして、発射の手順を最後まで通す。ただし本当には撃たない。的にするのは一番大きくて分かりやすい艦、つまりアイオワ。ところが発射管のひとつで、外しておくはずの点火具が外れていなかったらしくて、本物が海に飛び出した。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) いや待て、大統領が乗ってて、無線も封止してる船団だぞ。そんな状況で「暇だし射撃の練習でもするか」ってなるのか?大統領本人がやれと言ったならともかく。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) そもそも演習をやっていたのはアイオワのほうで、大統領に「この艦はこれだけの弾幕を張れます」と見せるためのものだった。駆逐艦の魚雷訓練は、あくまで艦の中だけの話で、本当に撃つはずじゃなかった。……本当に撃つまでは。 5. 海外の名無しさん 昔の軍隊の話を読めば読むほど、プロらしく見えていたのはたまたまなんだと思えてくる。中身は、自分のやりたいようにやる人間の寄せ集めだ。あの戦争を戦ったのも、ほとんどは20歳そこそこの普通の若者で、それを率いていたのも20代後半の士官だったんだよな。 6. 海外の名無しさん 個人的に一番好きなのは、そのあとアイオワが全部の砲をポーターに向けたってくだり。誰か一人が暴走したのか、艦ぐるみで大統領を狙ったのか、はっきりするまでずっと狙いっぱなしだったらしい。 ※ アイオワが砲をポーターに向けたという話はよく語られますが、アイオワの航海日誌にはその記録がなく、確認できません(米海軍協会の歴史誌『ネイバル・ヒストリー』2021年6月号)。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) もし本当なら、ポーターの乗員の気分を想像してみてよ。40センチ砲が全部こっちを向いてるんだぞ。戦艦と駆逐艦じゃ大きさが全然違う。アイオワの主砲の砲塔ひとつで、駆逐艦1隻と同じくらいの重さがあるって聞いた。副砲の12.7センチ砲だけでも、片側でポーターの主砲の倍の数がある。 8. 海外の名無しさん(>>6への返信) しかもこの事件のあと、ほかの艦はポーターに出会うたびに「撃たないでくれ、俺たちは共和党員だ!」と呼びかけたんだとか。 ※注:ルーズベルトは民主党の大統領です。「狙うのは民主党の大統領なんだろう、こっちは共和党だから撃つな」という皮肉です。よく語られる話ですが、当時の記録で確かめられるものではありません。 9. 海外の名無しさん とんでもない「もしも」だな。もしこれでルーズベルトが死んでいたら、陰謀論がどれだけ出たか想像もつかない。味方の誤射だなんて、誰も信じなかったと思う。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) ルーズベルトは、その10年前にも危ないところだった。1933年2月、大統領に就任する直前にマイアミで演説した場で銃撃されて、弾は本人には当たらず、近くにいたシカゴ市長たちに当たった。市長はその傷がもとで亡くなってる。フィリップ・K・ディックの『高い城の男』は、このとき撃たれて死んだのがルーズベルトだった世界が出発点なんだよ。 ※注:『高い城の男』(1962年)は、第二次世界大戦で日本とドイツが勝ち、アメリカが両国に分割されている世界を描いた歴史改変SF小説です。 11. 海外の名無しさん アイオワ級の戦艦がどうやって魚雷を「かわした」のか知りたくて記事を読んだら、かわしたというより、アイオワが立てた航跡の大波にぶつかって爆発したんだな。それなら納得。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) かわしたのも本当だよ。急いで舵を切って、速度も上げた。魚雷は思ったより遅いから、何キロも離れたところから撃たれたなら、逃げる時間が2分くらいある。アイオワの記録だと、警告を受けたのが14時38分で、近くで爆発の衝撃を感じたのが14時40分。見張りが魚雷を見つけたときは、もっと短い時間で舵を切らなきゃいけないから、どの艦も急旋回の訓練はしてたんだ。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) 『ワールド・オブ・ウォーシップス』をやってるとよく分かる。どんなに遅い魚雷でも、撃ったときは周りに誰もいなかったのに、なぜか味方が最悪のタイミングで進路に入ってきて、味方殺しになるんだよ。 ※注:『ワールド・オブ・ウォーシップス』は、第二次世界大戦期などの軍艦を操作して戦うオンライン対戦ゲームです。 14. 海外の名無しさん 運がよかったのは、当時のアメリカの魚雷が、設定どおりに走らない、当たっても爆発しないことで有名だったことだな。潜水艦のMk14も、駆逐艦のMk15も問題だらけだった。それにアイオワには魚雷の爆発を受け止める防御区画が何層もあるから、1本当たったくらいで沈むことはまずない。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 1943年11月の話だから、魚雷の不具合はもうだいぶ直ってたはずだよ。それに艦が沈まなくても安心はできない。大統領はそのとき甲板に出てたんだ。魚雷を見たいからと、車いすを手すりのそばまで寄せさせたって話まである。 ※ 大統領が右舷側の甲板で対空射撃の演習を見ていたことは、大統領の旅の公式記録に書かれています。一方、魚雷を見ようと車いすを手すりまで寄せさせたという話は、後年の記事などで広く語られていますが、公式記録には出てこず、確認できません。 16. 海外の名無しさん 魚雷は、この航海で最初の事故ですらなかったらしい。出港のときに錨で隣の駆逐艦の手すりやボートを壊して、翌日には爆雷を海に落として爆発させ、船団全体が潜水艦の攻撃だと思って回避行動を取ったとか。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) その2つは、その場にいた艦の航海日誌のどれにも出てこない。あとから話が盛られたんだよ。日誌に残ってるのは、ポーターのボイラーの管が壊れて、しばらく隊列から遅れたことくらいだ。 ※ 錨と爆雷の話は、米海軍協会の歴史誌(2021年)も、関係した艦の航海日誌に記録がないとしています。 18. 海外の名無しさん 前にYouTubeでこの艦の解説動画を見たことがある。たしか、艦長が信じられないくらい無能だったって話だった。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) 言っておくと、ああいう動画で紹介される出来事は、ほとんどが都市伝説なんだよ。記録で裏付けがあるのは、この魚雷の件くらい。ウォルター艦長も事件のあとクビになったわけじゃなくて、翌年の5月末まで艦長を続けて、最後は少将で退役してる。 20. 海外の名無しさん 結局、魚雷担当の上等兵曹ロートン・ドーソンが、点火具を外し忘れたと認めた。重労働14年の判決を受けたけど、ルーズベルトが「あれは事故だった」と取りなして、罰を取り消させたらしい。 ※ バミューダでの調査のあと、ドーソンが軍法会議に回され、階級を1つ下げられたことは分かっています。「重労働14年」の判決と、ルーズベルトが取りなしたという話は多くの記事に出てきますが、裏付けとなる記録は見つかっていません(米海軍協会の歴史誌、2021年)。 21. 海外の名無しさん 大統領が乗る前に、アイオワには浴槽が取り付けられたんだって。ジャグジーなんて書いてる記事もあるけど、ただの浴槽だよ。軍艦では浴槽なんて贅沢品だけど、立っているのもやっとのルーズベルトには欠かせなかった。 ※注:ルーズベルトは1921年にポリオ(小児まひ)と診断されて以来、両脚が不自由で、ふだんは車いすを使っていました。 22. 海外の名無しさん たしかこのあと、ポーターはアラスカのアリューシャン列島に回されたんだよな。しかも冬に。できるだけ遠くの、できるだけみじめな場所へ追い払ったってことだと思ってた。 23. 海外の名無しさん(>>22への返信) アリューシャンに行ったのは本当で、1943年の年末から翌年の9月まで、島から島へ船団を護衛してた。ただ、罰だったかどうかは公式の艦歴には何も書かれてない。酔った水兵が12.7センチ砲を撃って、基地の司令官の家の庭に落としたって話もあるけど、あれも裏付けがないんだよな。 ※ 酔った水兵の砲撃の話も有名ですが、裏付けとなる記録は見つかっていません(米海軍協会の歴史誌、2021年)。 24. 海外の名無しさん 訓練ではドジばかり、本番になるとちゃんと仕事ができる。そういう人っているだろ? この艦はまさにそれ。戦争中に従軍星章を4つもらってるし、最後に沈んだときも乗員は全員助かってる。 ※注:従軍星章(バトルスター)は、作戦に加わった艦や部隊に与えられる記章です。 25. 海外の名無しさん(>>24への返信) しかも沈めたのは、もう片付いたはずの特攻機なんだよな。艦のすぐそばの海に落ちたのに、なぜか海中で艦の真下まで来て、そこで爆弾が爆発した。艦は海面から持ち上げられて落とされて、乗員が3時間がんばったけど沈んだ。 まとめ 大統領と米軍のトップ4人を乗せた戦艦アイオワに、護衛の駆逐艦が訓練中に本物の魚雷を撃った1943年の事件。魚雷は航跡のなかで爆発し、被害はありませんでした。コメント欄では「もし当たっていたら」という想像や、かわし方の解説が続く一方、錨や爆雷の事故、艦長の無能ぶりといった有名な話の多くは記録にない、と指摘する声も目立ちました。ポーターは1945年に沖縄沖で沈みましたが、乗員は全員生き延びています。 元ソース: 1943年、米海軍の駆逐艦が、ルーズベルト大統領を乗せた戦艦に誤って本物の魚雷を撃っていた。戦艦アイオワは魚雷をかわし、駆逐艦の乗員は発光信号で知らせようとしたあと、無線封止を破って警告した The post 「大統領を乗せた戦艦に、護衛の駆逐艦が本物の魚雷を撃った」米軍のトップ4人も乗っていた1943年の戦艦アイオワ、発射から爆発までの4分間 appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…