年間の家賃は0.88ユーロ、日本円にして156円ほど。ドイツ南部の街アウクスブルクには、500年前に決めた家賃のまま、いまも約150人が暮らす住宅地「フッゲライ」があります。玄関先の呼び鈴の引き手は1つずつ形が違い、街灯のない夜でも自分の家が分かるように、と説明されています。海外掲示板では、家賃への驚きと「祈りが条件」をめぐる軽口、「世界最古」への異論で盛り上がりました。 ※注:「福祉住宅」は、暮らしに困っている人が安く住めるように用意された住まいのことです。フッゲライの呼び鈴は電気式ではなく、戸口の脇に下がった引き手を引くと、家の中の鈴が鳴る仕組みです。 ※注:元スレッドのタイトルは「1516年に開設」としていますが、1516年は工事が始まった年です。運営する財団は、設立証書が作られた1521年を起点に数えています。円への換算は、2026年10月13日の欧州中央銀行の参考レート(1ユーロ=176.91円)をもとにした目安です。 今日の知ってた? 🏠 ドイツ南部アウクスブルクのフッゲライは、豪商ヤーコプ・フッガーが、暮らしに困った市民のために建てた住宅地。1516年に着工し、1521年8月23日に設立証書が作られた。運営する財団は「現存する世界最古の福祉住宅」と紹介している。 💶 家賃は年に1ライン・グルデン。いまの通貨で0.88ユーロ(約156円)にあたり、1521年から一度も上がっていない。光熱費は別にかかる。 🙏 入居できるのは、困窮したカトリックのアウクスブルク市民。創設者とフッガー家のために、毎日3つの祈りを唱える約束になっている。 🔔 戸口の呼び鈴の引き手は、1つずつ形が違う。街灯のなかった時代に、暗闇でも自分の家を見つけられるようにするため、と説明されている。 🌙 門は夜10時に閉まる。それより遅く帰った住民は、夜警に50セント(午前0時を過ぎたら1ユーロ)を渡して開けてもらう。 🎼 作曲家モーツァルトの曽祖父フランツ・モーツァルトも、1681年から1694年に亡くなるまでここで暮らした。 🧱 1944年の空襲で約7割が壊れたが、元の姿で建て直された。いまは67棟・約140戸に約150人が住んでいる。 背景:フッゲライとは フッゲライ(フッガーライとも書かれます)は、ドイツ南部バイエルン州の都市アウクスブルクにある住宅地です。壁に囲まれた一角に2階建ての長屋が路地をはさんで並び、敷地のなかには教会もあります。運営する財団の案内によると、いまの規模は67棟・140戸(公式サイトの別のページでは142戸)で、約150人が暮らしています。アウクスブルクは、兵庫県尼崎市と滋賀県長浜市の姉妹都市でもあります(どちらも1959年に提携)。 建てたのは、この街の豪商ヤーコプ・フッガー(1459〜1525年)です。公式サイトによれば、1514年に土地の買い集めが始まり、1516年に着工しました。1521年8月23日には、運営の決まりごとを記した設立証書が作られ、1523年にはすでに52棟が建っていました。ドイツ語版ウィキペディアによると、工事を指揮したのは棟梁のトーマス・クレープスです。 着工の1516年は、日本でいえば永正13年。北条早雲(伊勢宗瑞)が相模を平定した年です。設立証書ができた1521年も含めて、日本は戦国時代のただなかでした。そのころに決まった家賃が、いまもそのまま使われていることになります。 ヤーコプ・フッガーは「富豪ヤーコプ」と呼ばれた人物です。一族は織物の取引で財を成し、ヤーコプの代に銀の鉱山や金融へと手を広げました。神聖ローマ皇帝を出していたハプスブルク家にも、資金を用立てていました。英語版ウィキペディアによると、1519年の皇帝選挙では、皇帝を選ぶ権利を持つ諸侯に渡った85万グルデンあまりのうち、およそ55万グルデンをフッガーが用立て、ハプスブルク家のカール5世が選ばれました。 フッガー家の財団の公式サイトは、ヤーコプを「いまも、その時代でいちばんの富豪とみなされている」と紹介しています。亡くなったあとの1527年の財産目録では、ヤーコプの持ち分は66万7,790グルデンでした。その人物が、困っている市民に貸す家の家賃を「年に1グルデン」と決めたわけです。 入居を想定していたのは、働いているのに暮らしが立ちゆかない職人や日雇いの人たちでした。ドイツ語版ウィキペディアによれば、物乞いは創設者の意向で受け入れず、暮らしを立て直せたら出ていくことになっていました。公式の案内は、この考え方を「自立のための手助け」と表現しています。年に1グルデンという家賃は、当時の職人のおよそ1週間分の賃金にあたった、と米国議会図書館のブログなどは紹介しています。 もう少し詳しく 家賃は500年据え置き、光熱費は別。年に1ライン・グルデンという家賃は、いまの通貨に置き換えて0.88ユーロです。物価の上昇を計算に入れず、額面だけをそのまま引き継いできた数字で、財団の2021年の発表文も「1521年から上がっていない家賃」と書いています。ただし、電気や水道、暖房などの費用は別にかかります。 住まいのなかは、いまの暮らしに合わせて整えられています。公式の案内によると、新しい浴室や地域暖房があり、テレビやインターネットの配線も引かれています。ドイツ語版ウィキペディアによれば、広さは1戸あたり60平方メートルほどです。 祈りは毎日3つ。入居できるのは、困窮したカトリックのアウクスブルク市民です。公式サイトは「出自、年齢、家族構成は決め手にならない」としています。住民は毎日、創設者とフッガー家のために3つの祈りを唱える約束になっています。 ドイツ語版ウィキペディアなどによれば、唱えるのは主の祈り、アヴェ・マリア、信仰宣言(クレド)の3つで、それぞれ1日に1度ずつです。「1日3回の祈り」と紹介されることもありますが、公式の案内の書き方は「1日に3つの祈り」でした。公式サイトによると、祈りのほかに、夜警や教会の世話係、庭の手入れといった、ちょっとした役目を頼まれることもあります。 住みたい人は多く、ドイツの英字メディア『ザ・ローカル』の2025年の記事では、住民の相談にのる職員が、入居までの待ち時間を「2年から6、7年」と話しています。1階の住まいがとくに人気だそうです。 門限は夜10時。敷地の門は夜10時に閉まり、公式の案内によれば、開くのは翌朝4時半です(ドイツ語版ウィキペディアは「5時」)。そのあいだに出入りする住民は、夜警に門を開けてもらう代わりに、午前0時までなら50セント(約90円)、0時を過ぎたら1ユーロ(約180円)のチップを渡します。夜警を務めるのは、昔から住民自身です。 呼び鈴の引き手の話。フッゲライの住まいは、1階と2階にそれぞれ1世帯が入り、どちらも通りに面した専用の入り口を持っています。似たつくりの家と扉がずらりと続くわけです。その戸口の脇に下がっているのが、呼び鈴の引き手です。 公式の案内は、こう説明しています。何世紀ものあいだ、夜の通りや路地に明かりはなかった。それでもフッゲライの住民は真夜中でも迷わなかった。引き手が1つずつ違うからだ——。 英語版ウィキペディアは、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの2008年の記事を出典に、「住民は暗闇のなかで引き手に触れて、自分の家の扉を見分けることができた」と書いています。一方、ドイツ語版ウィキペディアは「取り違えを防ぐためだと言われている」と、一歩引いた書き方です。いまの引き手がいつ取り付けられたものなのかは、確かめた資料には書かれていませんでした。「そう説明されている」という受け取り方がよさそうです。 ちなみに、公式の案内によると、フッゲライにガス灯が9基入ったのは1864年のことで、当時としてはとても新しい街灯でした。1976年に電灯へ切り替わったあとも6基のガス灯が残され、アウクスブルクに残る最後のガス灯になっています。呼び鈴の一部はいまも鳴るので、見学者には「引き手を引かないでください」とお願いが出ています。 モーツァルトの曽祖父も住んでいた。作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの曽祖父にあたるフランツ・モーツァルトは、石工の親方でしたが暮らしに困り、1681年から1694年に亡くなるまで、家族とフッゲライで暮らしました。英語版ウィキペディアによると、フランツの息子ヨハン・ゲオルクは製本職人になり、その息子がレオポルト、さらにその息子がヴォルフガングです。住んでいた家には、いまも記念の銘板があります。 空襲で約7割が壊れ、元の姿で建て直した。1944年2月25日から26日にかけての夜、アウクスブルクは大きな空襲を受けました。公式サイトによると、フッゲライは約7割が破壊されました(ドイツ語版ウィキペディアは「約3分の2」)。敷地内の防空壕に逃げ込んだ200人は助かっています。 ドイツ語版ウィキペディアによれば、フッガー家の一族は空襲の数日後、1944年3月1日には再建を決めました。1947年9月には、建て直した最初の3棟に住民が入っています。その後は隣の土地も買い足して、1973年までにいまの67棟になりました。 お金はどこから出ているのか。公式の案内によると、運営の資金は17世紀から森林の経営が柱で、いまはそこに見学者の入場料が加わっています。入場料は大人8ユーロ(約1,400円)で、家賃のおよそ9年分です。設立証書には、フッゲライは「永遠に」続くものとする、と書かれているそうです。 「世界最古」には但し書きがつく。公式サイトは、フッゲライを「現存する世界最古の福祉住宅」と紹介しています。一方で、ドイツ語版ウィキペディアは「現存する世界最古級の福祉住宅のひとつ」、日本語版は「世界最初期の計画的集合住宅」という書き方です。 困っている人のための住まい、という広い意味なら、もっと古い施設がいまも使われています。たとえば英国ウィンチェスターの聖十字救貧院(ホスピタル・オブ・セント・クロス)は1130年代の創設とされ、いまも25人の高齢の男性が暮らしています。フッゲライが違うのは、働いているのに貧しい人たちが、家族ごと、1世帯ずつ独立した住まいで暮らせるように作られた点です。「いまも使われている」「働く人と家族のための住宅地として」という条件つきの「最古」と考えるのがよさそうです。 海外の反応 1. 海外の名無しさん しかも家賃は500年前に決めたきり、一度も上がっていないんだよ。だから今は年に0.88ユーロ。ちなみに、フッゲライの見学は入場料が8ユーロ。見て回るほうが、住むよりずっと高くつく。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) ただ、その家賃に光熱費が全部含まれているわけじゃないよ。たしか電気代は別だったはず。つまり、毎月の請求書のほうが1年分の家賃より高い。そこがまた面白いんだ。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) ドイツの賃貸では、電気代が家賃に入っていないのはごく普通のことだよ。というか、世界中だいたいどこでもそうじゃないかな。 4. 海外の名無しさん どこにあるのか気になった人のために書いておくと、場所はドイツ南部のバイエルン州、アウクスブルクという街だよ。 5. 海外の名無しさん ウィキペディアの記事、読む価値があったよ。それと、呼び鈴は「鳴る音が違う」んじゃなくて「形が違う」んだね。街灯がつく前の時代に、住民が暗闇で引き手に触って、自分の家の扉を見分けられたと書いてある。あと、家賃は激安だけど、カトリックで、しっかり祈らないといけない。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) リンク先までちゃんと読んでよかった。危うく、暗くて家が分からない人たちが、片っ端からよその呼び鈴を鳴らして回る街だと思い込んだままになるところだった。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 午前2時、通りの端から順番に呼び鈴を鳴らして歩くご近所さんを想像してしまった。「ここじゃない。ここも違う。ここも違う……」 8. 海外の名無しさん 全部の家の呼び鈴が違う音で鳴って、その音を頼りに自分の家を探す。そんな方法は思いつきもしなかったけど、考えているうちに、その大混乱ぶりがだんだん好きになってきた。 9. 海外の名無しさん 何年か前に行ったことがある。黄色っぽい壁に緑のよろい戸の家が並んでいて、呼び鈴の引き手は本当に1つずつ形が違った。つい引いてみたくなるけど、いまも人が住んでいるから引かないで、と案内に書いてあるんだよね。観光地というより、誰かの家の前を静かに歩かせてもらっている感じだった。 10. 海外の名無しさん 自分はカトリックじゃないけど、あそこに住めるなら、気持ちのこもっていない祈りを毎日3つ唱えるくらい、何でもないよ。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) あの家賃で住ませてもらえるなら、せめて1つくらいは心を込めて祈ってもいいんじゃない? 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) こちらが出せるのは、8割くらいの気持ちの祈りを2つと、夕食前の「アーメン」まで。これで手を打ってもらえないかな。 13. 海外の名無しさん 祈りといっても、そんなに大変なものじゃないよ。たいていの人なら、3つ合わせても1〜2分で終わる。 14. 海外の名無しさん 家賃が安いのは素晴らしい。でも「カトリックであること」が条件なのは、いまの感覚だとやっぱり引っかかるな。困っている人に、宗派は関係ないと思うんだけど。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 気持ちは分かる。でもここは税金で建てた団地じゃなくて、500年前の商人が自分の財産で作って、いまも一族の財団が運営している場所なんだよね。「私たちのために祈ってほしい」が創設者の出した条件で、それも込みで500年続いてきたんだと思う。 16. 海外の名無しさん 補足すると、これを建てたのはヤーコプ・フッガー。当時、世界でいちばんの金持ちだったと言われる商人だよ。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) すごいな。いまの大富豪たちも、巨大なヨットを造ったり選挙を買ったりする代わりに、こういうお金の使い方をしてくれたらいいのに。 18. 海外の名無しさん(>>17への返信) いや、それが、この人は実際にハプスブルク家のために選挙を「買って」いるんだよ。住宅も建てたし、皇帝も選ばせた。 ※注:1519年の神聖ローマ皇帝選挙のことです。本文で紹介したとおり、フッガーは選挙のために諸侯へ渡った資金の大半を用立てたとされています。 19. 海外の名無しさん ヨーロッパには、こういう昔の取り決めがけっこう残っているよ。自分はロンドンでも指折りの古い公営住宅に住んでいるけど、契約書には、地代として区に「年にコショウの実1粒」を納めること、と書いてある。 ※注:英国では、契約の形を整えるためだけに決める名目上のわずかな地代を「コショウの実の地代(ペッパーコーン・レント)」と呼びます。 20. 海外の名無しさん 「最古の福祉住宅」というのは、議論の余地があると思う。困っている人を住まわせる救貧院なら、もっと古いものがあるから。たとえば英国ウィンチェスターの聖十字救貧院は、ノルマン人のイングランド征服から数十年後にはもうあった。フッゲライより何百年も古いよ。 ※注:ノルマン人によるイングランド征服は1066年。聖十字救貧院は1130年代の創設とされています。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) ただ、救貧院はふつう、高齢の人や病気の人、体の不自由な人のための施設だよね。フッゲライは、働いているのに貧しい人たちが、家族と一緒に自分の家で暮らせるように作られた。「最古」の看板は、その違いを踏まえてのものじゃないかな。 22. 海外の名無しさん 夜10時に門が閉まって、遅く帰ると夜警にお金を渡して開けてもらう。そんな決まりがいまも生きているのがいいね。学生寮の門限みたいだ。 23. 海外の名無しさん(>>22への返信) 午前0時までなら50セント、0時を過ぎたら1ユーロらしいね。つまり、0時を回ってから一度帰っただけで、1年分の家賃より高くつくわけだ。 24. 海外の名無しさん モーツァルトのひいおじいさんがここに住んでいた、という話にいちばん驚いた。暮らしに困った石工の一家から、3代あとにあの作曲家が出るんだから。安く住める家があったことが、めぐりめぐって音楽の歴史につながっているのかもしれない。 25. 海外の名無しさん 給料のかなりの部分が家賃に消えていく身としては、「500年間、値上げなし」という言葉だけでめまいがする。しかも設立のときの文書には「永遠に続くように」と書いてあるそうだ。500年前の約束がいまも守られていることが、いちばんすごいと思う。 まとめ 1516年に着工し、1521年の設立証書で決まりごとが定められたフッゲライは、年0.88ユーロの家賃と毎日3つの祈りという条件のまま、いまも約150人が暮らす住宅地です。呼び鈴の引き手が1つずつ違うのは、街灯のない夜でも自分の家が分かるように、と説明されています。コメント欄では、家賃への驚きや祈りをめぐる軽口に交じって、信仰を条件にすることへの疑問や、「世界最古」という呼び方への異論も出ました。日本でいえば戦国時代に決められた約束が、空襲をくぐり抜けていまも守られている。そのことに感心する声もありました。 元ソース: フッゲライは、いまも使われている世界最古の福祉住宅(1516年に開設)。街灯のなかった時代に暗闇でも家に帰れるよう、呼び鈴がひとつずつ違う The post 「年間家賃は0.88ユーロ、1521年から一度も上がっていない」いまも約150人が暮らす世界最古の福祉住宅、入居の条件は毎日3つの祈り…? appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…