「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」。フランス革命で処刑された王妃マリー・アントワネットの言葉として日本でもおなじみの一言ですが、彼女がこれを口にしたという証拠は、いまも一つも見つかっていません。もとになった一文が書かれたとき、彼女はオーストリアにいる9歳の子どもでした。海外掲示板でも「じゃあ誰の言葉なのか」をめぐって話が広がっています。 ※注:マリー・アントワネット(1755〜1793年)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世と、オーストリアを治めたマリア・テレジアの娘です。1770年に14歳でフランスの王太子(のちの国王ルイ16世)に嫁ぎ、1774年に18歳で王妃になりました。フランス革命のさなかの1793年10月16日、パリでギロチンにかけられています。37歳でした。 ※注:この記事で言えるのは、「言ったという証拠は見つかっていない」「本人の言葉とは考えにくい、というのが歴史家の見方」というところまでです。「絶対に言っていない」と証明されたわけではありません。 今日の知ってた? 🥐 フランス語の原文は「Qu’ils mangent de la brioche」(ブリオッシュを食べればいい)。ブリオッシュはケーキではなく、卵とバターをたっぷり使ったパンで、当時はぜいたく品だった。 📖 この一文が出てくるのは、思想家ジャン=ジャック・ルソーの自伝『告白』第6巻。「ある高貴な王女」の言葉として書かれていて、名前は出てこない。 👧 その部分が書かれたのは1765年ごろ。マリー・アントワネットは9歳で、まだオーストリアにいた。フランスに嫁ぐのは1770年。 📰 彼女の言葉として活字に現れる、知られている限りで最も古い例は1840年代。1793年の処刑からおよそ50年後だった。 🔍 革命期に王妃を攻撃した中傷文書や新聞からは、この言葉は見つかっていない。マリー・アントワネットが言ったという証拠も見つかっていない。 背景:「パンがなければ」の一言とは 飢えた民衆にはパンがないと聞かされた王妃が、のんきに「それならお菓子を食べればいいじゃない」と答えた。日本ではそんな逸話として知られています。英語では「Let them eat cake(ケーキを食べさせておけばいい)」と訳されて定着しました。日本語でも「ケーキ」や「お菓子」の形で広まっています。 マリー・アントワネットは、日本では、1972年に連載が始まった池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』で広く親しまれている王妃でもあります。この一言の出どころを知りたい人は日本にもいて、2021年には埼玉県の所沢市立所沢図書館が、「どこから出た話なのか」という質問に答えています。伝記や研究書を調べた図書館の回答は、「マリー・アントワネットの発言を裏付ける史料は確認できませんでした」というものでした。この記録は、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」で公開されています。 この言葉が重く響くのには、当時の事情があります。王妃の伝記を書いた英国の作家アントニア・フレイザーによると、フランスの農民や労働者にとってパンは主食で、収入の約50%がパン代に消えていました。パンの値段は、国じゅうが神経をとがらせる問題だったわけです。 実際、パンは何度も騒ぎの火種になりました。1775年の春には、穀物とパンの値上がりをきっかけに各地で暴動が起きています(「小麦粉戦争」と呼ばれます)。革命が始まった1789年の10月5日には、パンの高値に怒ったパリの市場の女性たちがヴェルサイユ宮殿へ行進し、翌日、国王一家はパリへ連れ戻されました。 そのうえ、王妃には敵が多くいました。フランスと長く張り合ってきたオーストリアの生まれで、浪費家という評判もあり、1787年の夏には「赤字夫人(Madame Déficit)」というあだ名まで付けられています。国の財政難は王室の出費だけが原因ではありませんでしたが、王妃を攻撃する文書は、彼女ひとりが国を傾けたかのように書き立てました。「パンがないならブリオッシュを」は、そんな王妃像にぴたりとはまる一言だったのです。 もう少し詳しく ブリオッシュはケーキではない。原文の「brioche(ブリオッシュ)」は、卵とバターを多く使った、ふんわりしたフランスのパンです。英語圏の人が「cake」と聞いて思い浮かべるデザートのケーキとは別物で、ブリタニカ百科事典の解説もそこを指摘しています。ただ、ふつうのパンよりずっとぜいたくな品だったことに変わりはありません。「パンも買えない人にそれを勧める」という話の筋は、訳がどちらでも同じです。 ルソーは何と書いたのか。文献の上でたどれる出どころは、思想家ジャン=ジャック・ルソー(1712〜1778年)の自伝『告白』の第6巻です。場面は、若いルソーがリヨンで家庭教師をしていたころ。雇い主の家のワインをこっそり飲もうとして、一緒に食べるパンが欲しくなります。けれども、剣を下げた身なりのいい紳士がパン屋でパンを一切れ買うなんてできるだろうか、と悩みました。 そこで思い出したのが、ある王女の言葉でした。新潮文庫の『告白録』(井上究一郎訳)では、こう書かれています。「とうとうある王女がこまったあげくに言ったという言葉を思いだした。百姓どもには食べるパンがございません、といわれて、『ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べるがいい』と答えたというその言葉である」。ルソーはこれをヒントに、パン屋ではなく菓子屋でブリオッシュを買うことにしました。 原文で王女にあたる言葉は「une grande princesse」。身分の高い王女、というだけで、名前はどこにも書かれていません。『告白』の前半(第1〜6巻)が書かれたのは1765年ごろで、出版はルソーの死後の1782年です。1765年のマリー・アントワネットは9歳で、フランスに来たことすらありませんでした。 ※注:第1〜6巻の執筆時期は、1765〜1767年とする資料や、1767年ごろとする資料もあります。その場合でも彼女は12歳以下で、フランスに嫁ぐ前です。 しかもルソーは、この言葉を「思い出した」と書いています。家庭教師をしていたのは1740年ごろのことで、回想のとおりなら、この言い回しはマリー・アントワネットが生まれる1755年より前から知られていたことになります。もっとも『告白』は、書かれていることがすべて事実とは限らない、と言われてきた本です。歴史家のポール・ジョンソンのように、逸話そのものがルソーの創作かもしれないと見る人もいます。 「言った」とされてきた人たち。この種の話は、マリー・アントワネットより前から、別の王族のものとして語られていました。ルイ16世の弟(のちの国王ルイ18世)は、1791年に国外へ逃れたときのことを書いた回想録で、パンを忘れてパテの皮をかじりながら「王妃マリー・テレーズ」を思い出した、と記しています。パンのない貧しい人々の話を聞いて、「まあ、どうしてパテの皮を食べないのかしら」と答えた王妃だというのです。マリー・テレーズはルイ14世の妃で、マリー・アントワネットより100年ほど前の人です。 ※注:パテの皮は、肉などの詰め物を包んで焼いた生地のことです。 ルイ15世の娘ヴィクトワール王女の言葉だ、とする回想録もあります。ボワーニュ伯爵夫人の回想録によると、食べ物が足りずパンのない人々の苦しみが話題になったとき、王女は涙を浮かべて「ああ、あの人たちがパテの皮で我慢してくれさえしたら」と言ったそうです。こちらは冷たい一言というより、世間を知らない人の善意として伝えられています。フレイザーは、同じルイ15世の娘ソフィー王女の名も挙げています。 似た話はフランスの外にもあります。この逸話を追った研究者ヴェロニク・カンピオン=ヴァンサンとクリスティン・ショジャエイ・カワンは、2002年にフランス革命史の専門誌に載せた論文で、16世紀のドイツの笑い話の本に同じ型の話があると報告しています。ブリタニカ百科事典も、16世紀のドイツで採集された話として、飢えた貧しい人々がなぜ「Krosem」(甘いパン)を食べないのかと不思議がる貴婦人の話を紹介しています。 中国には、7世紀に編まれた歴史書『晋書』に、西晋の恵帝(259〜307年)の話が残っています。世が乱れて民が飢え死にしていると聞いた皇帝が、「何不食肉糜(なぜ肉の粥を食べないのか)」と言った、というものです。 いつ「王妃の言葉」になったのか。マリー・アントワネットの名前と結びつけて書かれた、知られている限りで最も古い文章は、フランスの作家アルフォンス・カールが1840年代に自分の風刺誌『レ・ゲープ』に載せたものです。1843年の号でカールは、民衆にはパンがないと聞いた王妃が「それならブリオッシュを食べればいい」と答えた、という噂がかつて流され、不運な王妃への怒りがあおられたと書きました。そのうえで、1760年の日付がある本に、同じ言葉がトスカーナの公爵夫人のものとして載っているのを見つけた、と続けます。 カールの結論は、これは王妃が言ったのではなく、古い話が掘り出されて彼女に向けて流されたのだろう、というものでした。いちばん古い記録は、噂を打ち消すために書かれた文章だったことになります。 ※注:最古の例は1843年の号とする資料が多いのですが、1841年の号にも「本当か嘘か、マリー・アントワネットのものと伝えられる言葉」として短く出てくる、という指摘があります。 気になるのは、「革命派が王妃をおとしめるために広めた」という、よく聞く説明のほうです。先ほどの2人の研究者は同じ論文で、王妃を中傷した当時の文書のどこにも、この言葉を彼女のものとする記述は1行も無かったと報告しています。ブリタニカ百科事典も、革命派の新聞やパンフレットからこの言葉は見つかっていない、としています。口づての噂として流れていた可能性までは否定できませんが、少なくとも当時の活字には残っていません。 2人によれば、この話が本のなかで広く語られるようになるのは20世紀に入ってからで、とくに1930年代以降です。広まるきっかけの一つとして挙げられているのが、1931年に出たドイツの児童書、エーリッヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』でした。歴史家の側では、フランス革命史の研究で知られるジョルジュ・ルフェーヴルが、1932年の著書で、この言葉を王妃のものとするのは誤りだと退けています。 実際の王妃はどうだったのか。フレイザーは、マリー・アントワネットは慈善に熱心で、貧しい人々の苦境を知れば心を動かされる人だったとして、あの一言は彼女の人柄に合わないと論じています。1775年、パンの値上がりで各地が荒れた直後に、夫ルイ16世の戴冠式が行われました。そのあと彼女は、オーストリアの家族にこう書き送っています。「自分たちが不幸のなかにあるのに、これほど良くしてくれる人々を見れば、私たちが彼らの幸せのために、これまで以上に力を尽くさなければならないのは確かです」。 もちろん、手紙一通で人柄が決まるわけではありません。彼女の暮らしがぜいたくだったこと自体は、歴史家も認めています。それでも、「飢えた民にブリオッシュを勧めた王妃」を裏付ける史料は、今のところ出てきていません。 同じころの江戸にも、よく似た噂があった。フランス革命の2年前にあたる1787年(天明7年)、江戸では米の値段が跳ね上がり、町人たちが町奉行所に助けを求めました。そのとき、北町奉行の曲淵景漸(まがりぶち かげつぐ)が「昔の飢饉では犬を食った。今度もそうしろ」と言い放った、という話が広まります。怒った人々は米屋などを次々に襲い(天明の打ちこわし)、曲淵は町奉行の職を解かれました。 ただ、この発言を伝えているのは、『よしの冊子』という、当時の噂を集めた記録です。歴史研究では、曲淵が実際に何と言ったのかは伝わっておらず、訴えに耳を貸さない町奉行に向けて広まった風説だとされています。食べ物が足りなくなると、「上に立つ者がこんな冷たいことを言った」という話が生まれて広まる。国や時代が違っても、同じ型の話が繰り返し現れるようです。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 「言った証拠がない」どころか、言っていないと考える材料のほうが多いんだよね。同じような話がもっと前から別の王族のこととして語られていたし、有名なフランス語の一文が書かれたのは、彼女がフランスに来るより前。結局のところ、身分の高い人の世間知らずを皮肉るための小話だったんだと思う。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 投稿主が貼っていた記事にも書いてあったね。活字で最初に出てくるのはルソーの『告白』で、書かれたのは1765年。マリー・アントワネットは9歳だよ。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) 9歳か。自分の人生でいちばんケーキを食べていた年頃だ。あのころの自分なら、「みんなもケーキを食べればいいのに」くらいは本気で言っていたと思う。 4. 海外の名無しさん(>>1への返信) そもそも、物語の悪役が言いそうな、分かりやすすぎる台詞なんだよ。王族が庶民とかけ離れた暮らしをしていたのは確かだけど、パンが買えない人にもっと高いものを勧めるほど、現実が見えていなかったとは思えない。 5. 海外の名無しさん ルソーが書いたのは「ある高貴な王女」で、名前は出していない。それにルソーが亡くなったのは1778年で、革命が始まる11年も前なんだ。王妃を攻撃するつもりで書いた、という話にはなりようがないよ。 6. 海外の名無しさん ルイ14世の王妃マリー・テレーズが言った、という話も聞いたことがある。マリー・アントワネットより100年くらい前の人だよね。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) それを書き残しているのは、ルイ16世の弟(のちのルイ18世)の回想録だね。しかも中身は「どうしてパテの皮を食べないのかしら」で、ブリオッシュですらない。王族の誰かの世間知らずな一言、という型だけが同じで、人と食べ物は入れ替わり続けてきたんだと思う。 8. 海外の名無しさん たしか、当時の革命派の新聞やビラが王妃の発言として書き立てて、そのまま定着したんじゃなかった? 民衆が怒っていなければ、革命なんて起きないわけだし。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) それ、出典はある? フランス革命が好きで本をずいぶん読んできたけど、もとはルソーで、王妃と結びついたのはずっと後だ、という説明しか見たことがない。記事によれば、彼女の言葉として活字になったのは処刑から50年ほど経ってからだそうだよ。こっちが間違っているなら、喜んで考えを改める。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) 出典:俺を信じろ。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) 残念だけど、たぶん本当にそれが出典なんだよな……。自分の知らない史料が出てくるかもしれないと思って、ちょっと期待していたんだけど。 ※注:本文で見たとおり、革命期の新聞やパンフレットから、この言葉を王妃のものとする記述は見つかっていません。 12. 海外の名無しさん 面白いのは、王妃の名前と一緒にこの言葉を書いたいちばん古い文章が、「彼女が言ったのではないだろう」という内容だってこと。噂を打ち消すために書かれたものが、噂の最古の記録になっている。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) でも、打ち消しても消えなかったわけだよね。「あの王妃なら言いそうだ」と思われた時点で、本当かどうかはもう関係なくなる。よくできた噂は、事実より長生きするんだ。 14. 海外の名無しさん ブリオッシュはブリオッシュだよ。ケーキでもマフィンでもない。卵とバターがたっぷり入ったパンで、英語でも今はそのまま「ブリオッシュ」と呼んでいる。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) とはいえ、ケーキと訳してもブリオッシュのままでも、話の筋は変わらないんだよね。ふつうのパンが買えない人には、どっちも手が届かないんだから。 16. 海外の名無しさん やっぱりケーキは嘘だったんだ。ゲーム好きなら、ずっと前から知っていたよ。 ※注:ゲーム『Portal』(2007年)に出てくる有名な一節「The cake is a lie(ケーキは嘘だ)」にかけた冗談です。 17. 海外の名無しさん 有力な証拠によると、彼女は英語でそんなことは言っていない。実際には、何かフランス語でしゃべっていたらしい。 18. 海外の名無しさん 世間に広まっているマリー・アントワネット像は、かなりの部分が作り話だと思う。国王夫妻が判断を誤り続けて、国の舵取りに失敗したのは確かだよ。でも「貧しい人のことなど気にもかけず、民の金で遊び暮らした王妃」という筋書きは、実像とは違う。「言った証拠はない」という話がこうして驚かれること自体、間違った話のほうが広まっている証拠だ。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) さすがに肩を持ちすぎじゃないかな。国民が食べるものにも困っているときに、けた外れにぜいたくな暮らしをしていたのは事実だよ。 20. 海外の名無しさん(>>18への返信) 「後の時代がそう描いた」というのも少し違うと思う。浪費を責める悪口は、彼女が生きていたころからさんざん言われていた。あとから付け足されたのは、あのパンの一言のほうだ。 21. 海外の名無しさん(>>19への返信) ひとつ補足すると、革命を始めた人たちも、最初から王を倒そうとしていたわけじゃない。求めていたのは思い切った改革だった。空気がはっきり変わったのは、1791年に国王一家がパリを抜け出して逃げようとして、途中で捕まってからだよ。 22. 海外の名無しさん 夫が王になったとき、彼女はまだ18歳だよ。きれいで、甘やかされて育って、たぶん深く考える人でもなかった。でも、悪意のある人だったとは思えないんだ。処刑されたうえに、言ったという証拠もない一言で200年以上も覚えられているのは、さすがに気の毒になる。 23. 海外の名無しさん(>>22への返信) なにしろ彼女は、「オーストリアに生まれる」という取り返しのつかない失敗をしているからね。そこから先は、ずっと下り坂だよ。 24. 海外の名無しさん 「いや、そんなこと一言も言ってないんだが」——アルベルト・アインシュタイン 25. 海外の名無しさん(>>24への返信) 偉人の「言っていない名言」は本当に多いよね。ヴォルテールの「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」もそう。あれは1906年にイギリスの作家が、ヴォルテールの考え方を自分の言葉でまとめた一文なんだ。 ※注:イヴリン・ベアトリス・ホールが筆名で出した本『ヴォルテールの友人たち』(1906年)の一節です。ヴォルテール本人が書いた、あるいは言ったという記録は確認されていません。 まとめ 「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」は、もとをたどると、ルソーの『告白』に出てくる名前のない「ある高貴な王女」の一言でした。書かれたのは1765年ごろで、マリー・アントワネットは9歳。彼女の言葉として活字になるのは処刑からおよそ50年後で、言ったという証拠は今も見つかっていません。 コメント欄では、ブリオッシュはケーキではないという指摘や「出典は?」の応酬の一方で、ぜいたくな暮らしは事実だという声と、証拠もない一言で記憶されるのは気の毒だという声が並びました。本当かどうかより「言いそうかどうか」で広まる話は、同じころの江戸にもありました。有名な一言ほど、出どころを一度確かめてみたくなります。 元ソース: マリー・アントワネットが「ケーキを食べればいいじゃない」と言ったという証拠は存在しない The post 「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」マリー・アントワネットが言った証拠は見つかっていない…もとの一文が書かれたとき彼女は9歳だった appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…