
1: 2026/07/25(土) 08:50:24.86 ID:APirBuYf9 デイリー新潮7/25女子プロレス人気が、再び活況を呈している。レジェンドの一人、元クラッシュ・ギャルズの長与千種にインタビューした時のことである。「プロレスラーになろうと思ったきっかけ」について、強さへの憧れや金銭面の充実以外に、こう付け足していた。「ビューティ・ペアさんがいらっしゃったでしょう? あの歌を聞いたら、『私にも出来るだろう』と(笑)」ビューティ・ペアは、1970年代後半に一世を風靡した、ジャッキー佐藤とマキ上田のコンビである。▼ ▲ 閉じるデビューシングルの「かけめぐる青春」が80万枚のヒットを記録し(※1)、リング上でも歌を披露することで会場は鈴なり超満員に。女子プロレスの第一次黄金期を築き上げ、その後のクラッシュ・ギャルズなど、「歌う女子レスラー」のひな型ともなった。とはいえ、前出の長与の評価の他、名付け親の、こんな発言もある。〈ビューティという名称は、決して彼女たちの顏がビューティだからつけたんじゃなく、試合ぶりがきれいなのでつけたんです〉(フジテレビ・吉田斎ディレクター。※2)歌唱力、美貌にことさら秀でていたというわけでもないビューティ・ペアは、なぜ大いに売れ、一大ブームを興せたのか? 1976年発売の「かけめぐる青春」が発売された1976年から、今年は50年。その理由を解明したい。(文中敬称略。役職は当時)ジャッキー佐藤こと、佐藤尚子は1957年、神奈川県生まれ。幼い頃からスポーツ万能で、高校時にはバスケットボールの選手として注目され、第一勧業銀行から社会人チームへ誘われたホープだった。ところが高校の卒業式直前に家出。そのまま全日本女子プロレス(以下、全女)に入門してしまった。半年前から「弟の家庭教師をするから、お金をちょうだい」と頼み込み、身の回りの物は次々と売ってしまっていた。後に母親が見せられたジャッキーの日記帳には、こう書かれていたという。〈プロレスは5年で辞める。その間にお金を貯める〉〈店を出す資金一千万〉〈いずれは小説家に〉独立心旺盛な人生設計を踏まえた行動だったのだ。マキ上田こと、上田真基子は、ジャッキーより2才下の1959年、鳥取県生まれ。高校時代に不良の仲間入りをし、不登校に。働くために手に職を付けねばだが、本人は「東京に行きたい」と言う。心配した両親が電話をかけた先が、東京の全女だった。父親がプロレスファンだったのだ。こちらは珍しい、親の勧めでのプロレス入りだった。つまり、2人とも、プロレスに人生を賭けるような強い思い入れはなかったのである。アイドルや歌手になるに至っては言うまでもない。しかし、運命が2人を巻き込んで行く。2人がレスラーデビューした翌年の1976年2月末、ある人気女子選手が失踪してしまう。それが、マッハ文朱だった。マッハ文朱は、もともと歌手志望で、オーディション番組では、あの山口百恵と争った逸材だった。それが女子プロレスに転身し、時にはリングで歌も披露。同団体を不定期で放映していたフジテレビでその模様は流され、人気を博した。ところが1976年2月末、彼女は失踪する(事実上の引退)。すると、全女はフジテレビから、次代の歌える選手を出演させるように要求される。実はフジの「全日本女子プロレス中継」は、同局スポーツ部の制作ではなく、芸能部のそれだったのだ。すなわちフジテレビは女子プロレス中継を、あくまで芸能番組と捉えていたのである。そこで白羽の矢が立ったのが、佐藤と上田だった。レコードの吹き込み日は1976年9月29日。「かけめぐる青春」作曲家の述懐がある。〈“歌をまったくやったことのない人たちなので、簡単な曲を”ということで依頼を受けました。2人とも確かに上手とはいえませんでしたが〉(作曲家:あかのたちお。※3)当時の全女は年間250試合ペースで全国を巡業しており、この歌を覚えるのも一夜漬けだったという。ましてや振り付けの習得はとても無理で、振り付け師が全女の興行について行くことになった。それでも正式な発表日には間に合わず、一日遅れてリングでのお披露目となった。■人気は関東から……しかし評判は散々。当時の女子プロレスの観客層は主に中年男性で、ましてや歌謡ショーを観に来ているわけではない。「下手くそ!」「とっとと引っ込め!」など、野次もえげつなかった。レコードの発売(1976年11月25日)から3ヵ月後、ビューティ・ペアは沖縄巡業に向かう船の中で、上層部に直談判する。※以下引用先で プロレスラーなのにデビュー曲が“80万枚”大ヒット! 「ビューテ…女子プロレス人気が、再び活況を呈している。レジェンドの一人、元クラッシュ・ギャルズの長与千種にインタビューした時のことである。… - www.dailyshincho.jp 2: 2026/07/25(土) 09:20:24.70 ID:kAWmYx0P0 「女子中高生を熱狂させた」が「女子中高生を妊娠させた」に空見した 3: 2026/07/25(土) 10:00:19.37 ID:F2E93R7I0 写真、普通にかわいいじゃん当時のアイドルといってもあぁそうなんだって感じ 4: 2026/07/25(土) 10:18:42.43 ID:YEnSRd+A0 当時は宝塚が大ブームだった。けど若い女性にとって宝塚を観劇するのはかなり高いハードルだったらしいそこで出てきたのは漫画ベルサイユのばら。若い女性の中で大ブームを巻き起こし、それをモチーフにした女子プロレスのビューティーペアが現れて若い女性が思いっきり食い付いて一大ブームを巻き起こした 5: 2026/07/25(土) 09:14:55.59 ID:ES+qeJg90 日本のプロレスの歴史女子プロレス 1948年~男子プロレス 1951年~ 6: 2026/07/25(土) 09:35:13.85 ID:WMwrHEbP0 日本の女子プロレス界がやってることって基本この時代とほとんど変わらないからね 7: 2026/07/25(土) 09:04:42.81 ID:yZmikdIv0 うる星やつらは曲名をサブタイトルにしてる回が多くて第一話が「かけめぐる青春」だった 8: 2026/07/25(土) 09:09:57.60 ID:0DcXF8SJ0 歌としては炎の聖書の方が好きだけどビューティ・ペアの成功があって生まれた曲だよなぁ 9: 2026/07/25(土) 09:11:31.68 ID:T+opsFIm0 歌は出さなかったが、極悪同盟のダンプ松本とブル中野はテレビドラマに出るくらい人気があったよね実は元から極悪だったわけではなく普通の女子プロレス選手になりたかったそうで 10: 2026/07/25(土) 09:20:13.18 ID:p3xP3Bv70 意外と歌が上手いプロレスラーは木村健吾かな 良い声してた 11: 2026/07/25(土) 09:22:16.55 ID:SnFGfVOO0 マッチョドラゴンは売れなかったのか 12: 2026/07/25(土) 10:40:54.43 ID:6QKhxivI0 歌しか知らんのよな 13: 2026/07/25(土) 11:04:07.80 ID:ZcUEbO410 ビューティーペアは小学生のころブームだったのは知ってたが、ビューティビューティービューティペア~♪のとこだけを繰り返し歌ってたくらいかなぶっちゃけそこしか知らん 14: 2026/07/25(土) 10:26:58.76 ID:1jnhsyFR0 リアタイ勢は還暦以上だからよく知らないよな俺達はキューティー鈴木、工藤めぐみ、タニーマウス、の世代だし 15: 2026/07/25(土) 10:48:47.80 ID:wxPIpSL40 お前らはクラッシュギャルズと極悪同盟の時代だろ 16: 2026/07/25(土) 09:02:21.74 ID:A41o7IhJ0 ボックスステップを日本に広めたのはこの人たちダンス界からも評価されていい 17: 2026/07/25(土) 09:43:38.69 ID:ywZirm0y0 ボックス踏んでるイメージしか浮かばない 18: 2026/07/25(土) 09:23:18.86 ID:i34PWCqg0 ボックスしか踊れません 引用元:…