1. 匿名@ガールズちゃんねる やがて妊娠が分かった。キャバレーとの契約では、妊娠すると働けない決まりだ。店への違約金は男性が払った。 さらに男性は、生まれてくる長男と母のためにとマニラにアパートを買い、1989年に生まれた長男はそこで育った。彼は日本からたびたびアパートを訪れ、3人で過ごした。 マリアは長男を親戚に預け、再び日本で働き始めた。やがて2人目の子どもを身ごもったためフィリピンに戻り、1993年に出産した。 そのころから男性がフィリピンに来る頻度が減った。次男も生まれたのに、仕送りは滞りがちに。 男性には日本に妻がいた。「私もそのことは知っていました。でも、我慢することができなかった」。ちょうどその時、自分は別の人からプロポーズされていた。このことを伝えれば、状況を変えられるのではないか。そう思い、電話で伝えた。 「私は(その人と)結婚します」 すると彼は笑って言った。「あなたは、そんなことはしない」。それが最後の会話になった。 「まだ若かった私が嫉妬していたんです。もし、もっと冷静だったら、人生は変わっていたかもしれない」。それが心残りだ。 1990年代後半、フィリピン人女性と日本人男性との間に生まれた子どもは年間5千人ほどに上った。これには、マリアの子どものように日本国外で生まれた婚外子や、出生届の提出がないケースは含まれておらず、統計に表れない子も多くいるとみられる。 2026/01/07(水) 22:35:12…