1: muffin ★ 3OIelt8G9 2025-10-25 18:24:40 10/25(土) 16:15 私はかつてテレビ局で働いていた時のことを振り返った。朝から晩まで、頭も身体も仕事のことしかなく、会社のデスクで寝る日もあった。休みの日に自宅にいても、電話が鳴ったらワンコールで出なければいけない、メールが来たらすぐ返答しなければ信用が落ちると思って、片時もスマホを手放せなくなった。 職場と自宅の往復以外、ほとんど外出もしなくなった。当然、友人との交流はなくなり、コミュニケーションといえば女友達3人とのLINEのみになった。会社以外の世界はなく、外界との接点は皆無だった。 それでも、仕事で得られる達成感はとても気持ちよかったし、やりがいはあった。しかし、徐々に、こんな生活がいつまで続くのだろう? 私は一体何のために働いているのか、わからなくなっていた。 そんな時、PTSDになって仕事ができなくなり、生活が一変した。仕事がなくなったら、自分の存在価値すらなくなったように思えた。社会の歯車から外れた気分で、本当に辛かった。 でも、時間ができたことで気づいたことがたくさんあったし、何より友人が増えた。これまで多忙を理由にできていなかったことに目を向けられるようになって、支えてくれる人が実はたくさんいたこと、弱音を吐いても受け入れてくれる人が存在したこと、ずっと変わらずそばにいてくれる人に気がつけた。 そして、自分が忙しかったばかりに、他者に自分の時間を渡さなかったのを後悔した。周囲の人のわずかな心の変化に気が付かず、話しづらい環境をつくってしまい、目の前にあった大切なものを見過ごしていた。幸せになりたいなら、まずは身近な人を幸せにしないといけないことを思い知った。 ここ数年、仕事に心も身体も奪われていた。私は仕事のために生きているのではないし、仕事=私の存在価値ではない。私は幸せになるために生きている。 私は今、経営者にインタビューする仕事をしている。そこで話を聞くと、かなりの割合の経営者が、「質も大事だけど結局は時間。どれだけプライベートを投げ打って、仕事と向き合うかが大事だ」と言っていた。 「量より質」タイプの私とは正反対で、一瞬小さな嫌悪感を抱いてしまうこともあるが、話を聞いていると「質より量」タイプの方々は本気で仕事が一番やりたいことのようだった。それならば、それでいいと思う。そう思う人がいるから社会のバランスは取れている。 ただ、それをトップにいる人間が、他者に押し付けないでほしい、とは思う。がむしゃらに仕事へ時間を注ぐことが美学ではない人はたくさんいるし、時間を割きたくても割けない人もいる。多様性を認め合う社会をつくるには、多様な働き方とそれを受け入れる姿勢が肝要だ。 また、これまで多くの方々が、過労死のために亡くなったり、好きだったはずの仕事を失ったりしてきた。過労によって犠牲になった命や心があったから、近年少しずつ働き方の見直しが進んでいた。 全文はソースをご覧ください…