
「ボーカルがマネージャーを殴り、病院送りに…」 「SIAM SHADE」ギタリストが明かす解散の真相 「メンバー間の乱闘で警察が来たことも」 1990年代に活躍した、人気ビジュアル系ロックバンド「SIAM SHADE」。2002年に解散後も期間限定で4度復活しているが、2016年を最後に… (出典:デイリー新潮) SIAM SHADE SIAM SHADE(シャムシェイド)は、日本の5人組ロックバンド。1995年にメジャー・デビューし、2002年に一度解散したが、2007年、2011年、2013年、2015~2016年と一時的な再結成を行っている。インディーズ時代はヴィジュアル系として活動していた。… 42キロバイト (2,223 語) - 2025年9月29日 (月) 05:12 (出典 kansai.pia.co.jp) あんま知らんけど、なんかややこしそうな奴やなって思てたが… (出典 SIAM SHADE、ギタリストが明かす解散の真相「ボーカルがマネージャーを殴り、病院送りに」「メンバー間の乱闘で警察が来たことも」 [muffin★])1 muffin ★ :2025/09/29(月) 11:19:15.44 ID:ODyWRp6k9 2025年09月29日 1990年代に活躍した、人気ビジュアル系ロックバンド「SIAM SHADE」。2002年に解散後も期間限定で4度復活しているが、2016年を最後にグループとしての活動は止まっている。そのメンバーの1人・DAITAが残りのメンバー4名を相手取って今年の8月、東京地裁に訴訟を提起したことは【前編】で詳述した。DAITAが求めているのは、自らが作曲、編曲した38の楽曲の演奏と、「SIAM SHADE」名での活動の差し止めだ。なぜ5名のメンバーは1:4に分かれて争うことになったのか。【後編】では、DAITAが初めて解散の真相について明かした。 SIAM SHADEは1993年に結成され、1995年にデビュー。メンバーは、DAITAの他に、NATCHIN、栄喜、KAZUMA、淳士の5名である。活動時の所属事務所はアミューズ、レーベルはソニー・ミュージックエンタテインメント。1997年には「1/3の純情な感情」が80万枚のヒットを記録し、一躍メジャーとなった。解散は2002年。当時、その理由は「5人それぞれが自分の道を歩いていくことが最善」などと説明されていた。しかし、今年8月に提出した訴状の中で、DAITAははっきりとこう述べている。 〈解散理由は、2001年11月、被告今村(=メンバー・栄喜のこと)がマネージャーに暴行を働き、レーベルの代表者が、事態を重く見て「解散をするように」と勧告したためである〉 事実であれば衝撃的な内容である。 「このことはこれまで一度も明かしたこともなく、公にするつもりもありませんでした」と述べるのは、原告・DAITAである。「しかし、私が訴訟に出た背景を知るためには、解散の経緯に蓋をしておくことは出来ない事情があり、ここで真実を明らかにしておく必要があると思いました」DAITAによれば、そもそも、SIAM SHADEに亀裂が走り始めたのは、デビューから1~2年後辺りからだという。 「インディーズでは大変人気があり、鳴り物入りでデビューしました。しかし、動員は増えていきましたが、期待を掛けられた割にCDがなかなか売れなかった。一方で、他の同期デビュー組は次々と売れていく中、焦りが生まれてきました」 そんな中、ボーカルの栄喜による「暴力行為」が目立つようになってきたという。 「プレッシャーがかかるに連れ、メンバーや、マネージャー、スタッフに対して切れ、時には手を出すようになっていったのです。それを咎めるとまた小競り合いが起きる。メンバーの雰囲気はよくなかった」 1997年、ようやく「1/3の純情な感情」がヒット。バンドを巡る状況は一変したが、 「雰囲気は変わらなかった。もともとそれぞれのバンドでお山の大将だったようなメンバーが集まって出来たグループです。今度は売れたことで勘違いしてしまったように見える言動も出てきて、メンバー間の溝は埋まらなかった」 1999年には、ライブが中止になる事態まで起きた。この年、3月から5月にかけてSIAM SHADEは全国ツアーを行った。 「4月、鹿児島でライブを開いた時のことです。ライブが終わり、アンコールまでの間に楽屋で争いが起き、栄喜がメンバーやスタッフに暴行を働いた。殴られたメンバーの1人が入院する騒ぎとなり、翌日に予定されていた熊本でのライブが開催不可能となってしまった。一旦中止し、ひと月先に振り替えて開催しましたが、ファンの皆様には本当に迷惑をかけてしまいました」 この時は栄喜がメンバーに謝罪して騒動は一旦収まったものの、その後も、彼に端を発するメンバー同士のいざこざは止まらなかった。パフォーマンスにも影響が出始め、ついにはメンバーの脱退話まで具体化してきた中、決まったのが、メンバーが「夢」と言い続けてきた日本武道館での公演である。2001年の12月に、ついに「ライブの聖地」での開催が決定したのだ。 続きはソースをご覧ください 関連記事 【SIAM SHADE】ギタリストがメンバー4名を提訴 「シャムシェイド」名での活動と「1/3の純情な感情」を含む楽曲の演奏差し止めを求める [湛然★] (出典 SIAM SHADE、ギタリストが明かす解散の真相「ボーカルがマネージャーを殴り、病院送りに」「メンバー間の乱闘で警察が来たことも」 [muffin★])…