1: アシドバクテリウム(東京都) [US] vGMgrqpj0● BE:866556825-PLT(21500) 2025-09-26 07:25:16 三河湾のひょうたん形の無人島 干潮時にのみ現れる砂州を歩いた先に…残る城の石丁場跡 三河湾に浮かぶ「前島」(愛知県西尾市東幡豆町)は、名古屋城から南に約60キロ離れた地点にある。東西約400メートル、南北約200メートルのひょうたん形の小さな無人島で、干潮時にのみ砂州が現れる。 様々な石が残されている前島の石丁場跡。前方は沖島 海岸から500メートルほど歩くと、ごつごつとした石たちが目に入ってくる。実はこの場所、名古屋城を築く上で必要な石を切り出し、加工した石丁場跡だ。約400年前の姿が今も残っている「遺跡」そのものなのだ。 名古屋城の石垣は20人の西国大名によって築かれた。しかし、その石の産地を巡っては愛知県瀬戸市や岐阜県海津市など様々で、どこから持ち運ばれてきたのかは不明な点も多い。実際、江戸城や大坂城で石垣を調達した採石場跡が国史跡になっているものの、名古屋城関連ではいまだ一つもないのが実情なのだ。 市町村合併で西尾市に編入された幡豆町が1958年に発行した町誌には、「昔、 樫かし の木で作った矢を打って石を割り、その矢穴の容積だけの米を 貰った」「その石は名古屋城築城の時に供出した」とある。 更に2008年の「幡豆町史」では1999年に石垣研究家らによる調査が行われたことを経て、2007年、矢穴や刻印など採石の痕跡がついた残石を少なくとも78個確認したと報告されている。 この結果を更新するため、名古屋城調査研究センターや西尾市教育委員会など計19人で構成する有志による各種調査が行われたのは昨年7~10月のことだった。 石丁場跡は実際、同じ景色が広がり、残石がどこにあるかはなかなかわからないのだが、以前から、残石に関する現地ツアーや公開講座を継続的に行っていた同市教委生涯学習課の小山圭嗣さんらが4回にわたって現地に入り、人海戦術で残石の位置を特定。ドローンで撮影した写真を3次元化して分布図を作成した結果、残石は96個あることを確認した。ほぼすべてが島南部に集中していた。 さらに、この場所が福島正則の石丁場である可能性も高まった。福島が担った本丸に位置する「不明門」の石垣の刻印(角に大の字など)や石材が同様のものであることがわかったのだ。産地と石垣の場所が特定できたのは全国的にも珍しいのだという。…