スレ主 日本の城の特徴は、中国や韓国のように城壁を築くよりは、山を削ったり堀を掘って防御します 更に空間を細かく分けて城を占領しにくくし、その過程で隙を狙います ところが、意外とああいう石垣の技術も韓国の百済から来たという説があるんです 戦国時代、安土城などの石垣を作った石工集団の穴太衆(=安土桃山時代に活躍した石工の集団。詳細はWikipediaを参照)は、先祖が百済だったと言っています ああいう大きな石と小さな石を組み合わせた石積みの技法は、高句麗や百済でも見られる方式なので根拠がないわけではないそうです 分野は異なりますが、寺院の建築を主に担当していた金剛組(=大阪市に本社を置く日本の建設会社。578年に創業した世界最古の企業。詳細はWikipediaを参照)も百済の木工集団から始まったとも言われています 金剛組は577年から2006年まで存続し、破産した今もブランドが残っているそうです 韓国人 韓国が起源なのに破壊されて痕跡もない一方、日本はそれでも残っているのだから、日本が自慢するのは仕方がないとは思う 韓国人 >>2 でも日本は改修するとエレベーターまで設置することも多いじゃないですか韓国だってモンゴルに侵略されたり、韓国戦争がなければ日本よりたくさんの立派な建物が残っていたはずです 韓国人 スレ主がアップした写真の石垣はすべて戦国時代の後半や江戸時代に建てられたものです それまでは日本は土で作った土塁しか作れなかったんです 韓国人 一方の韓国には建物技術がほとんどないんですよね 戦争で燃えたり崩れたりして・・・ 韓国人 百済の文化を見たければ日本に行ってみろという話があるそうです 低い城の築造技術の他にも様々な百済の痕跡が残っているそうです 韓国人 >>6 「くだらない」という日本語もあるんですよ あれは「百済」+「ない」から来ているそうです 日本からすると百済の技術は大したことないと言いたいようですけどね もちろん同意しませんが・・・ 韓国人 >>7 日本は百済が凄いのをちゃんと分かっています 見て見ぬフリをしているだけですよ 韓国人 大阪も元々「丘が多い」という意味で、百済人が干拓技術を教えてやったから都市があるとも言われています 元々、多かった丘は海を埋めるために使ってしまってほとんどなくなったそうです 大阪の梅田も「埋める+田んぼ」から来ているそうです つまり百済の技術で作られたのが今日の大阪なんですよ 韓国人 日王(=天皇陛下のこと)も百済の血が流れていると言ってたしね 韓国人 逆に日本と百済が無関係の方がおかしいですよ 百済が滅びそうになった時なんか、百済を助けようと日本は5万の兵を送ったんでしょ? その当時の5万はとてつもない数です 日本も国運をかけてたんですよ 韓国人 百済が滅亡した時なんか、王族も倭にたくさん渡りましたし、文化の影響も大きいと言われてるし、歴史史料や文化財もたくさん残っています ここまで来たら百済の真の末裔は日本と見るべきじゃないですか? 一方の韓国は新羅の末裔で 韓国人 日本(=韓国語読みだと「イルボン」)という言葉も、ゾルボン(=高句麗の始祖の東明聖王が都にした場所)が変形したものと聞いたことがありますからね・・・ 日本書記にも百済が滅びると日本は「今は自分たちこそゾルボンだ」と言ったという記録もありますからね 唐の歴史書には百済が滅ぶとその集配層が倭を占領したという記録もあるらしくて・・・ 確かなのは、日本は百済が滅んだあとから日本という言葉を使い始めたという話があります 韓国人 そういう意味では百済を扱った歴史物があまりないのが本当に残念です コメントはこちらで(かんにゅーのコメント用サイトへ飛びます) トップに戻る…