
翻訳元スレ主 みんなの国ではWW2はどう教えられている? 私の出身地では、18世紀から20世紀にかけてアフリカ大陸に起きた出来事の中で最高のものとして教えられている。 植民地帝国を打ち砕き、独立への道を切り開いたからだ。 「もしアメリカがいなければ、ナチスはソ連を征服していただろう」という語りは、西側諸国の人々の潜在意識に植え付けられたハリウッド映画の脚本のようなものだと、こちらでは大部分が見なされている。 とはいえ、アメリカのレンドリース・プログラムがソ連に重要な兵站支援を提供したことは事実だ。 アフリカ兵と北アフリカ出身者はフランス軍の自由フランス軍の中核を担い、南フランスを解放した。 中国は日本から最も甚大な被害を受けた。 あなたの国では、第二次世界大戦について、戦争そのもの、主要な当事者、そして戦後の結果をどのように学校で教えている? (世界質問フォーラムへの投稿です) 海外の反応 ドイツでは、第二次世界大戦前に何が起きたのか、戦争中に何が起きたのか、そして戦後に何が起きたのかを、かなり早い段階から教えられる。 残念ながら、ちゃんと聞いていなかった人もいて、今では第四帝国を望んでいるような連中もいる。海外の反応>>2 何を望んでいるって?オーストリア>>3 大丈夫。新たなナチスはイスラムを標的にしている。 しかし彼ら全員がいなくなると懸念事項になるかもね。アメリカ これがすべてのアメリカ人に当てはまるのかは分からないけど、私の場合は、「私たちがいなければソ連は負けていた」と教えられたわけではない。 むしろ、私たちがいなければナチスは東部戦線に戦力を集中でき、おそらく勝っていただろう。 一方で、ソ連がいなければナチスは西部戦線に戦力を集中でき、私たちも負けていただろう、と教えられた。 私には、「世界中が力を合わせた」という、みんなが気持ちよくなれるような話として教えられていた。 ただ、コメントを読んでいると、ヨーロッパ戦線と太平洋戦線の両方について詳しく学ぶ国は、もしかすると私たちのような少数の国だけなのかもしれないと思った。 それもまあ、考えてみれば当然なのかもしれないけど、それまでそんなことは考えたことがなかった。オーストリア 戦争やナチスがなぜ、どのようにして生まれたのかについて、徹底的に学んだ。あらゆる教科で、あらゆる角度から扱われていた。 ただ、他の国での教え方とは違って、実際の戦争について、戦闘や兵器という観点からはあまり詳しく扱わなかった。 ほとんどが「二度と繰り返さない」という話で、戦争をどう戦うかという話は少なかった。海外の反応>>6 アメリカでもだいたいそんな感じだった。ほとんどは、どれほど悲惨なことだったかという話で、軍事戦略についてはあまり扱わなかった。 当時のアメリカでは、ホロコースト以前に実際にファシズムに共感していたアメリカ人がかなり多かったことを考えると、ファシズムがアメリカで広がることを少し恐れていたんだと思う。海外の反応 フランスでは、自国のレジスタンスの役割を過大評価しがちだし、「ドイツ軍は戦車が圧倒的に多かったから、私たちはどうしようもなかった」みたいな、いまだに広く信じられている神話もある。 でも、それ以外についてはかなりしっかりしているし、第二次世界大戦について優れた歴史家がたくさんいるのも恵まれている。オーストラリア>>8 私は子どもの頃、フランスのレジスタンスについての話を聞かされて育った。 ずっと後になって初めて、フランス当局がパリのユダヤ人を一斉検挙するのに協力し、強制移送のためにヴェロドロームに収容していたことを知った。 でも、パリの壁にも行ったことがある(レ・マレ地区だったと思う)。そこには、ユダヤ人を匿い、助けるために命を懸けた人々の名前が何千、何千と刻まれている。 戦争というものはいつもそうだけど、積極的に参加する人もいれば、関わらない人もいるし、ただ事態が早く終わることを祈っている人もいる。カナダ どの州かによって大きく違う。 私の場合、ニューファンドランドでは高校の選択科目であるカナダ史の授業以外では、学校で第二次世界大戦を扱うことはなかった。 戦時中にここに駐留していたアメリカ軍について少し触れたり、そういう話が多少あったくらいだ。 当時のクラスメートの中には、カナダが第二次世界大戦で何らかの戦闘を行ったことすら知らない人がかなりいた。 もっとも、私が卒業したのはもう15年近く前だから、今では状況が変わっている可能性はある。 イギリス 今42歳だ。中等学校(11歳から始まる)では、ヒトラーの台頭、ワイマール共和国、そして戦争がどのように始まったのかについて、とにかくたくさん学んだ。二度と同じことを繰り返さないための警告という意味合いが強かった。 小学校では、ロンドン大空襲、配給制、戦時中のイギリス国内の生活、そしてそういったことを学んだ。 戦闘や軍事史についてはあまり扱わなかったけど、友人の祖父母の多く、そして私の祖父母は全員、戦争に積極的に関わっていたので、私たちにいろいろな話をしてくれた。 特に、私の祖父たちはどちらも戦闘については話したがらず、むしろ戦闘と戦闘の合間にやっていたことについて話していた。オーストラリア>>11 イギリス国内の戦時下の生活については、山ほど教えられた。戦勝庭園、配給制、ザ・ブリッツ、子どもたちが地方へ疎開させられたこととかな。ポーランド 私たちは第二次世界大戦の被害を受ける側だった。それも、これ以上ないほど徹底的に。 戦争はいまだに社会に深く残っていて、今では時間を区切る基準にさえなっている。ポーランドでは、「戦前」と「戦後」という明確な区別があり、第二次世界大戦は単に「戦争」と呼べば、それだけでどの戦争なのか分かる。他の戦争と区別する必要すらない。 当然、そのため教育でも第二次世界大戦は非常に大きく扱われている。 スレ主のソ連についての主張だが、現在では、レンドリースがなければソ連は崩壊していただろうというのは、かなり確立された見解だ。後になってソ連のプロパガンダがこれを曖昧にしようとした。 そして、さまざまな理由からソ連の物語を受け入れやすかったアフリカでは、それがどうやら成功したようだ。 ちなみに、ソ連は当初、ナチス・ドイツの同盟国だった。ポーランド>>13 確かに教育ではかなり大きく扱われている。ただし、主にポーランドの殉難、国家的な誇り、そしてホロコーストに焦点が当てられている。 悪い侵略者たちを相手に勇敢に戦ったという物語がかなり美化されている一方で、第二次世界大戦が他の国々や世界全体に与えた影響については、実際にはあまり教えられていない。海外の反応>>14 聞き覚えのある話だ。正直、ヨーロッパの大半の国で見られる、第二次世界大戦についての殉教者・英雄物語には本当にうんざりしている。 もちろん、被害者がいなかったというわけではない。ただ、そういうくだらない物語は、歴史を理解することにはほとんど関心がない。単なる国家主義的な自己満だ。マルタ 私は上級レベルの歴史の授業で、第二次世界大戦におけるマルタの重要な役割、激しいドイツ軍による爆撃、サンタ・マリア船団とその記念日、そして第二次世界大戦後にイギリスが復興を行わず、その結果として独立を求める機運が高まったことについて、短いテーマとして学んだ。オーストラリア 私たちが教えられる内容は、良くも悪くもこんな感じだ。・またしてもヨーロッパを「助けに行った」。厳密には、少なくとも日本が参戦するまでは、私たちの戦争ではなかった。・イギリスは太平洋で私たちをある意味見捨てた(そう、残念ながらこれは事実だ)。そして、アメリカが見捨てなかったからこそ、今の私たちはアメリカと緊密な同盟関係にある。・「もし太平洋でアメリカがいなかったら、今ごろ私たちは日本語を話していたかもしれない」・ブリスベンの戦いについて必ず触れる。オーストラリア兵とアメリカ兵が街中で衝突した事件で、「アメリカ兵は地元の女性たちにストッキングやチョコレート、タバコを買ってやる余裕があったのに、地元の兵士たちにはそんな余裕がなかった」というのが原因だった。・シドニー湾に侵入した日本の特殊潜航艇。・高校で現代史を選択すれば、ヨーロッパと太平洋の戦争、そしてホロコーストについてかなり詳しく学ぶ。それ以外では、かなり型通りの概要しか扱わない。・チャンギ刑務所や泰緬鉄道などで日本軍がオーストラリア人捕虜に行った残虐行為。・「二度と繰り返さない」・戦後のベビーブームによって、私たちが生きている間にはもう二度と見られないような繁栄の時代が始まった。アイルランド 私たちはこの戦争では非戦闘員だったので、かなりバランスの取れた教え方だ(公式にはそういうことになっている。実際には連合軍に参加したアイルランド人志願兵が大量にいて、私の祖父もその一人だった)。 アイルランドの教育制度を褒めることはあまりないけど、歴史教育についてだけは、いつも評価している。 基本的なところでは、高校の歴史カリキュラムは非常に幅広く、どの立場に対しても公平だし、試験では、根拠を示せる限り、欧米で定着している歴史観に疑問を投げかけることが評価される傾向がある。 それに、自分が興味を持った分野を選んで、かなり掘り下げた研究も行う。 要するに小さな卒業論文のようなものなので、アイルランドでは、どんな人でも少なくとも一つは非常に詳しい歴史分野を持っているというのは、かなり普通のことだ。 イギリス人の友人たちは、平均的なアイルランド人の歴史知識の豊富さにいつも驚いている。 同様に私たちも、イギリスの教育制度がどれほど偏った見方をしているかにいつも驚かされる。特にアイルランドや、かつてのイギリス植民地についてはそうだ。イングランド>>18 地理的にも歴史的にもこれほど近いのに、イギリスでアイルランド史がほとんど教えられていないのは、正直恥ずかしいことだ。 例えば、第二次世界大戦中、ジョージ6世が形式上はまだアイルランド国王でもあったことを、ここにいる人の多くは知らないんじゃないかと思う。ウズベキスタン 学校では歴史の授業が2つある。ウズベキスタン史と世界史だ。 世界史では、第二次世界大戦の原因と結果について教えられる。アジア・太平洋戦線やアメリカの役割についても触れるけど、ごく簡単だ。例えば、日本軍の残虐行為についてはまったく教えられない。 ウズベキスタン史では、私たちが果たした支援的な役割、つまりどれだけの物資を生産したり送ったりしたかということが中心になる。 イタリア かなり単純化されていて、イタリアで何が起きたかに重点が置かれている。でも、これ以上詳しくやるのは難しいだろう。 基本的には、ムッソリーニが勝ち馬だと思ってヒトラー側についたと教えられる。 イタリア軍は資源や装備などの面で戦争の準備ができていなかったので、戦争がほぼ終わりそうだと判断するまで参戦を待ち、1940年6月に参戦した。 しかし実際には戦争はその後も長く続き、イタリア軍はフランス、東アフリカ、北アフリカ、ギリシャ、ユーゴスラビア、地中海、ソ連など、さまざまな戦線に送られた。 やがて枢軸国が複数の戦線で敗北し始め、連合軍がシチリア島に上陸すると、国王はムッソリーニを解任し、バドリオに交代させた(1943年7月)。 新政府は連合国と休戦協定を結んだ(1943年9月)。ドイツ軍はイタリアの大部分を侵攻・占領し、ムッソリーニはヒトラーによって、ドイツ占領下のイタリアに作られた傀儡国家、イタリア社会共和国の統治者に据えられた。 これをきっかけに、ドイツ軍と社会共和国に対するイタリアのレジスタンスが始まり、イタリアは連合国の共同交戦国として認められた。 ローマのレジスタンスについても教えられ、特にヴィア・ラスエラでの攻撃とアルデアティーネ洞窟の虐殺が扱われる。 1945年春、イタリアは解放された。4月25日は、連合軍が最後の攻勢を行っていた時期に北部で発生したパルチザンの一斉蜂起の日であることから、イタリアでは解放記念日として祝われている。インド インドの学校では、主にソ連やナチスについて教えられる。かなり重点的に扱うと言っていい。それからフランスについてもある程度扱う。 アメリカについては、最後の原爆の話を除けば、ほとんど出てこないと思う。イギリスについてさえ、ほとんど扱われない。主に東ヨーロッパ、あるいはヒトラーが起こしたさまざまな騒動と、彼が計画をどう失敗させていったかについて学ぶ。 インドについては、戦争そのものというより、当時インドで起きていた独立運動について学ぶ。 インド兵はイギリス軍の一部として海外に派遣されていたので、インドとして戦っていたわけではないし、そもそも北東インドでミャンマーと戦う以外には、インドが戦争に参加する理由はなかった。 私たちは、インド独立運動の闘争について学ぶことが多い。当時、多くの独立運動家は、第二次世界大戦を運動をさらに激化させる絶好の機会だと考えていた。イギリスが戦争にかかりきりになっていたからだ。 それに、イギリスがインドを支配できなくなり、インドが独立した理由の一つでもある。イギリスは戦争で疲弊し、財政的にも大きな打撃を受けていたので、植民地を支配し続けることができなかった。100年間もインドから搾取してきたので、もう略奪するものが残っていなかった、ということでもある。 もちろん、私たちの独立運動家たちが重要かつ否定できない役割を果たしたのは間違いない。でも、第二次世界大戦はインド独立のきっかけとなった。 個人的には、当時あの章が好きだった。特にナチスのところだ。ナチスが好きだったわけではなくて、あの限られた地域で、あれほど多くの政治的な出来事が同時に起きていたことが面白かった。それに、普段の生活でもヒトラーやムッソリーニという名前をよく耳にしていたから、興味もあった。フィンランド 私たちは何も悪いことをしていない。もし何かしたとしても、それは相手のせいだ。もし相手のせいでなかったとしても、とにかくやる必要があった。 私たちは何の意思も持たない完全な被害者だったから、文字通り何についても責任を問われることはない。 そもそも、なぜ誰かが私たちを攻撃しようと思うのか、本気で理解できない。 もう質問するな!ロシア 現在では、かなり強くプロパガンダ化されている。 実質的な国家理念を持たない国にとって、祖父の犠牲にしがみつくことが次善の策になっている。 独ソ不可侵条約はほとんど無視され、ソ連による残虐行為は過小評価されている。 戦勝記念日のパレードは巨大な規模で行われるが、資源をひどく浪費しているだけで、空虚に武器を振り回しているようなものだ。 とはいえ、同時に、上のコメントで触れたような点ばかりを十分に取り上げて、ソ連人民の犠牲そのものを無視する人を見るたびに、少し腹が立つ。結局のところ、ヨーロッパを解放したのは、実際にソ連人民の流した血だったのだから。イギリス>>24 アメリカの兵站、イギリスの情報活動、そしてソ連の血、という言い方はかなり頻繁に使われているよ。スレ主>>24 徹底的にプロパガンダが展開され、誰もが自らのイメージ向上に努めている。 ナチスの非人間化によってソ連の残虐行為は矮小化され、もちろん勝者が用語や表現を決定づける。マレーシア ヨーロッパ側については簡単な部分だけ教えられる。主にナチスの台頭と、1939年9月1日の開戦についてだ。 中心となるのは太平洋戦域で、1930年代の中国への侵攻と植民地化についての概略から始まる。 1941年の日本による侵攻から詳しく扱われる(厳密に言えば、私たちは日本から攻撃された最初の国で、真珠湾攻撃の約2時間前だった)。 そして1945年の日本の降伏まで続く。 イギリスが植民地支配を再確立するために到着するまでの間、権力の空白を埋めたのはマラヤ人民抗日軍(MPAJA)だった。これはマラヤ共産党の前身で、日本軍への協力を疑われた者たちに処罰を加えていった。台湾 台湾について言うなら、当然ながら太平洋戦域により重点を置く。 多くの人が忘れがちなことの一つは、当時の台湾が日本の植民地だったことだ。そのため、日本による植民地支配と戦争が台湾にどのような影響を与えたのかを学ぶことにかなりの時間を割いた。 また、中国人が日本の侵攻にどう抵抗したのかについてもかなり学んだ。 これは、国民党と中国共産党が防衛のために協力せざるを得なかった面があるからだ。 その「休戦」は日本の降伏後すぐに内戦へと変わり、現在の台湾の複雑な状況につながっていった。ベトナム その出来事がきっかけとなって、1947年から1975年にかけての2度の独立戦争につながった。飢餓によって200万人が死亡した。インフラは日本軍に利用され、その後アメリカ軍によって爆撃された。多くのベトナム人や、元国王までもが自由フランス軍に加わった。 ここでは、どちらが正しい側だったのかということは実際には教えない。共産主義国だからソ連だけを正しい側として扱うこともあるのだろうか? フランスは私たちを支配していた元宗主国だった。イギリスはフランスの緊密な同盟国であり、さらに多くの植民地を支配していた(私たちは反植民地主義を重視している)。日本による占領は1945年の大飢饉につながった。アメリカは第二次インドシナ戦争に積極的に関与した。そして中国は20世紀における私たちの最後の敵だった。パキスタン 学校では、第二次世界大戦についてはまったく教えられない。 パキスタン研究の授業で、第二次世界大戦によってイギリスが弱体化し、独立を求めて闘っていた植民地に対する支配力が低下した、と簡単に触れられる程度だ。それ以外は何もない。 大学などで歴史を専門的に学ぶなら、そこでテーマとして扱われる可能性はある。でも私は歴史専攻ではないので、具体的にどう扱っているのかは分からない。おそらく大学教授がそれぞれ独自のカリキュラムを作り、本を推薦するので、特定の出来事を教える場合には担当者によってかなり違うと思う。サウジアラビア いつものようにヨーロッパ人同士が争っている。ただし今回は、ヨーロッパという屠殺場にユダヤ人も加わっている。 皮肉はさておき、私たちの地域、特にサウジアラビアに直接関係しない話題にはほとんど触れない。そして私たちはこの戦争にそれほど深く関わっていなかったので、第一次世界大戦におけるアラブ反乱やトルコ・ナジュド戦争(私たちを嫌うのが好きならオスマン・ワッハーブ戦争)により重点を置く。 第二次世界大戦は、その後に続いたイスラム諸国の独立運動を除けば、私たちにとってそれほど重要ではなかった。デンマーク 戦争全体について大まかな流れを学び、ヨーロッパと西部・アフリカ戦線に重点を置く。 また、なぜ私たちがあれほど早く降伏したのか、政府がドイツと協力していたこと、ユダヤ人を救うための協力が崩れていった経緯、そしてデンマークの抵抗運動についても教えられる。チリ 私が教わったときは、戦争中にドイツとイタリアで権威主義的な独裁政権が台頭したことと、それらを打倒するために連合国が関与したこと(Dデイや各地の戦闘など)に重点が置かれていた。 戦後の地理的、社会的、経済的な影響についても触れられた。 日本については、真珠湾攻撃、有名な原爆投下、そして降伏以外はあまり扱われなかった。チェコ 小学校で扱い、第一次チェコスロバキア共和国、ヒトラーの台頭、そして西側諸国の宥和政策に重点を置く。 まずオーストリア併合、ズデーテン地方の併合、水晶の夜、そしてポーランド侵攻について学ぶ。その後、ドイツ軍の電撃戦戦略について簡単に扱う。これによってドイツ軍はヨーロッパを一気に突破することができた。 多くのチェコスロバキア人パイロットがイギリスやフランスのために戦っていたことも学ぶ。イギリス諸島への侵攻に失敗したことは、ドイツの戦争機構が喫した最初の失敗とされる。ソ連に宣戦布告したことは、しばしばヒトラー最大の致命的な誤りであり、敗北した主な理由の一つとされる。中国 1931年:「国際連盟さん、日本が私たちを攻撃して領土を併合したんだけど、ちょっと助けてくれない?」 1937年:「国際連盟さん、今度は全面侵攻になって、主要都市に爆弾まで落とされているんだけど、ちょっと助けてくれない?」 その年の少し後:「ちょっと待って、日本軍が文字通り何千人もの女性や子供を虐殺している。私たちを助けてくれているのは、このナチスの男一人だけだ。」 1941年:「連合国軍に招待してくれてありがとう。私たちが主要な戦力の一つだったことを、みんなが覚えていてくれるといいんだけど。」 2026年:「連合国軍?アメリカ、イギリス、ソ連のことだよね?ああ、イタリアも忘れちゃいけない。最後になって寝返ったから、今では善玉の一員ってことだ。」ハンガリー 私たちは状況の犠牲者だった。そして、それをやったのはドイツ人だった。 海外の反応ランキング…