
1: 七波羅探題 ★ 8KgQi31q9 2026-07-11 23:48:46 ●「戻りたくなる町」作りが 大成功した結果…地方は思考停止に 地方出身の学生の多くが「田舎はつまらない」と言う。「東京や大阪で、こんなに刺激的な生活を送っていたら、もう帰れないのだ」と口を揃える。そうであるなら「面白い町」を作ればいい。「出会いのある町」を作ればいい。そして「戻りたくなる町」を作ればいい。この「戻りたくなる町」というのは単なるキャッチフレーズではない。 長い間、日本の地方都市の人口減少対策は、いずれも高卒男子を囲い込む政策だった。工業団地を作って企業を誘致する。公共事業を取ってくる。そのことによって地域に雇用を創出し、出稼ぎや集団就職を減らしていく。これが昭和40年代以降、どの地方自治体にとってももっとも重要な政策となった。そして、このいわば田中角栄型の政策は見事に成功する。かつてのような古いタイプの出稼ぎや集団就職はほぼなくなり、地方は豊かになった。 しかし、この昭和の後半に進められた地方創生政策(当時の言葉でいう「過疎対策」)があまりに成功したために、平成の30年間、多くの地方自治体は思考停止の状態に陥ってしまった。そして、その間に、何が起こったか。まず専門学校を含む高等教育機関への進学率が急上昇した。 昭和30年代(1955年から64年)までは10%台だった進学率が、たった20年で50%まで上昇する。さらに今世紀初頭には70%、現在は80%を超える数字となっている。何より各自治体が見誤ったのは、あるいは見てみないふりをしてきたのは、90年代以降の女性の4年制大学への進学率の急上昇だった。 私が大学に入ったのは1982年だが、その時代までは相当優秀な女性でも短大を選ぶ方が多くいた。いまの学生に説明してもイメージさえわかないようだが、当時、女性に限っては4年制大学よりも短大の方が就職が有利だったからだ。振り返ればひどい話だが、男女雇用機会均等法の施行以前は、それが当たり前のこととして受け止められ、女子高校生の進路選択にも深く影響を及ぼしていた。地方都市においては、この傾向はさらに顕著だったろう。 ●「女だから大学には行けない…」昭和までは一般的だった考え方 もう一度、整理をすれば以下のようになる。地域に雇用を生めば高卒男子が地元に残る。当時、子どもを地域にとどめておく殺し文句は「車を買ってやるから地元に残れ」というものだった。この話を地域の高齢者大学などですると大多数の人が深く頷いてくれる。 地方では多くの女性は高卒で就職した。実際に、いま各大学で行っているリカレント教育(学び直し)の講座に通う60代以上の女性の中には、志望理由を「大学に行ってみたかった」「兄は行っていたのに私は行けなくて悔しかった」と言う方が一定数いらっしゃる。兄弟姉妹が多くいて、自分が一番成績がよかったのに女だから大学に行かせてもらえなかったというのは昭和中期までは普通の出来事だった。女性は進学しても短大までで、あとは地元の金融機関や農協などに就職し、元気で給料の安いうちに4、5年働いて結婚で寿退社し20代前半で子どもを産む。男を囲い込んでおけば女はついて来るという、昭和の、匂い立つような男性目線の政策だ。 考えてみて欲しい。若者たちへの問いかけの本質が変わったのだ。18歳の高校生への「地元にもいい就職先があるから、車も買ってやるし、この町に残らないか?」という昭和の問いかけ。それに対して東京、京都、大阪あるいは福岡などで最低でも4年間、楽しく刺激的な生活を送った22歳の若者への、それでも地元に帰って来るかという問いかけでは、問いの本質が違うのではないか。そしてその問いの本質の違いに、多くの自治体、多くの大人、多くの男たちは気がついていなかった。あるいは見てみないふりをしていた。特に若い女性たちに対しては、まったくこの認識の変化が追いついていなかった。私はこれを『木綿のハンカチーフ』シンドロームと呼んでいる。 ●『木綿のハンカチーフ』型の地方創生はもうムリ 太田裕美さんのこの名曲が大ヒットしたのは1976年(発売はその前年末)、昭和で言えば51年になる。この歌詞は、「出て行く男/残る女」「はなやいだ街/草にねころぶ地方」「都会で流行りの指輪/木綿のハンカチーフ」といった対比で構成されている。いまの若い世代が聞けば、いったいいつの時代のことだと思うだろう。 いまは女性が出て行って戻って来ない。豊岡市は前述のように18歳の7割以上が外に出る。それでも20代で男性の5割近くが帰って来る。しかし女性は約25%しか帰って来ない。今世紀に入って、ずっと同じような状況が続いていたはずなのに多くの自治体はこれに気がつくのが遅れた。そして町に若い女性がいなくなり、慌てて「少子化」と騒ぎ出した。 ※以下出典先で DIAMOND, INC.7月9日 20:30…