
1: 征夷大将軍 ★ 2026/04/23(木) 06:48:10 ID:ZcixFqTL9 中日スポーツ2026年4月22日 15時02分 江川卓さん、米国浪人時代にあったまさかのオファー「ドジャースから…」77年のクラウン入り拒否『ヤクルトならOK』だった理由:中日スポーツ・東京中日スポーツ 1980年代に巨人のエースとして活躍した江川卓さん(70)が、21日に放送されたBSフジの「プロ野球 レジェン堂」に出演。プロ入り時に...中日スポーツ・東京中日スポーツ 1980年代に巨人のエースとして活躍した江川卓さん(70)が、21日に放送されたBSフジの「プロ野球 レジェン堂」に出演。 プロ入り時にまつわることを、自らの口で語った。 栃木・作新学院高時代に甲子園で大活躍し、法大時代は東京六大学野球で歴代2位の47勝を挙げた江川さん。 法大4年だった1977年のドラフト会議は、超目玉の選手だった。 そのドラフト会議でクラウン(現西武)に1位指名されるも、本拠地である福岡は遠いとして、入団を拒否。 米国で浪人することを選んだ。 そして翌78年のドラフト会議前日、野球協約の盲点をつく形で希望する巨人と契約。 「空白の一日」と言われ、社会問題にもなった。 77年にクラウン入りを拒否したことについて「(関東近郊で)自営業をやっている親戚の人たちが、巨人に入ってほしいという意向が強かった。 在京じゃないとダメだと。 九州に行ってもらったら困ると、全員の総意で親父のところに来た」と江川さんが語ると、MCを務めた徳光和夫さんは「在京」というワードに注目。 「在京だったらOKだったんですか?」と質問した。 それに対して江川さんは「僕はね」と答え、徳光さんが「ヤクルトでもOKだったわけですね?」とさらに質問すると、「たぶん、行っていたと思います」と江川さん。 ヤクルトに指名されていたならば、入団した可能性があったと口にした。 そして江川さんは、78年の米国での浪人時代についても言及。 夏に米国の大学生の有望株が集まってアラスカで行われるサマーリーグに参加していたときのことだ。 「そのとき、ドジャースから話がありまして。 ドジャースに来ないかというお話をいただいたんですけど。 いや、日本に帰ってドラフトが待っているので。 日本に帰ってやりたいので、行けないですと。 お会いはしていないです」と江川さん。 野茂英雄や大谷翔平がドジャースのユニホームを着るはるか前のこと。 江川さんはこう語っていた。…