
1: 匿名 2026/01/07(水) 21:09:54 ID:pKul/1wr9 バブル期に日本人との間に婚外子、音信不通になった相手 「もっと冷静だったら」フィリピン女性の記憶 ※1/7(水) 17:01配信 共同通信 フィリピン人のマリア(59)=仮名=は1986年、ダンサーとして日本にやって来た。 二つの国を往復しながら働き、4回目の来日時に出会った日本人男性との間に長男をさずかった。 「あの人は私と息子のためにマニラにアパートを買い、日本から何度も訪ねてきてくれました」。 だが、その生活は長くは続かなかった。 1980年代から2000年代初頭にかけて、フィリピンから多くの女性がダンサーや歌手として来日し、日本人男性との間に多くの子供が生まれた。 マリアの子どもも、フィリピンで生まれた婚外子だ。 なぜ、こんな状況が生まれたのだろうか。 (敬称略、共同通信=山岡文子) 「未知の国へ」1年間稽古を重ね、来日 マリアはフィリピン南部のダバオで生まれ、機械工の父や食堂を営む母、きょうだいたちと暮らしていた。 大学生3年生のときだ。 いとこに声をかけられた。 「ダンサーとして一緒に日本で働かないか」。 そのいとこは舞踊団のメンバーで、海外へ行く大統領に同行して伝統舞踊を披露していた。 日本に特別な興味があったわけではない。 しかし当時、フィリピンはフェルディナンド・マルコス大統領の独裁政権による弾圧と、それに立ち向かう反政府運動が続き、社会情勢は不穏だった。 それに地元のダバオは何もない田舎で刺激に乏しかった。 「未知の国に行って自分の力を試したかった」。 来日前の1年間みっちり稽古を積み、プロのダンサーとして日本へ向かう準備を整えた。 父親は「若い娘が外国で働くなんて」と反対したが「いとこも一緒だから」と押し切った。 1986年、20歳の時に日本へ。 来日と帰国を繰り返しながら富山県、長野県、埼玉県で公演した。 4回目に来日したときは新宿・歌舞伎町のキャバレーで働いた。 ある晩、その日の公演が終わり寮に帰った後のことだった。 ママさんから電話が来た。 「大事なお客さんの接待に付き合ってくれない?」 寝間着代わりのジャージ姿で居酒屋へ行くと、そこに男性が同席していた。 続きは↓ バブル期に日本人との間に婚外子、音信不通になった相手 「もっと冷静だったら」フィリピン女性の記憶(共同通信) - Yahoo!ニュースフィリピン人のマリア(59)=仮名=は1986年、ダンサーとして日本にやって来た。二つの国を往復しながら働き、4回目の来日時に出会った日本人男性との間に長男をさずかった。「あの人は私と息子のためにマYahoo!ニュース…