1: 名無しのがるび 2025/12/06(土) 12:34:31.33 ID:v8Te6Ktz0 15年に自した兄の葬儀が教団の教義に沿って行われたことなどをきっかけに、教団幹部への襲撃を考えるようになり、19年に韓鶴子総裁が来日した際、火炎瓶での襲撃を試みたが失敗したと述べた。「対象以外の人に危害が及ぶ」と考え、銃による襲撃を考え始めたと語る一方、手製銃の威力については「半分おもちゃのような、ごみみたいなもの」と表現した。 検察側の質問では、手製銃を計10丁作製した経緯を詳述し、パイプを重ねた構造について、ゲームを参考にしたと明らかにした。安倍氏への襲撃を決意した時期は「頭の片隅にはあったが、確定したのは22年7月以降」と述べた。…