今年のノーベル賞を惜しむ前に(ハンギョレ) 10月に発表されたノーベル賞受賞者名簿に日本人2人が名前を上げた。 (中略) 日本が科学分野で多数の受賞者を輩出したことがうらやましいのは、ただその数が多いからではない。 そのうち相当数が日本自ら養成した在来種の研究者だという点のためだ。 今年の受賞者2人も、京都大学で博士号を取得し、日本で長い間活動してきた。 それだけ日本は国内の学問基盤が堅固で、あえて米国やヨーロッパに留学しなくても世界で認められる研究成果を出せるという信念がある。 政府と大学と企業と社会が協力して形成した自生力のある学問生態系を後押しするために可能なことだ。 韓国人の中にも理工系に優れた研究者が多い。 しかし、彼らの大半は外国、特に米国に留学し、博士号を取得した後、可能であれば米国に残る道を選ぶ。 帰国して国内の大学や研究機関に定着した人たちも、自分の教え子が留学に行くなら積極的に止めない。 留学が最新の研究成果を受け入れるのに役立つためでもあるが、韓国の大学と社会全般の理工系研究と教育インフラが不十分で、在来研究者に対する国内大学の認識と待遇が薄いと見るためだ。 (中略) これを韓国の大学構成員の過ちだけに回してはならない。 無気力と冷笑は長年の経験を通じた学習の産物だからだ。 世界のどこと比べても、韓国の大学のように教授が教育と研究のほかに行政業務にこだわるケースは見当たらない。 研究プロジェクトの多くは短期的な成果を出すことに専念するように設計されている。 研究プロジェクトをしていると、教授はいつの間にか研究専門家ではなく、プロジェクトを受注し、結果物を要領よく作り出す行政の達人になる。 危険と失敗の可能性が大きい革新的研究は、努めて無視しなければならない。 才能があり、チャレンジ精神に満ちた人材をこのような風土で育てることができるだろうか? たとえそのような人材がいるとしても、どの教授が彼を韓国の大学に残るよう果敢に勧めることができるだろうか? (中略) ノーベル賞は受賞者個人と彼が属した国に劣らず彼を育てた学問生態系の栄光だ。 その点で私は相変らず日本が羨ましい。 韓国の理工系研究者たちがノーベル賞を受賞できないと責める前に、韓国社会が彼らにきちんとした研究環境を提供したのか振り返ってみなければならない。 (引用ここまで) 年の瀬も迫って、今年のノーベル賞総括の時間となった模様です。 韓国の研究者はすぐアメリカに向かってしまう。 たとえ韓国に帰ってきても、学生がアメリカに向かうことを止めはしない。 研究者の継承が行われず、まるで不妊となっているかのようだ。 日本の研究体制がうらやましい、と。 まあ、現行の日本の研究体制がそんないいもんなのかって問題はある置いておいて。 久々の日本による自然科学部門のノーネル賞ダブル受賞がだいぶ効いているっぽいですね。 何度も何度も語っているように、韓国人の中では「韓国人こそが世界最優秀民族」なのです。 もうあえて言うまでもないくらいに。 なのでPISAとか数学オリンピックで高い成績を取ると「見たことか、これが韓国人の実力だ!」とかやってしまう。 U-17女子ワールドカップで優勝しただけで優勝パレードしてしまうのです。 で、その観念に反する「PIAACで低い点数を取る」とかについてはほとんど無視するっていう。 PIAACで日本が高い位置にいるとか、韓国メディアはいっさい報じてませんからね。 いや、真面目な話。本当にいっさいないです。 なので、「韓国人がノーベル賞を取れない理由」は「研究環境が悪い」とかなんですよ。 別に環境が悪くても本当に卓越してたらチャンドラセカール・ラマンみたいに受賞できるはずなんですけどね。 科学ってそういうもんだし。 note.comで楽韓noteを開設しています。中味は楽韓Webを濃厚に仕立てた長編記事。最新の記事は「 迷走と株価乱高下を繰り返すウェブトゥーン、明日はどっちだ?(ないかも) あ、今回は個別コンテンツにも触れます 」となっています。 また、楽韓noteマガジンを発刊しました。月に6〜800円くらいになる有料記事が全部読めて月額500円。だいぶお得になってます。 Twitterで更新情報をお伝えしています。フォローはこちらから→Follow @rakukan_vortex…