
転載元: それでも動く名無し 2025/10/12(日) 15:34:00.33 ID:rtl9+9nL0 2軍監督時代、1軍の監督だった野村克也氏と「考え方が合わなかった」と告白。 その理由について「野村さんは2軍では短所を直せと言われた。俺は、スカウトからのレポートも色々あって、長所を伸ばしてやりたかった。とくに高校生ね」と説明した。 さらに同氏は「だから1年間は、バッティングコーチに教えるなと言った。好きなように打たせろと。それは、こういう打ち方をして、プロ野球のスカウトの目に留まったわけだから、最初から打ち方を直すなと」と回想。 続けて「頭を打ったときにはね、絶対に、『僕はどうしたらいいんですか? 打ち方がわかりません』と絶対に言ってくると。そこまで我慢して待てと言った」と語った。 ■忠告を破ったコーチが… 番組MCが「でも、待てるコーチは少ないでしょ」とツッコミを入れると、岡田氏は「少ない。桜井のときにあったよ。室戸キャンプでね、初日にフリーバッティングを見たときに、『1年目から4番で使うから、1年間もう放っておけ』と言った」と元阪神の桜井広大氏に言及。 岡田氏は教えないよう忠告したものの、2人の打撃コーチが夜間練習で「取り合い」をしていたそうで、「『俺が2軍のときに教えた!』というのを見せたいわけよ、コーチは。それはやめろと言うてんのにね、自分の手柄にしたい、桜井が活躍したときに」と振り返った。 2: それでも動く名無し 2025/10/12(日) 15:34:05.52 ID:rtl9+9nL0 当時を振り返り「初日からやった。 初日は俺、室戸市長との会食があったから、夜間練習に行けなかったんよ」と語る。 続けて「もうほかのコーチから『取り合いしてました』って聞いたね。それがあかんねん。だからそういうコーチに巡り合うのも、選手の運もあるからしゃーないけどな」とコメントしていた。 ■将来の4番候補といわれた桜井氏 岡田氏が才能を認めた桜井氏は、2001年のドラフト会議でPL学園高校から阪神に入団。長打力のある打撃がウリで、将来の4番候補として期待された。 ところが2006年まで1軍出場経験がなく、2007年に1軍初出場。2009年には103試合に出場して打率.302、12本塁打、42打点と好成績を残したが、以降は怪我もあり2011年に戦力外通告を受けた。 コーチの指導で「才能が潰された」とまでは言い切れないが、当時の打撃コーチが岡田氏の忠告を守っていた場合、違う未来が待っていた可能性もあったのかもしれない。…