1 名前:少考さん ★:2025/10/02(木) 09:40:52.34 ID:ioXVqu+X9.net 「めっちゃ勉強した」 ニーとニャン、ベトナム料理店営む姉妹が日本語磨いた5年半 - 産経ニュース 2025/10/2 09:00 ベトナム人姉妹のグエン・ティ・ゴック・ニーさん(25)とグエン・ティ・ゴック・ニャンさん(24)は8年前に来日した。大阪府八尾市立八尾中学校夜間学級に2年間通い、進学した大阪府立布施高校定時制課程(東大阪市)を昨春卒業。現在、姉は八尾市内でベトナム料理店を開き、妹は製造会社で事務の仕事を終えてから店を手伝う。夜間中学や高校での学びが、日本での暮らしを支えているという。 近鉄・河内山本駅から徒歩5分あまりのところにあるベトナム料理店「SON(ソン)」。二人が学校に通いながら介護などの仕事をして貯めたお金をもとに、昨冬オープンした。「介護の仕事も好きですが、新しい環境で新しいことに挑戦したい、ベトナム料理を通してベトナムのことをもっと知ってもらいたいと思いました」とニーさんは言う。 ベトナム式サンドイッチ「バインミー」など気軽にベトナム料理を楽しめるメニューをそろえ、テイクアウトもできる。居心地の良い空間づくりを目指した姉妹のこだわりは、白を基調にした店内のお洒落な内装など随所にみられる。 「夜間中学のベトナム人やネパール人の友達、先生たちがよくお店に来てくれます」「高校の日本人の友達も来てくれて、うれしいです」 姉妹の流暢な日本語に驚いた。初めて取材したのは夜間中学を卒業する令和2年春だったが、その頃より日本語がずいぶん上達し、自分の意思を的確に伝えようとしているのが明らかだった。「めっちゃ勉強しましたから」。二人はそう言って、人懐っこい笑顔を見せた。 「とても困っていました」。5年半前の取材時、日本で働いていた両親に呼び寄せられた平成29年当時の状況をたずねると、二人は「困った」という言葉を繰り返した。日本語はまったくわからず、買い物に行っても日本語表記が読めずに間違ったものを購入し、病院に行くにも症状の説明ができないためにお金を払って通訳を頼まなければならなかった。 市役所に相談すると夜間中学を紹介され、30年4月に入学した。ひらがな、カタカナから勉強し、漢字の学習に励んだ。日本語がわかるようになると、日本で生きる自分の未来図の輪郭が見えてきた。高校受験のために毎日始業前に補講を受け、新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた令和2年春、そろって希望校に合格した。 臨時休校が明けてスタートした高校生活は驚きの連続だった。夜間中学にはなかったテストがある。教科が一気に増え、古文や漢文も学ぶ。「ふつうの日本語も難しいのに…」とニャンさんは苦笑しながら、「卒業できるようにめっちゃ頑張りました」と振り返る。何より、先生が授業で話す日本語を理解するのに必死だった。 八尾市には40年以上前にベトナムからのボートピープル(難民)が移り住み、国内有数のベトナム人コミュニティーがある。地元の夜間中学にはベトナム人生徒が多く在籍し、先生はゆっくりと日本語を話す。通訳が入る授業もあり、ベトナム語で自分の考えを伝えることもできた。 だが、高校で外国人の生徒は少なく、クラスでは姉妹だけ。「先生は授業中、ふつうに日本語を話しますが、それは私たちにはめちゃ速くて、わからなくて大変でした。日本語で話さないと、自分の思っていることも伝わりません」 朝早く起きて仕事に出かける前にも、仕事の休憩時間にも勉強した。始業前に登校して日本語を教わったり、午後9時過ぎに授業が終わった後も教室に残って復習したりした。先生たちは根気強く教えてくれ、相談にも乗ってくれた。高校でできた日本人の友達は皆やさしく、「頑張って」といつも応援してくれた。 「1年生のときは授業が本当に難しかったけど、2年生からは先生の説明がだいたいわかるようになりました」と二人は満面の笑みを浮かべた。 夜間中学で日本語の基礎を身につけ、高校で日本語力に磨きをかけた。とりわけ、日本で暮らす不安を解消してくれた夜間中学への思いは深く、二人は「卒業して5年以上たちますが、感謝の気持ちはずっとあります」と口をそろえる。 8年前と異なり、生活する上で日本語が理解できずに困る場面はあまりない。むしろ、日本語がわからないベトナム人の友人や親戚らの通院に付き添うなど、支援する側に回る機会が増えた。ニーさんは卒業した高校などでベトナム人生徒の隣に座って先生の言葉を伝えることがあり、ニャンさんも勤務する会社の技能実習生の通訳をすることがあるという。 (中略) 「夜間中学はいま」の本が好評発売中 (後略) ※全文はソースで。 引用元:…