1. 匿名@ガールズちゃんねる 室町幕府の足利義政の時代、日本の大使が北京へ朝貢に赴いています。 その時の『明史』「日本伝」の記述 「景泰四年、入貢す。臨清に至りて居民の貨を掠す。指揮有り行きて詰するに、殴りて幾ど死なんとす。所司執えて治さんと請う。帝、遠人の心を失うを恐れ、許さず」 日本の正式な使者なのですが、行く先々の村で殺人と略奪を繰り返し、それを止めようとした役人に瀕死の重傷を負わせ……といった有様でしたから、日本人を逮捕処罰してほしいとの嘆願書が来きます。しかし、その時の皇帝・景泰帝は日本との交流を重視して、なんらお咎めなしで済ませました。 それだけ日本は重要な国ではありましたが、これで一気に明における日本人の印象が悪くなったそうです。 2025/08/21(木) 09:43:11…