19世紀のアメリカの都市で売られていた牛乳は、上に浮いたクリームを抜き取ってから水で薄めたものが珍しくありませんでした。青白くなった液体はチョークや石膏の粉で白く塗り直し、ときにはすりつぶした子牛の脳でクリームの層まで偽装します。世紀末には、葬儀社が遺体の防腐処理に使っていたホルムアルデヒドを入れて日持ちさせるようになりました。海外掲示板では「普通に牛乳を売るより手間がかかってないか?」という素朴な疑問から話が広がりました。 ※注:エンバーミング(遺体の防腐処理)は、葬儀までのあいだ遺体が傷まないよう薬剤で処置すること。アメリカでは広く行われていて、ホルムアルデヒドはその薬剤として使われていました。 今日の知ってた? 🥛 19世紀のアメリカの都市では、牛乳のクリームを抜いてから水で薄めるのは珍しくなかった。科学ジャーナリストのデボラ・ブラムによると、定番の配合は牛乳1クォート(約0.95リットル)にぬるま湯1パイント(約0.47リットル)。できあがりの3分の1が水になる。 🎨 水っぽく青みがかった液体は、染料やチョーク、石膏の粉で白く色を付け直した。濃いクリームに見せるため、すりつぶした子牛の脳で黄色っぽい層を作ることもあった。 ⚰️ 19世紀の終わりには、葬儀社の防腐処理から転用されたホルムアルデヒドが牛乳の防腐剤として広まった。新聞はこうした牛乳を「防腐処理された牛乳(embalmed milk)」と呼び、子どもを中心に死者が出ている。 ⚖️ ホルムアルデヒドが食品から締め出されたのは、1906年の純正食品・薬品法から。今のFDA(米食品医薬品局)の規制の出発点になった連邦法だ。 背景:「スウィルミルク」の街、ニューヨーク 牛乳の混ぜ物が早くから問題になったのはニューヨークです。1850年代のニューヨークには、ウイスキーなどの蒸留所の隣に牛舎を建て、蒸留で出た穀物の搾りかす(スウィル)を牛に食べさせる牧場がありました。こうした牛から搾った乳は「スウィルミルク」と呼ばれます。薄くて青みがかっていたため、石膏で白くし、でんぷんや卵でとろみを付け、糖蜜で色を足して売られていました。 ジャーナリストのジョン・ムラリーは、1853年の著書『ニューヨークとその近郊の牛乳取引』で、細菌だらけの牛乳やわざと混ぜ物をした牛乳のせいで、ニューヨーク市では毎年何千人もの子どもが死んでいると告発し、「警察は何をしているのか」と問いました。けれども当時は、こうした混ぜ物を違法とする法律そのものがありませんでした。 1858年5月、『フランク・レスリー絵入り新聞』が蒸留所付き牧場の実態を大々的に報じます。ニューヨーク・タイムズも「綿密に計算した統計によれば、昨年この市だけで、スウィルミルクが8,000人を超える子どもを死なせた」と書きました。世論に押される形で、1862年にはニューヨーク州で牛乳を規制する法律がつくられています。 もう少し詳しく 「防腐処理された牛乳」。冷蔵設備が乏しく、牛乳がすぐに傷んだ時代、いちばん人気のあった防腐剤がホルムアルデヒドでした。葬儀社が取り入れたばかりの防腐処理から転用されたもので、化学メーカーは「アイスライン」「プリザーバリン」といった当たり障りのない商品名で売り出しています。腐りかけて売り物にならない牛乳を、売れる状態に戻せる。この便利さのせいで、死者との関係が指摘されても、業者は使うのをやめませんでした。 インディアナポリスの孤児院。インディアナ州の保健当局トップだったジョン・ハーティは、1899年には牛乳へのホルムアルデヒドの使用をやめるよう訴えていました。同じ年、州の純正食品法が成立しましたが、取り締まりや検査に回す予算はつきませんでした。1900年の夏、地元紙インディアナポリス・ニューズは、市の孤児院で乳児3人がホルムアルデヒド中毒で死亡したと報じます。その2年前にも、少なくとも30人の子どもがこの防腐剤が原因で亡くなっていたとされます。ブラムの記事によると、ホルムアルデヒドは本当に赤ん坊に害があるのかと聞かれたハーティは、「牛乳に入れているのは遺体の防腐処理液ですよ。赤ん坊を防腐処理したいのなら、それでも構わないでしょうがね」と答えています。ハーティ自身は、ホルムアルデヒドや汚れ、細菌の入った牛乳で死んだ子どもは400人を超えると訴えていました。 「毒物部隊」と1906年の法律。国の側では、農務省の主任化学者ハーヴェイ・ワイリーが食品の混ぜ物や添加物の危険を訴えていました。1902年、議会から5,000ドルの予算を得たワイリーは、健康な若い男性の志願者を集め、ホウ砂やサリチル酸、ホルムアルデヒドなどの防腐剤を決まった量だけ混ぜた食事を食べてもらい、体への影響を調べます。新聞は彼らを「毒物部隊(ポイズン・スクワッド)」と呼びました。1906年には、アプトン・シンクレアの小説『ジャングル』が食肉工場の不衛生を暴いて世論を動かし、同じ年の6月30日、セオドア・ルーズベルト大統領が、主にワイリーが書いた純正食品・薬品法に署名しました。この法律でホルムアルデヒドはようやく食品から締め出され、運用を担った農務省化学局は、のちの組織替えと改名を経て、1930年に今のFDAという名前になっています。 加熱殺菌が当たり前になるまで。牛乳を加熱して殺菌する方法は19世紀の後半から提案されていましたが、アメリカで標準的な処理になったのは1930年代のことです。スーパーで当たり前に買える安全な牛乳は、意外と新しいものなのです。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 水で薄めて、チョークで白くして、子牛の脳でクリームを作って……。どう考えても、普通に牛乳を売るよりこっちのほうが手間がかかってる気がするんだが。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) それがそう単純でもなかったらしい。当時の客が牛乳に期待してたのは、クリームの乗った濃い牛乳で、脱脂乳なんてほとんど売れない。でもクリームはクリームで別に売れる。だからクリームを抜いた残りに細工して、「濃い牛乳」に見せかけてたわけだ。 3. 海外の名無しさん(>>1への返信) それに冷蔵庫のない時代だからな。牛乳なんてあっという間に傷む。酸っぱくなりかけて売れなくなった牛乳を、なんとか売り物に戻すための手間だったんだと思う。 4. 海外の名無しさん 規制なんて面倒なだけ、お役所仕事だって言われがちだけど、こういう話を読むと、食べ物の決まりが何のためにあるのかよく分かる。放っておいたら、儲かるなら毒でも売るんだよ。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 「安全規則は血で書かれている」って言葉があるよね。どんなにばかばかしく見える決まりも、たいていその裏で誰かが死んだり、けがをしたりしてる。食品と薬の決まりはとくにそうだと思う。 6. 海外の名無しさん(>>4への返信) ただ、この件に限っては役所が業者の味方だったんだよ。1850年代のニューヨークで市の衛生調査を任されたのは、蒸留所側をかばっていた市会議員で、調査は結局業者を擁護する形で終わった。その議員はのちに「スウィルミルク・トゥーミー」なんてあだ名まで付けられてる。事態を動かしたのは新聞の告発記事のほうだった。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 安全な牛乳の話だと、1893年にニュージャージー州の医師ヘンリー・コイトたちが始めた「認定牛乳」もあるね。医者の委員会が自分たちで基準を決めて牧場を検査して、満たした牛乳にお墨付きを出す仕組み。法律が追いつく前に、医者のほうが先に動いたんだ。 8. 海外の名無しさん 昔の人がやたらタフだったのは、こういう牛乳を飲んでも生き残った人だけが大人になれたからなのでは。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) 年寄りの定番の自慢話に「わしらの若いころは、雪の中を行きも帰りも上り坂で学校に通ったもんだ」ってのがあるけど、そこに「しかも子牛の脳入りの牛乳を飲んでな」が加わるわけか。勝てる気がしない。 10. 海外の名無しさん 「すりつぶした子牛の脳でクリームに見せかけた」のところで、いったん読むのをやめた。そこまでして白い液体を売りたかったのか。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) デボラ・ブラムの本だと、「ときには」子牛の脳を使った、っていう書き方だった。毎日入ってたわけじゃないらしい。……いや、ときどきでも十分アウトだけど。 12. 海外の名無しさん 子牛の脳まではまだ「うわっ」で済んだけど、防腐処理液のところで無理になった。葬儀屋が遺体に使うあれだよね?ホルムアルデヒドを牛乳に入れてたってこと? 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) そう、ホルムアルデヒド。腐りかけた牛乳に入れると菌が増えるのを抑えられて、においもある程度ごまかせたらしい。当時の新聞はこういう牛乳を「防腐処理された牛乳」って呼んでたそうだ。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) しかも、薄めるのに使った水がきれいだったとはとても思えない。脳やホルムアルデヒドがなくても、その水だけで子どもがひどい下痢になって命を落としかねないよ。 15. 海外の名無しさん こういう歴史こそ学校で教えるべきだと思う。毎朝当たり前に飲んでる牛乳が安全なのは、誰かが怒って戦ってくれたからなんだよな。 16. 海外の名無しさん(>>15への返信) 高校の文学の授業で、アプトン・シンクレアの『ジャングル』を読まされた。主人公の一家が角の店で買う「薄青い牛乳」が、水で薄められたうえにホルムアルデヒドまで入っていた、って一節がある。先生がわざわざそこを取り上げてたのを覚えてる。読んでてつらい本だった。 17. 海外の名無しさん(>>15への返信) 酪農が盛んなウィスコンシン州の住人だけど、うちの州ではちゃんと教わる。州立大学には、牛乳の脂肪分を確かめる検査法を1890年に考えたバブコック博士の名前が付いた建物まであるんだ。水増しやクリーム抜きを見破るための検査だよ。 18. 海外の名無しさん 2008年の中国の粉ミルクへのメラミン混入事件を思い出した。たんぱく質の検査をごまかすために混ぜて、赤ちゃんに死者まで出た。100年以上たっても、考えることが同じなのが怖い。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) イギリスにも似た話はいくらでもあるよ。1820年にはアークムっていう化学者が、食品の混ぜ物を告発する本を出してる。パンをミョウバンで白く見せる手口なんかが載ってて、アメリカだけの話じゃないんだ。 20. 海外の名無しさん いまだに分からないんだけど、子牛の脳をすりつぶす手間と材料代って、本物のクリームを残しておくより安くついたの?そこだけどうしても計算が合わない。 21. 海外の名無しさん この時代の話をもっと知りたいなら、ハーヴェイ・ワイリーの「毒物部隊」を調べてみてほしい。若い志願者に防腐剤入りの食事を食べさせて、体への影響を確かめた政府の化学者の話。アメリカの公共放送PBSがドキュメンタリーにしてる。 22. 海外の名無しさん その後もいたちごっこは続いて、クリームを抜いた牛乳に別の油を混ぜた「フィルド・ミルク」が出てきて、1923年に議会で禁止された。その禁止をめぐる1938年の裁判が、憲法の授業でおなじみの最高裁判例になってるんだから、牛乳の歴史は奥が深い。 23. 海外の名無しさん 「もう安全なんだから、規制なんていらない」って言う人がいるけど、順番が逆なんだよ。今の牛乳が安全なのは、規制があるからであって、規制があるのに安全なわけじゃない。 24. 海外の名無しさん 今朝、冷蔵庫から出した牛乳のラベルを思わずじっくり読んでしまった。原材料の欄が短いのが、こんなに頼もしく見えたのは初めてだ。 まとめ 19世紀のアメリカの牛乳は、クリームを抜いて水で薄め、チョークや石膏で白く塗り直し、ときには子牛の脳でクリームを装い、ホルムアルデヒドで日持ちさせた「作り物」でした。コメント欄では「普通に売るより手間では」という疑問への答えが次々に挙がり、食品の決まりは犠牲の上にできているという声が多く集まりました。一方で、当時の役所はむしろ業者をかばい、事態を動かしたのは新聞や医師だったという指摘もありました。 元ソース: 19世紀のアメリカの酪農業界は、水で薄めた牛乳を売っていた。青みがかった灰色になった液体を染料やチョーク、石膏の粉で色付けし直し、すりつぶした子牛の脳でクリームの見た目を偽装した。牛乳はしばしば細菌だらけで、遺体の防腐処理液で保存されていた The post 「ときには、すりつぶした子牛の脳でクリームの層まで偽装した」水で薄めてチョークで白く…19世紀アメリカで売られていた”牛乳”の中身とは? 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