1: 名無しのがるび 2025/11/11(火) 07:54:27.17 ID:S+CCAxb00 結論から言おう。 地方在住者は一生、東京コンプレックスから逃れられない。 ぬその瞬間まで、心のどこかで東京を見つめ、測り、比べ続ける。これは感情の問題ではない。日本という国の構造がそう作ってしまったのだ。 ■ 東京は「上」だと刷り込まれて生きている 日本語の「上京」という言葉に、すでに答えがある。 大阪からでも、福岡からでも、札幌からでも、「上京」なのだ。 東京だけが「上」であり、それ以外の場所は「下」だという価値観が、言語のレベルで固定されている。 地方で生まれ育った人は、無意識のうちにこの階層構造を内面化している。 「東京で働く」「東京で暮らす」ということは、単なる選択ではなく、ステータスの証明であり、人生の正解ルートだと教え込まれてきた。 その構造の中で地方に残るということは、常に「選ばれなかった側」に立つことを意味する。 ■ 「負けた」と言えないまま、心に棘が残る 地方に残る選択をした人も、堂々としているように見える。 「東京なんて息が詰まる」「こっちは自然があって最高」と言う。 だが、その言葉の奥には、負けたという意識を否定するための防衛本能がある。 SNSを開けば、東京の友人たちが洒落たカフェで笑い、最新スポットを歩き、都会の夜景を背に語っている。 それを眺めながら、地方の駅前のシャッター街を歩くとき、胸の奥でわずかな痛みが走る。 その痛みこそが、東京コンプレックスだ。 一度それを感じてしまえば、もう二度と完全には消えない。 結婚しても、家庭を持っても、仕事で地位を得ても—— 心の片隅には、いつも「東京だったらどうだったか」というもう一つの人生が横たわっている。…