国境の検問所で、犬を連れた警備員が一台の車のトランクに近づいてくる。中には、KGBに追われている男が体を折り曲げて隠れている。そこで同行していたMI6の工作員が始めたのは——トランクのふたの上で、赤ん坊のおむつを替えることだった。1985年、ソ連からひとりの二重スパイが逃げ出した日の話である。 ※注:元のスレッドはイギリス英語で書かれている。boot は車のトランク、nappy は紙おむつのこと。 今日の知ってた? 🕵️ 1985年、ソ連の情報機関KGBの高官でありながら、長年イギリスの情報機関MI6へ情報を渡し続けていた男が、モスクワへ呼び戻された。彼は薬物を使われたうえで何時間も尋問されたが、用意していた説明を最後まで崩さなかった。その後MI6の手引きで車のトランクに身を隠し、フィンランドとの国境へ向かう。検問で犬を連れた警備員がトランクに近づいたその瞬間、同行していたMI6の工作員がふたの上で汚れたおむつを替え始め、犬はそのまま通り過ぎていった。男の名はオレグ・ゴルジエフスキー。 背景:KGBの内側にいた、イギリスの情報源 1985年の冷戦は、まだ終わりの気配を見せていなかった。ソ連と西側は互いの国に大使館を置き、外交官を送り合っていたが、その建物のなかには必ず情報機関の人間が混じっていた。表向きは書記官や商務担当として振る舞い、実際には相手国の内情を集める。ソ連側のKGBも、イギリス側のMI6も、やっていることは同じである。違うのは、失敗したときに待っている結末のほうだった。 ゴルジエフスキーはKGBの側の人間だった。しかも末端ではない。彼はロンドンのKGB拠点を率いる立場に就くことが決まっていたとされる。相手国の首都で、ソ連の情報活動を統括する役目である。その男が、長年にわたってイギリスに情報を渡していた。KGBの内側から見た組織の判断や動きが、そのままMI6へ流れていたということになる。 本人が挙げた動機のひとつは、思想ではなく風景だった。若いころデンマークに駐在した彼は、街に音楽や芸術があふれているのを目にして、自分の国との落差に打ちのめされたという。当時のソ連には芸術に社会主義的な意味を求める建前があり、表現の幅はあらかじめ削られていた。彼を動かしたのは政治の理屈ではなく、そこにある暮らしの色の違いだった。 ただし、ソ連から西側へ逃げるのは容易ではない。出国そのものが管理され、家族は国内に残される。疑いを持たれた時点で監視が始まる。亡命とは、飛行機の切符を買うことではなく、国境の内側から誰にも気づかれずに消えることを意味していた。 もう少し詳しく 呼び戻しの通知は、断ることが自白になる種類のものだった。ロンドンにいた彼はモスクワへ戻るよう命じられる。応じなければ、それだけで疑いを認めたことになる。応じれば、待っているのが何かは想像がつく。伝わっているところでは、彼もMI6の担当官も、これが罠である可能性を強く感じていた。それでいて、どちらも相手の判断に影響を与えたくないという理由から口を開かず、決断は彼ひとりに残された。 モスクワで彼を待っていたのは、長時間の尋問だった。薬物を使われ、何時間もかけて追及された。それでも彼は、あらかじめ組み立てておいた説明を最後まで押し通している。KGBは彼への疑いを捨ててはいなかったが、決定的な証拠をつかむには至らなかった。この「崩さなかった」という一点が、その後のすべての前提になる。 脱出の段取りは、腰痛から始まった。スレッドで語られていた話によれば、実行に当たったのはモスクワ駐在の外交官として暮らしていたMI6の面々で、二組の夫婦が動いている。表向きの理由は「腰を痛めた者がフィンランドの医者にかかりに行く」というもので、その人物は決行の一週間前から痛みを訴え続けていた。住まいが盗聴されている前提だったため、聞かれていることを逆に使ったわけである。夫婦連れ、しかも赤ん坊まで乗った車は、国境へ向かう車列のなかでいかにも自然に見えた。 そして国境で、犬を連れた警備員が近づいてきた。トランクの中には人がいる。ここで開けられれば終わりである。工作員はトランクのふたを台にして、赤ん坊の汚れたおむつを替え始めた。使用済みのおむつの匂いが漂うなか、犬はそれ以上トランクに関心を示さず、警備員も足を止めなかった。作戦のなかで最も高価な装備が働いた場面ではなく、いちばん所帯じみた小道具が効いた場面である。彼は国境を越え、そのままイギリスへ渡った。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 「MI6の工作員がトランクのふたの上で汚れたおむつを替えた」ってさらっと書いてあるけど、待ってほしい。赤ん坊が現場にいたということだよね。KGBから人ひとりを助け出す作戦に、赤ちゃんを連れていったの? 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) そう。工作員のひとりが自分の赤ん坊を連れていった。あとで詳しい記事を読んだら、二組の夫婦が一緒に動いていて、少なくともそのうち一組が赤ん坊を連れていたらしい。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) 彼らは表向き、モスクワに駐在する外交関係者ということになっていた。ああいう立場だと家族を帯同するのはむしろ普通で、大人の男が二人だけで国境へ向かうより、家族連れのほうがよほど自然に見える。 4. 海外の名無しさん 大学の授業で本人の書いた本を読まされた。いちばん記憶に残っているのは、デンマークに駐在していたときに、街に音楽や芸術があふれているのを見て、自分の国との落差に打ちのめされたというくだり。決め手になったのは思想の話ではなかったらしい。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 時期によって揺れはあったけれど、ソ連は基本的に社会主義リアリズムの国だった。芸術は社会主義的な意味を持つべきだ、という建前がある。考古学者ですら、古い壺を掘り出した論文に「この発見はレーニン主義とこう結びつく」と書き足していた時代がある。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) 根っこにあるのは、何でもかんでも階級闘争の話に落とし込む発想だと思う。土器のかけら一つでも、その気になればプロレタリアートの物語に仕立てられてしまう。 7. 海外の名無しさん(>>5への返信) 皮肉なのは、彼が国を出たのとほぼ同じ時期にゴルバチョフが指導者になり、そこから数年で芸術に対する国家の締め付けが目に見えて緩んでいったこと。もう少し待っていたら、彼が絶望した風景のほうが先に変わっていたかもしれない。 8. 海外の名無しさん 彼の半生を追った『The Spy and the Traitor』という本を読んだ。日本語版も出ている。脱出の場面はそのまま映画一本分で、両陣営のうっかりミスあり、とっさの機転あり、正真正銘のカーチェイスありの盛りだくさん。しかも彼は当時、ロンドンのKGB拠点を率いる立場に就くことが決まっていた。末端の駒ではないのがまた効いている。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) 終盤がすごい。国じゅうに追われている最中のはずなのに、途中でヒッチハイクして町まで出て、何食わぬ顔で一杯やってくる場面がある。張りつめっぱなしで進まないところが、かえって本当にあった話らしい。 10. 海外の名無しさん(>>8への返信) その本によると、待ち合わせの場所にも遅れかけたらしい。近くの宿に寄ってビールを飲み、そのまま少し眠ってしまったせいで。人生が懸かっている日にそれをやるのか、と思わず声が出た。 11. 海外の名無しさん この話、前にどこかの映像作品で見た覚えがあるんだけど、タイトルがどうしても出てこない。トランクに隠れて国境を越える場面だけ、やけに鮮明に頭に残っている。誰か心当たりはないだろうか。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) 2020年にアメリカのスミソニアン・チャンネルで放送された『スパイ・ウォーズ』という番組で、俳優のダミアン・ルイスの案内のもと、この人物の回が組まれている。回のタイトルは「世界を救った男」。記憶にあるのはそれかもしれない。 13. 海外の名無しさん 脱出の前、KGBが彼の部屋に忍び込んで、靴に放射性の物質を塗り、居場所を追えるようにしていたという話も残っている。信じがたいけれど、当時の追跡手段としてはさほど珍しくなかったらしい。 14. 海外の名無しさん 自分の家が盗聴されている前提で毎日を暮らす、というのが想像を超えている。うっかり口を滑らせたら終わりで、しかもその「終わり」の中身がこちらの想像の外にある。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 当時モスクワに駐在していたイギリス側の関係者は、込み入った相談をするときは布団をかぶって手書きのメモをやりとりし、読み終わったら食べるか流すかしていたそうだ。会話が成立しない前提で暮らすというのはそういうことらしい。 16. 海外の名無しさん(>>15への返信) それなら煙草を自分で巻く人がいちばん強い。巻紙に用件を書いて、相手に読ませて、そのまま火をつければいい。証拠隠滅の手際としては完璧すぎる。 17. 海外の名無しさん イギリス側は事前にフィンランドの情報機関へ「ソ連からある人物をフィンランド経由で連れ出したいが構わないか」と打診していたという話がある。先方の責任者は「騒ぎさえ起こさないなら」という条件つきで了承したとか。表向きはソ連と良好な関係を保ちながら、水面下ではソ連の工作員を追っていた国だから、絶妙な返事だと思う。 18. 海外の名無しさん ところでこの作戦に加わった赤ん坊、いまはもう四十歳を超えている計算になる。人生最大の手柄が生後一年で終わっている可能性があるのが、少しだけ気の毒だ。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) 生後一年にして「実務経験二年」。求人票がしれっと要求してくる、あの成立しないはずの条件を満たしている唯一の存在かもしれない。しかも職歴欄に書けるのがMI6である。 20. 海外の名無しさん(>>19への返信) 「お名前は?」「ボンド。ばぶばぶ・ボンドです」。哺乳瓶はもちろん、ステアせずにシェイクで頼む。 21. 海外の名無しさん 笑って読んでいたけれど、冷静になると笑えない。もし途中で露見していたら、KGBは工作員の口を割らせるために赤ん坊を持ち出すことも辞さなかったはずで、親はそれを承知のうえで連れていったことになる。 22. 海外の名無しさん(>>21への返信) 外交官の身分があったから、最悪でも即刻の国外退去で済んだ可能性は高い……と思いたい。もっとも、その「思いたい」に家族全員を懸ける度胸は自分にはない。 23. 海外の名無しさん 正直、最初は話ができすぎていると思った。薬を盛られても口を割らず、トランクに隠れて国境へ向かい、最後は汚れたおむつで犬をやり過ごす。脚本会議なら「さすがにやりすぎ」で削られる展開だと思う。それが本当に起きたという一点が、結局この話のいちばんの驚きだった。 24. 海外の名無しさん いちばん重いのは家族の話だ。彼は妻と子どもをロンドンに残さず、いったん帰国させてしまった。しかも本人も担当官も、モスクワ行きが罠だと薄々分かっていたのに、互いの判断に影響を与えたくないという理由でどちらも口を開かなかったという。 25. 海外の名無しさん(>>24への返信) 五年ほど経って、妻と二人の娘はイギリスに渡ってきた。ただ、夫婦の関係が元に戻ることはなかったそうだ。それでも三人はそのままイギリスで暮らしたという。取り返せたものと、取り返せなかったものが、きれいに分かれてしまった話だと思う。 まとめ 1985年、KGBの高官でありながらイギリスへ情報を渡していたオレグ・ゴルジエフスキーはモスクワへ呼び戻され、薬物を使われた尋問にも用意した説明を崩さなかった。そしてMI6の手引きで車のトランクに身を隠し、国境では工作員がふたの上で赤ん坊のおむつを替えるという方法で犬をやり過ごして、フィンランドへ抜けている。コメント欄で最も伸びたのは「その赤ん坊はもう四十歳を超えていて、経歴に一行だけ異常な項目がある」という笑いだったが、その隣には「失敗していたら赤ん坊がどう扱われたか」という冷えた指摘や、家族を国に残したまま国境を越えるしかなかった代償を惜しむ声も並んでいた。派手な装備でも暗号でもなく、使用済みのおむつが人ひとりの命を救った——という一点で、この話は最後まで妙な現実味を保ち続けている。 元ソース: 1985年にモスクワへ呼び戻されたソ連の二重スパイは、薬物を使われて何時間も尋問されても口を割らず、MI6の手引きで車のトランクに隠れてフィンランドへ脱出した。国境では犬を連れた警備員に見つかりかけたが、MI6の工作員がトランクのふたの上で汚れたおむつを替えたことで難を逃れた The post 「犬を連れた警備員がトランクに近づいた瞬間、工作員はふたの上でおむつを替え始めた」1985年、ソ連から二重スパイが消えた日 appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…