結婚すると夫のほうが妻の一族のもとへ移り住み、土地は母から娘へ渡っていく——約2000年前の英国の墓地に葬られた人々のDNAを調べたところ、あるケルト系の部族がそういう形で暮らしていたらしい、という話が話題になっていました。しかも墓地に眠る人々の多くが、たった一人の女性の系統につながっていたそうです。 ※注:「母方居住(ぼほうきょじゅう)」は、結婚した夫婦が妻の実家の側で暮らす習わしのこと。誰が権力を握っていたかを表す言葉ではありません。この違いが、今回の話ではいちばんの肝になります。 今日の知ってた? 🪦 約2000年前の英国の墓地に葬られていた人々のDNAを解析したところ、女性たちの多くは互いに血がつながっており、男性同士にはほとんど血縁がなかったことが分かった。 👩👧 埋葬されていた人の大半がたった一人の女性の系統にたどりつき、この部族は母方居住——夫のほうが妻の一族のもとへ移り住む形——だったと考えられている。 📜 ただし「土地が母から娘へ受け継がれた」といった部分はDNAが直接示したものではなく、ほかの母方居住の社会から類推した部分を含んでいる。 背景:「母方居住」とは何か 住む場所のルールです。結婚した夫婦がどちらの実家の側で暮らすかには、大きく二つの型があります。妻が夫の一族のもとへ入るのが父方居住、逆に夫が妻の一族のもとへ入るのが母方居住。今回の墓地から読み取られたのは後者のほうです。 血筋のたどり方とも、権力の話とも別です。紛らわしい言葉が三つ並んでいるので、先に整理しておきます。母方居住は「どこに住むか」、母系は「血筋や家名をどちら側でたどるか」、母権制は「誰が社会の権力を握っているか」。三つは重なることもありますが、別々の話です。今回の研究から言えるのは一つ目であって、「女性が支配する社会だった」と読み替えることはできません。 日本にも近い形はありました。婿入りや、夫が妻の家に通う妻問婚のように、夫の側が妻の家へ入る形は日本の歴史にも見られます。時代も地域も条件もまるで違うので「日本も同じだった」とまとめるのは乱暴ですが、「夫が妻の家に入る」という並びが世界のあちこちで独立に成り立っていた、とは言えそうです。 もう少し詳しく なぜ墓から住まいの習慣が読めるのか。墓地に葬られた人々のあいだの血縁関係を調べると、女性たちは互いに血がつながっている一方、男性同士はほとんどつながっていませんでした。つまり女性はその土地で生まれ育ち、男性はよそから入ってきたという並びになります。ここから「夫のほうが移り住んだのだろう」という推定が立ちます。 母から子へだけ渡るDNAがある。細胞の中にはミトコンドリアという小さな器官があり、これが自前のDNAを持っています。ミトコンドリアDNAは母から子へ受け継がれ、父親側からはほぼ渡りません。逆にY染色体は父から息子へだけ渡ります。この二本を分けて見ることで、「母方の系統」「父方の系統」をそれぞれ別々に追えるわけです。 分かっていることと、推し量ったこと。この話題では、そこの線引きが海外のコメント欄でも真っ先に指摘されていました。確実に言えるのは、血縁のある女性たちがまとまって葬られていたこと、男性同士に血縁がほとんどなかったこと、そして共同体の多くが一人の女性の系統にさかのぼれること。一方で、土地や財産がどう受け継がれたかまでは骨とDNAには書かれていません。そこは、現在も知られている母方居住の社会がどう回っているかを参考にした推定です。 ローマ側の記録との関係。ローマの書き手たちは、ケルト系の社会では女性が自分たちの感覚より表に出てくる、という趣旨のことを書き残しています。ブーディカのように軍を率いた女性の名も伝わっています。ただしローマ側の記録には「異民族は自分たちと違って未開だ」と描きたい動機が混ざりますし、そこに出てくる部族と今回の墓地の人々が同じ習わしだった保証もありません。方向が揃っているように見える、という以上には踏み込めない材料です。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 見出しは正確といえば正確なんだけど、誤解を招く書き方だと思う。DNAに「誰の家へ移り住んだか」が書いてあるわけじゃない。墓から分かったのは、血のつながった女性たちがまとまって葬られていたという事実のほうで、相続の仕組みうんぬんは、ほかの母方居住の社会から類推した部分が大きい。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) これは大事な指摘。研究そのものは見出しよりずっと慎重で、確実に言えるのは「血縁のある女性たちが並んで葬られていた」「男性同士にはほとんど血縁がなかった」というところまで。その先は「おそらく」「かもしれない」の積み重ねなんだよね。 3. 海外の名無しさん 遺伝の話としては筋が通ってる。ミトコンドリアDNAは母から子にしか渡らないから、母方の系統だけはきれいに一本でたどれるんだ。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) 補足すると、ミトコンドリアは細胞の中にある小さな器官で、自前のDNAを持ってる。しかも受精のとき父親側のものはほぼ受け継がれない。だから母、その母、そのまた母……とずっと遡れる。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 「ミトコンドリアは細胞の発電所」って理科で暗記させられたやつだ。まさか鉄器時代のケルト人の記事で再会するとは思わなかった。 6. 海外の名無しさん 現実的に考えると合理的だよね。誰が母親かは出産の場に居合わせれば確実に分かるけど、誰が父親かは当時の技術では確かめようがない。財産を確実に血縁へ渡したいなら、母親の側を基準にするのがいちばん間違いがない。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 家系図が母から母へ一本で伸びていくなら、そもそも「この子は本当に自分の子なのか」という揉め事が起きようがないもんな。 8. 海外の名無しさん(>>6への返信) ただ母方をたどる相続には弱点もあって、財産が一つの系統に集まりすぎる。効率が良すぎるというか、いったん傾くと格差が固まりやすい仕組みではある。 9. 海外の名無しさん 言葉がごちゃ混ぜになってる人が多いので整理したい。母方居住は「夫婦がどこに住むか」の話、母系は「血筋をどちら側でたどるか」の話、母権制は「誰が権力を握っているか」の話。今回の研究が示しているのは一つ目であって、三つ目じゃない。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) 見出しだけ読んで「女性が支配する社会だったのか」と思い込んでた。住む場所の決まりと権力の在りかは別、と言われてみればたしかにそのとおりだ。 11. 海外の名無しさん 母方居住そのものは珍しい制度じゃなくて、インドネシアのミナンカバウ、中国のモソ人、北米のイロコイ連邦など、記録に残っているだけでもけっこうな数がある。今も続いている社会だってあるしね。 12. 海外の名無しさん アイルランドの一部の地域では、出産のとき妻が自分の母親の家へ戻る習わしがあったと聞いたことがある。もっと古い時代の名残なのかどうかは分からないけど、なんとなく地続きな気はする。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) イタリアでも、結婚式は妻の出身地の教会で挙げるという習わしが今も残ってる。外国で働いている女性が、出産のときだけ地元に帰ってくるのもごく普通のことだよ。 14. 海外の名無しさん(>>12への返信) 生まれた川に戻ってくる鮭みたいな話だな。理屈より先に習わしとして残っているところがおもしろい。 15. 海外の名無しさん 制度の上では父親が家長ということになっていても、実際の家の中では母親が最終決定権を握っている家庭はかなり多いと思う。「うちは父さんが家長だ」と言っている家ほど、実権は母親にあったりする。 16. 海外の名無しさん ローマ側の記録にも、ケルト系の社会では女性が思ったより表に出てくると書かれていて、ブーディカのように軍を率いた女性の話も伝わっている。そういう断片と今回の墓地の話が、同じ方向を向いているようには見えるよね。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 方向が同じに見えても、直接つなげるのは慎重にしたほうがいい。ローマの記録には「あいつらは我々と違って野蛮だ」と書きたい動機が混ざっているし、ブーディカの部族と今回の墓地の人たちが同じ習わしだったという保証もない。 18. 海外の名無しさん もしローマがアルプスを越えるのがあと数十年遅れて、アルプスの北のケルト系の社会がもう少し育つ時間を持てていたら、いまの世界はずいぶん違っていたかもしれない。土地を共同で持つ考え方も含めて、残らなかったものが多すぎる。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) それはどうかな。半分遊牧の戦士集団から、定住して国家の仕組みを作り上げるまでの途中の段階が、いちばん弱いんだよ。当時の彼らはまさにその途中で、東から押されて南から削られていた。あと百年あっても厳しかったと思う。 20. 海外の名無しさん 体を青く塗っていて、やたらと喧嘩っ早くて、身長15センチくらいのあの一族の話かと思った。ディスクワールドに出てくる小人たちのことだけど。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) ピクト人のことなら、体を青く塗っていたのと喧嘩っ早かったのは本当らしいよ。身長のところだけが違う。 22. 海外の名無しさん 歴史の話にここまで身構える人がいるのが不思議だ。二千年前の誰かがどこに住んでいたかが分かったところで、今の自分の何かが減るわけでもないだろうに。 23. 海外の名無しさん 日本にも婿入りや妻問婚のように、夫のほうが妻の家に通ったり移ったりする形があったはず。もちろん時代も条件も違うから同じ制度とは言えないけれど、「夫が妻の家に入る」という並びが世界のあちこちで別々に成り立っていたのは知らなかった。 まとめ 分かっているのは、血のつながった女性たちがまとまって葬られ、男性同士にはほとんど血縁がなかったという埋葬の形と、共同体の多くが一人の女性の系統にさかのぼれるという遺伝の傾向まで。そこから「夫のほうが妻の一族へ移り住んだ」という母方居住が導かれ、土地の相続まで含めた話には、ほかの似た社会からの推定が混ざっています。海外のコメント欄でも、その線引きをめぐる指摘と、ミトコンドリアDNAの雑学と、世界各地に残る里帰りの習わしの話が同時に走っていて、二千年前の墓地の話が思いのほか身近なほうへ転がっていくのが印象的でした。 元ソース: 約2000年前の英国の墓地から出たDNAで、あるケルト系部族が母方居住だったと分かった話 The post 「男たちのあいだには血のつながりがなかった」2000年前の英国の墓地のDNAが示した、夫が妻の一族へ移り住む暮らし appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…