
1: 匿名 2025/12/30(火) 15:29:57 ID:LaIxSHt69 平成6(1994)年の外交文書が公開され、当時の首相を務めた細川護煕氏が産経新聞の単独インタビューに応じた。 細川氏は同年2月の訪米で、第1次北朝鮮核危機を巡り、米側から「コンティンジェンシー(不測の事態)」を考える必要があると伝えられたことについて、「信じがたいことだった」と心境を語った。 現在の日中関係については「『けしからん』と言うだけでは崩れてしまう」と述べた。 詳報は次の通り。 --外交文書では2月のクリントン大統領(当時、以下同)との首脳会談で、米側から第1次北朝鮮核危機に関する説明を受けている 「クリントン氏に同席したクリストファー国務長官から『コンティンジェンシー』を考えておく必要があるとの説明を受けた。 危機的な話だし、心構えが必要だと感じた」 --細川氏が当時書いた日記がもとになった著書の「内訟録」(日本経済新聞出版社)では、帰国後に米情報機関筋の情報として北朝鮮では戦争準備キャンペーンが進行中との記述がある 「この頃は北朝鮮に関するいろんな情報が内外から集まっていた時期だった。 まったく信じがたいことだったし、日本がこんなにのんきなことで大丈夫なのかと思った。 私の帰国後、石原信雄官房副長官は米側が海上封鎖をやった場合など北朝鮮の問題にどこまでできるのかを検討してほしいと関係省庁に指示している」 --帰国後には内閣改造も検討した 「訪米時に米議会関係者から日本の政権への懸念も示された。 連立を組む社会党(現社民党)などが北朝鮮との関係を指摘されていたことが念頭にあったんだと思う。 有事への対応に反対の挙手をされても困る。 社会党は6人の閣僚を出していたが、何かにつけて『もう全員辞める』などと脅されていた。 野党の自民党から責められるよりよほど大変だった」 --武村正義官房長官(新党さきがけ)も北朝鮮とのつながりを指摘されていた 「(新生党代表幹事の)小沢一郎氏などは武村氏の更迭を主張していた。 武村氏は北朝鮮との関係があったのだろう」 --クリントン氏との首脳会談では米側が求める輸入の数値目標を細川氏が「管理貿易につながる」と拒否している 「私は『合意できることは合意するし、合意できないことは合意できないということを率直に認める、成熟した大人関係になっていく必要がある』と伝えた。 お互い言いたいことをきちんという方が今後の日米関係のためになると考えた」 --安全保障などへの影響は考えなかったか 「考えなかった。 基本的なことは揺らがないということは私もクリントン氏もお互い確信があった」 --3月の日中首脳会談の外交文書も公開された。 細川氏は現在の日中関係はどう見ているのか 「それは大変だと思う。 だが、あれだけの大国だ。 経済的な関係を含めて円満に付き合っていくしかしようがない。 私はこのときの会談で中国が嫌がる人権問題の話をしたが、人権問題は普遍的な問題であり、各国が努力をしていかなければならないという言い方で、直接的な批判は避けた。 外交関係は『けしからん』と言うだけでは崩れてしまう。 相手が嫌がることをうまく伝えることが重要だ」(永原慎吾) [産経新聞] 2025/12/28(日) 15:16 日中「『けしからん』だけでは崩れる」 細川元首相インタビュー 円満な関係の重要性強調(産経新聞) - Yahoo!ニュース平成6(1994)年の外交文書が公開され、当時の首相を務めた細川護煕氏が産経新聞の単独インタビューに応じた。細川氏は同年2月の訪米で、第1次北朝鮮核危機を巡り、米側から「コンティンジェンシー(不測のYahoo!ニュース…