
1: 匿名 2025/12/29(月) 07:56:15.04 ID:Srh7H22Y9 細野晴臣が振り返る大瀧詠一からの“ワクワクした電話”「探してたアルバム、新宿の店にあるよ。僕が番をしてるから…」 12/28(日) 6:12 2025年に発売された月刊文藝春秋の膨大な記事の中から、好評だった特集記事を紹介します。 さまざまな著名人が自身の「ワクワク」を掘り起こす特集「 戦後80年の懐かしいとワクワク ージシャンの細野晴臣さんが、音楽に「ワクワク」を覚えた原点や、その中で会得した音楽の楽しみ方について語ります。 ◆ 当時のヒット曲は“良い曲”。つまらない曲はヒットなかった 先日、スライ・ストーン、ブライアン・ウィルソンが亡くなりましたね。何だか20世紀が終わった感じがします。そういう中でも、僕が懐かしさとワクワクを語れるのは音楽しかないんですけれども。 僕が音楽に接し始めた幼少期から本当に1年ごとに、新しい音が流れてきました。1950年代の音楽を通じて様々な国の音に触れることができた。ラテンや映画音楽、ムード音楽、日本だけのジャンル“中間音楽”などの音で溢れていました。 音楽の中心はアメリカでしたが、現在のように情報が伝わってこない。情報を得るのはFENなどのラジオ、そして本国版「ビルボード」などの雑誌だけ。主に行くレコードショップは目黒のスミ商会、遠出して銀座の山野楽器でした。マニアックな品揃えは期待できないけど、土地に根づいたレコード屋さんは懐かしい存在になりましたね。 当時のヒット曲というのは“良い曲”で、つまらない曲はヒットしてなかった。だから、すごく価値観がシンプルな時代。ポップスは伝統に繋がっているジャンルで、その流れで一箇所、革新的なところ、仕掛けを持つとヒットしていました。僕は、そんなヒット曲を聴くことで、伝統からちょっとずつ進歩してゆく音を捉えていったんだと思います。 加えて僕ら音楽好きは“探す”という行自体も好きでしたね。20代の頃、アメリカ西海岸のサイケデリック音楽を手に入れたいと思っていると、大瀧詠一くんから電話がきた。大瀧くんが「探してたアルバム、新宿の店にあるよ。僕が番をしてるからおいで」と(笑)。これはワクワクしました。その店へ行くまでの道のりとか含めて、意中のレコードを手にするまでの過程が素敵だった。 またレコード屋さんで“餌箱”を素速く繰って盤を見つけるのも楽しかった。知らないレコードだけどジャケットで「コレ!」と決める時もあり、それこそ直感の出逢いがありました。 直感といえば、ヤマハ楽器のレコード部に行き、1曲だけ試聴してみる。そこで中学の時から大好きだったザ・ビーチ・ボーイズの新譜から1曲選んで聴き、「あ、当たった!」という時の高揚感も忘れられないな。 (※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。) 文春オンライン >>…