
1: 匿名 2025/12/20(土) 10:30:10.20 ID:U/YN6iL29 成宮寛貴、復帰した俳優業は「生きている感覚をとんでもなく得られる仕事」来年12年ぶり主演舞台 俳優の成宮寛貴(43)が、12年ぶりの主演舞台を待ちわびている。来年1月に開幕する三島由紀夫の代表作「サド侯爵夫人」は、2000年のデビュー作以来となる演出家・宮本亞門氏(67)とのタッグ。 16年に芸能界を一度引退してからの生活や、「生きている感じがする」という舞台へのこだわりに迫った。(堀北 禎仁) 成宮の澄んだ瞳には、一点の曇りもなかった。ファンだけでなく、あまたの俳優仲間や演出家をうならせてきた才能が宿る。「俳優をやるならば、絶対に舞台をどこかのタイミングでやりたいという思いがあった」と言い切った。 昨夏にプライベートで訪れた鎌倉の材木座海岸で、デビュー作に抜てきしてくれた恩人・宮本氏と運命的に再会。舞台出演をオファーされた。 「ジャズのコンサートに行ったら、たまたま目の前に亞門さんがいらした。復帰の話をしたら『今度ご飯食べにいこう』と。ここで自分を売り出した方がいいと思って『舞台に挑戦をしたい』と言った。天のおぼしめし。絶対に亞門さんと仕事したかった」 中略 02年の日本テレビ系「ごくせん」で注目されるなど、あっという間にスターダムへ駆け上がった。「すごくハングリーだった。ほとんどオーディションに落ちずにお仕事させてもらってきた。絶対に俳優という仕事で大成する、という意識が高かった」 売れっ子になっても探求心の塊だった。「映画でも壁にぶち当たる作品を定期的に選んで、自分から壊れにいっていた」。特に、やり直しがきかない舞台という表現に魅了されていった。 「舞台って転機になるんですよ。(演技の)やり方を試せる。稽古の期間に引き出しが増えていく。舞台は生のもので、何とも言えない緊張感がある。試練の場になりますよね」 成宮にとって前回の舞台は、蜷川氏演出の「太陽2068」(14年)。かつて共演した市村正親(76)が鑑賞してくれたことが忘れられない。 「市村さんが僕の楽屋に来て、泣いたんですよ。『本当に良かった』と。そんなふうに感じてくださるなんて思ってなかった。役者をやっていてよかったな、とその時思った」 30代に入って出演したドラマ「相棒」は「自分としても新しいジャンルで、挑戦しがいがあった」。名コンビとなった水谷豊(73)には「俳優として素直に目指していきたいと思う一人。尊敬できる方に出会えた」と感謝している。 16年に突如、芸能界を引退した。「心にぽっかり穴が開いていたので、自分を取り戻したかった」とインドネシア・バリ島に移住。 その後は米国やヨーロッパ数か国を巡った。オランダ・アムステルダムでは町並みや多様な人種の行き交う環境が肌に合い、ビザを取得して数年間滞在した。 現地では、絵の具を指につけて描くフィンガーペインティングに没頭していた。「自分は何かを形にしたり、表現をしたりすることが大好きなんだなと再確認した」 20年末に帰国。俳優復帰を望む声は耳に入っていた。「一度ピリオドを打っているので戻らないという頑固な気持ちがあったけど、いまだに注目してもらえるのがエールになった。『今、台本を開いたら面白いことできるんじゃないかな』と自分に期待が持てるようになった」 今年3月に配信されたABEMAオリジナルドラマ「ぬほど愛して」で8年ぶりに俳優復帰。 日本テレビ系「メシドラ」で9年ぶりにバラエティー番組に出演したことも反響を呼んだ。「慣れてないけど、力が抜けて自然体になれた。皆さんの反応が温かくて良かったし『うれしいな、よし頑張ろう』と励みになった」 再び戻ってきた俳優という職業に、何物にも代えがたい魅力を感じている。 「過去にあった良いことも悪いことも、全てを台本のセリフに込めることができるのが醍醐(だいご)味。情熱を注ぎ込んでいる時の集中力、紡ぎ上げているお芝居の瞬間…。生きている感覚をとんでもなく得られる仕事なのかな」 将来について「2、3年後は想像がつくけど、10年後や20年後は未知」という。大切にしているのは、表現者としての“余白”だ。 「ゼロから100まで自分がこうだ、ああだと全部言うのってエンターテインメントじゃない気がする。見えないものがたくさんある方がミステリアスで良くないですか?」 謎めいた部分も含めて、役者としての己を俯瞰(ふかん)している。そこには確かな「成宮の目」があった。…