1 名前:少考さん ★:2025/12/15(月) 11:03:31.21 ID:LCqkm6JW9.net ※共同通信 「外国人はもう日本を選ばなくなる」経営者たちが抱く深刻な懸念 ベトナム人実習生なしでは「成り立たない街」で見えたこと 【多文化共生企画】 | NEWSjp Published 2025/12/15 10:00:00 Updated 2025/12/12 17:49:34 田原缶詰の工場で作業するベトナム人技能実習生たち=2025年10月7日 千葉県銚子市の缶詰工場で働くホー・ティ・トゥイ・ニュンさん(38)は、毎朝8時から缶詰工場のラインに立つ。魚の頭と尾を機械で切り落とし、異物を手で取り除く。焼いた魚を網から下ろす繊細な作業もこなす。作業は工程ごとに分かれ、数時間おきに担当する工程が変わる。 「入ったばかりの頃はどの工程も戸惑いましたが、すぐに覚えました。担当がどんどん変わるけれど、全部慣れるとかえって面白いです」 ニュンさんはベトナム人技能実習生。8歳の子どもと夫を母国に残し、夏からここで働く。従業員80人のうち、同じ国からの技能実習生はニュンさんを含め16人。 缶詰工場の社長は話す。「銚子の1次産業は、外国人なしでは成り立たない。漁獲から水揚げ、卸売、加工まで、どの段階も彼らが支えている」 外国人なしで成り立たないのは銚子だけではない。ただ、経営者側には心配がある。外国人が将来、日本を選ばなくなる恐れだ。選ばれ続けるには、受け入れる側にある「意識」が必要という。それは一体何か。(共同通信=相山真依子) ▽「母国の子どもに良い教育を受けさせたい」 ▽ベテランが担う作業も、日本人と肩並べる ▽自転車を1人に1台、ヘルメットも (中略) ▽ベトナム人に選ばれる会社であること これまでに何度も危機を乗り越えてきた。実習生たちが「帰りたい」と口にしたのは、2011年の東日本大震災の時。実習生が集団帰国してしまった企業もあった中、田原社長は工場で働く実習生をこう励ました。「私も一緒にここにいるから」。すると、翌日から仕事に戻ってくれたという。社長は強調する。「同じ人間としての連帯が大切です」 実習生たちに心を配り、信頼関係を築いてきた田原社長だが、それでも不安はある。彼女らが将来、日本に来てくれなくなる恐れだ。 「日本経済が停滞する一方、ベトナムは急速に成長している。日本より時給が高い国も多い。これからも彼女たちが日本を選んでくれるかは分からない」 さらに、周囲の企業では、実習生が突然姿を消して、同胞の紹介で別の職場に移る話を聞く。より良い待遇や環境を欲するのは、日本人でもベトナム人でも変わらない。しかし、同胞からの情報を頼りに移った先の職場で、一時的な労働力として「使い捨て」のように扱われるケースも多いという。 田原社長は話す。「うちで働くと決めてくれた以上、責任を持って見守りたい。ここで働いている間は、お父さんのつもりで一人一人に目を配っています」 ▽更新して働き続ける人は3分の1 実習生は3年間の雇用期間を終えた後、母国に帰国する人もいれば、在留資格を「特定技能」に移行して工場で働き続ける人もいる。 ニュンさんは、実習期間が終わる3年後に経済的な余裕ができていれば、子どもと一緒に暮らすために帰りたいと思っている。「しっかりと面倒を見て、自分の手で育てたい。でも、その時まだ経済的に厳しければ、その後も日本に残ることになるかもしれません」 同僚のグエン・ティ・キム・トンさん(40)は今年8月に特定技能に移行し、家族への仕送りのために働いている。母国には20歳の娘と18歳の息子がおり、手取りの約半分を家族に仕送りする。 「自分はできなかった大学進学を子どもたちにはさせてあげたい」 夫の稼ぎでは大学の学費をまかなえなかったため来日。現在、上の子どもが大学で経済学を学んでいる。 30歳以上の女性にとって母国での就労が難しいことも影響し、最近では3分の1ほどが更新を選択するという。 これからも選ばれ続けるために必要なことは何か。田原社長はこう明かした。 「単なる『労働力』が来るのではなく、一人一人のライフプランと選択権を持った人たちが働きにくる。それぞれの選択を尊重したい。その中で継続を選んでくれたのであれば、これまでどおり応援したい」 ※全文はソースで。↓ 引用元:…