1: 少考さん ★ 20bMbu1K9 2025-12-07 10:54:46 ※弁護士ドットコム 2025年12月06日 08時04分 「私はまだ恵まれているほうです。でも、クルドコミュニティへの風当たりは本当に強いんです」 そう語る女性(24歳)は日本生まれで、クルド人の父とフィリピン人の母を持つ。大学院で人類学を学びながら、父が営む解体業の手伝いもしている。 SNSなどで"クルド人バッシング"を見聞きするたびに胸が痛むという。 「同胞のために、何か自分にもできないだろうか」。そんな思いを胸にAさんは動き始めている。(ライター・織田朝日) ●幼少期は「仮放免家族」だった 女性は現在、3年の在留資格を持っている。 しかし本人も2歳年上の姉も、日本生まれでありながら幼い頃はずっと"仮放免"だった。両親がビザのない状態だったためだ。 父は難民申請者だが、16年間も正規滞在を認められず、かつての十条入管で過酷な収容を経験した。母も重い病気を抱えながら仮放免で生活し、家庭は不安が絶えなかった。 「両親がそれぞれの国へ強制送還されれば、家族はバラバラになる」 その恐怖の中で、母は家族を守るために動いた。 ●5歳で"署名集め"に駆り出された 母はまず、日本人の知人に署名用紙を作ってもらい、家族で署名を集め始めた。 タウンページで病院や消防署など公共施設の番号を調べ、1件ずつファックスで依頼した。土日には反戦集会や貧困問題の集会に家族総出で出向き、来場者に署名を求める。 当時5歳の女性は「知らない人に署名をお願いするのが恥ずかしくて仕方なかった」と振り返る。小2の姉に手を引かれながら、恥ずかしさをこらえて署名を集めた。 気づけば、集まった署名は2万筆となっていた。 平日の夜も、イベントがあれば足を運んだ。主催者がマイクを渡してくれれば、父が参加者の前で訴え、署名を呼びかける。最初は震えていた父の声も、いつしか堂々と響くようになった。 東京の議員会館にも月1回のペースで通い、入管から一時旅行許可を取ってロビイングを続けた。 「2008年にビザが出たことは覚えています」 遊ぶ間もなく全力を出し尽くした家族に、ようやく届いた"正規の在留資格"。その瞬間、大きな喜びにあふれたという。 ●ビザが出ても「差別」は消えなかった ビザがあっても、彼女は日本社会で"完全な日本人"として扱われるわけではない。小学生のときには「国へ帰れ」と言われたことがある。 中学生になると、自分が何者なのかを考え込み、両親が外国人であることが恥ずかしく思えた時期もあった。 「授業参観に来てほしくないと思ったこともありました。横文字の名前も嫌で、アイデンティティに悩んでいました」 ●「人に与えたい」その思いが仕事を変えた 苦しみを超え、彼女は今、落ち着いた口調で自分の生い立ちを語る。 「ようやく、自分の環境を理解できるようになりました。でも、今は"自分探し"をしている感じです。誰かの役に立ちたい。自分の居場所をつくりたいんです」 解体業は、ネットのデマが原因で、クルドヘイトの標的になっている。しかし実際は誤解されている実態も多い。 「クルドの人たちには、言葉の壁やルールの理解不足がある。だからこそ、ちゃんと教育して、正しく働ける環境を整えたいんです」 彼女は最近、アスベスト取り扱いの資格を取得した。今後は重機の資格も取り、父の仕事を支えつつ「コミュニティを守る人材」になりたいと考えている。 「大人を支えれば、その子どもの未来も変わる。そう信じています」 ●日本人の同級生も"支援の輪"に入った 彼女と共に活動する日本人の同級生にも話を聞いた。 「ネットのデマに流されない家族で良かったと思っています。実際に見ないと何も判断できませんから。 彼女のお父さんの人柄に触れて『クルドの人たちと共生したい』と思うようになりました。 法律がわからず困っている部分をホワイトな状態に整えていきたいです」 (略) ※全文はソースで。↓…