1: 以下、名無しで筋肉速報がお送りします 09/24(土) 18:11:25.07 ID:hk/GWKxS0 BE:792074256-PLT(15000) 田中家に出入りしていた大山倍達 また、田中の周囲には空手の達人など、腕に覚えのある者が揃っていた。戦後の武道家として有名な大山倍達も、その一人だ。 大山は、戦後間もない頃に全日本空手道選手権で優勝し、後に渡米。プロレスラーやボクサーと対戦を重ねる。 帰国後は、直接打撃制の実戦空手を唱え、国際空手道連盟極真会館を設立し、国内外で多くの弟子を養成した。 その彼が、20代の頃、田中のところに出入りしていたのである。 その姿を、おぼろげに覚えているのが、田中の長男の俊太郎だ。 終戦直後、田中家は静岡県の三島に居を構えたが、そこへ、大山も姿を見せていた。 「まだ、幼稚園くらいですから。私は、小学校一年から東京なんです。 大山倍達さんが、三島の家に来たっていうのは、うろ覚えに覚えてますよ。 親父が、『空手の先生だ。お前も、少し習え』みたいなことを言ったのは、記憶にあります」 大山自身が、電源防衛隊に参加したかどうかは不明だ。ただ、田中の後輩の東大空手部に顔を出し、 稽古をつけたこともあった。 「東京を暗黒にして革命をやるつもりだ」共産党が画策していた電力供給の破壊…そのとき“右翼の黒幕”が行った豪快すぎる“武力革命への対抗手段” 世界ケンカ旅 (徳間文庫 483-1)大山 倍達徳間書店1985-03-01誰にでもできる 極真カラテ 入門編長谷川 一幸ロゼッタストーン2016-01-28…