1: 七波羅探題 ★ fVTL0hqD9 2025-11-11 07:01:40 定年が近づくと深刻さを増す中高年男性の「友達がいない」問題…東京のほうが酷いという“逆”地域格差を指摘する声も デイリー新潮2025年11月10日 2025年9月13日の朝日新聞電子版に『「友達がいない?」飲み会に誘われなくなった僕 58歳記者の苦悩』という記事が掲載された。「人生100年時代」とも言われる中、中年男性の現在、そして定年後の人生を考えさせられる内容となっている。 筆者の佐藤陽氏は朝日新聞入社34年目の58歳。定年まではあと7年で、その後に果たして地域のコミュニティで友達を作れるかを心配している。しかも、50代以降、学生時代の友人が佐藤氏を除いた形で会合を開いていることを知り、ショックを受けたというのだ。 これは、特に都会の50代以上の男性には切実な課題なのではなかろうか。定年退職した後の男性は、かつて「濡れ落ち葉」やら「わしも族」などと呼ばれ、厄介な存在として扱われていた。「濡れ落ち葉」とは、定年退職後に趣味も友人もなく妻にべったりとくっつく夫の様を表現する言葉。「わしも族」は、妻が何らかの外出をする際「わしも」とくっついて行く様を表す。 定年退職後の男性は、現役時代、あまりにも会社にすべてを捧げてしまったため、その後の人生において、コミュニケーション力に乏しく、身内や他者に依存する、というイメージで語られがちだ。その点、女性は、地域でもコミュニティを作ったり、サークルや友人関係、はたまたパートなどもあり、楽しく忙しい人生を送っているという対比で語られることも多い。 朝日新聞の佐藤氏は、こうした状況がいずれ自分にも到来するのではないか、と危惧し、同じ境遇になるかもしれない同世代の男性諸氏に向けて、この原稿を書いたのだろう。それは、50歳を過ぎた男性は長過ぎる人生の後半で、寂寥感を抱かず、「自分は社会・コミュニティから必要とされているし、嫌われていない」と自他ともに認める65歳以上になる準備を一緒にしましょう! という決意の表れであり、同じ境遇の読者への呼びかけでもあるのだろう。 現在私は52歳だが、佐藤氏の気持ちには共感しかない。というのも、私が新卒で入った会社の同期は、これから役員になる者はいるだろうが、それ以外の多くは「窓際族」的になる可能性が高い。いや、既になっている者もいるはずだ。男の場合、コレが実にキツいのだ。若手が忙しく働いているのを横目で見て、自分は「情報収集だから」とネットサーフィンをしたり、新聞を読んだりしている。会議にお呼びはかからず、出先を示すホワイトボードは自分だけ行き先が書かれていない。 実に由々しき事態なのだが、もはや現在の職場よりも良い条件への転職も困難だし、このままなんとか波風立てず定年を迎え、給料の大幅減を受け入れて再雇用で65歳まで乗り切ろう――。こう考えてしまうのである。 だが、見事に65歳まで乗り切ったとしても、次に対峙しなければならないのが、「友達問題」に他ならない。何しろ友達がいないのだ! 学生時代の友人にしても、もはや40年以上前の人間関係である。そうなるといかにして新たに友達を作ればいいのか。 都会に住んでいる私の知人の高齢者は、囲碁ができる場所に通うようになった。とにかく暇を持て余した高齢男性がその囲碁クラブ的な場所に集い、昼から夕方までひたすら囲碁をするのだ。あとは、麻雀も暇つぶしには丁度良いと同氏は言っていた。 とはいっても、65歳を過ぎた人間が「真の友人」を作るのはかなり難しい。結局その場で会う人々とは飲み会などに発展することはないだろう。 そんな時に、実は強かったのが「地方民」である。私自身は2020年11月まで東京に住んでいたが、そこでは上に挙げたような、寂しい高齢男性の姿ばかり見ていた。だが、佐賀県唐津市に引っ越しをすると、「地方コミュニティ」の底力を見せつけられることになった。 農村だと「村の寄り合い」というものがある。農作業を互いに手伝い、助け合うために必要な会合だ。さらに、唐津市内の中心部各所でも祭りが存在する。もっとも有名なのは「唐津くんち」だが、ほかにも「相知くんち」や「浜崎祇園」がある。年に1回のこれらお祭りに、地元の人々は時間と手間をかけ、同じ町に住む人々との交流を深めるのだ。同世代だけでなく、子どもから高齢者まで皆一体となる。 また、彼らは地元愛が強いため、「これまで一回も地元から出たことがない」なんて人もかなりいる。そういった人々は地元で出会った相手と結婚をし、両家の親に息子・娘の面倒を見てもらったり、部活の送り迎えを頼んだりもする。子供が同じ野球チームに所属している親同士は、子供のチームが試合に勝てば打ち上げをし、負ければ残念会をする。 ※以下出典先で…