1: 少考さん ★ Qp79T1Tl9 2025-08-24 21:32:02 日刊SPA! 投稿日:2025年08月24日 15:53 ―[貧困東大生・布施川天馬]― 2025年8月15日、調味料メーカーのミツカンがネット上で炎上しました。 X(旧Twitter)にて投稿されたポストには、同社の「冷やし中華のつゆ」を具なしの中華めんにかけた画像と共に「冷やし中華なんてこれだけでも充分美味しいです」との文言が。これに対して一部ユーザーから批判が集まったのです。 結果として、ミツカン側は謝罪文を発表することとなりましたが、さらにこの謝罪に対しても新たな批判が集まっており、もはや収拾がつかない事態に。 なぜミツカンが謝罪する事態に陥ったのか そもそも今回の炎上は、「そうめんをゆでるのは重労働か」から始まりましたが、さらに前提として料理を作ってもらう側が言う「そうめんでいいよ」に対する意識格差がありました。 これは「○○“で”いいよ」という作る側の苦労や労力を全く考えず、妥協してやった感を一方的に醸し出す注文者の無神経さに対する怒りだったのに、何を取り違えたのか「そうめん調理は簡単か否か」が本流になってしまった。 そこから、家庭内における家事負担の大きさや、その分担の難しさ、ともすれば不公平さに対する不満が口々に叫ばれたかと思えば、「そうめんだけでは成り立たない。付け合わせまで作るから大変だ」「付け合わせなんて無くたっていい」と話題は際限なく広がっていきました。 そこで投下されたのがミツカンの「冷やし中華はこれだけでいい」。これに、付け合わせや具までこだわりたい人たちが「作り手の苦労をバカにしている」と反論し、炎上につながったのです。 当初の議論から明らかに離れたところに流れ着いている。見るべきところがズレているので、議論にすらなっていません。 おそらく、これに参加したユーザーたちは、ただ日常の不平不満を愚痴に変えて何かに怒りたいだけで、特に議論を深めたいわけではないのでしょう。 ただ、それは子どもの手本たる大人の姿ではないでしょう。この議論に加担した人々は、おそらく大多数が成人済み。 大人たちがこの体たらくなのに、子どもたちに「口喧嘩ではなく議論をしなさい」とか「相手を尊重した話し合いが大事」とか伝えたとして、受け入れてもらえるでしょうか? 今回のずれの原因は「日本語文法の知識・運用力不足」と「文脈の判断ミス」にあります。今回の騒動を例にして、国語を学びなおします。 助詞ひとつで大分印象が変わる まず、ネット上に流れる男女論争の話題のひとつに「○○“で”いいよ」の「妥協してやってる感」へのヘイトがあります。 「○○“で”」と「○○“が”」では、大分印象が違います。「で」のほうは、許可や許容を表わす際に用いられる一方で、「が」は希望を表わす際に用いられるからです。 例えば、「いつ遊びに行こうか?」に対して、「明日でいいよ」と「明日がいいよ」の2パターンで返答した場合を考えましょう。 前者の場合だと、「明日」以外にも様々な候補が浮かんでいる中で、『「明日」“でも”よい』と許可を与えていることになります。様々な候補が対等な条件で浮かんでおり、無作為にそれらのうちから一つを選び取った様子に近いかもしれません。 ですが、「明日がいいよ」だと、様々な候補があるか否かに関わらず、唯一の答えとして「明日」を希望しているニュアンスが伝わります。 相手の問いに対して、主体性をもった答えとして映るのではないでしょうか。 つまり、「○○”で”いいよ」論争の根源は、返答に主体性が見られず、「なんでもいい」と丸投げするに近しい印象を相手に与えるためだと考えられます。そこに様々な外的要因が加わり、今回の騒動に発展したのでしょう。 助詞ひとつをとっても、語順ひとつをとっても、相手に与える印象が異なる場合があることを認識することが重要。 やはり日本語文法の基礎ですが、助詞の種類とそれぞれの働きについて整理しなおすだけで、こういった事故はだいぶ減るように感じます。 次のページ 国語能力の欠如が騒動を大きくしていった (略) ※全文はソースで。↓…