1: 2025/08/06(水) 03:41:28.31 ID:HSGUX2ri9 被爆80年を迎え、記憶の継承が課題となる中、VR(仮想現実)やAI(人工知能)といった最新のデジタル技術を活用して被爆体験を伝えようとする試みが始まっている。 ◇「若者に記憶の継承を」 NHK広島放送局は今年、広島原爆で被爆し、2020年に88歳で亡くなった児玉光雄さんの体験をVRで映像化した。「『リアル』『再現』という言葉は使わない」。制作担当者は完成した映像をそう説明する。 ゴーグルとイヤホンを着けると辺り一面、灰色の世界が広がっていた。至るところから、「助けてくれぇ」といううめき声が聞こえ、倒壊した建物に猛火が迫る。完成したVR映像の体験会が5月、広島市内であった。 爆心地から約850メートルの旧制広島一中(現広島県立広島国泰寺高)の校舎内で被爆した児玉さん。屋外へはい出て、下敷きになった同級生を助けようとがれきを持ち上げると、砂ぼこりが舞い上がる。まもなく一帯は炎に包まれた。 「かあさん!」「熱い」。悲痛な叫び声が響く。その場を離れようとすると、背後から生徒たちが死を覚悟したかのように歌う君が代が聞こえてきた。終了後、参加者の多くがあまりの衝撃に、しばらく立ち上がれなかった。 VR体験会には、3日間で延べ125人が参加した。広島県呉市の清水里美さん(84)は爆心地近くで被爆した夫の体験を聞いてきたが、「当事者ではないから分からない」ともどかしさを感じていたという。体験会終了後は涙が止まらなかった。「まるで主人の体験と重なるようでした。実際はもっとひどかったのでしょう」と話した。 「(被爆者の)証言を聞いたことがない若い世代に伝わるものにしたい」。VRを活用して児玉さんの被爆体験を映像化したNHK広島放送局の担当者は、メールのインタビューで制作の狙いを説明した。 児玉さんは当時、同級生約150人と校舎内にいた。多くが犠牲になり戦後、復学できたのはわずか19人だったという。 がんで20回以上の手術を受けながらも晩年になって被爆証言を始め、亡くなる直前まで自らの言葉で体験を伝えようとしていた。妻の淑子さん(87)は「なぜ自分が生き残ったのかをずっと考えていた。体験を伝える難しさを感じていたようだった」と振り返った。【安徳祐】 8/4(月) 6:00配信 毎日新聞 児玉光雄さんの被爆体験を映像化したVR体験会の参加者たち=広島市中区で2025年5月3日午後3時12分、安徳祐撮影 2025/08/04(月) 15:51:34.33…