1: ぐれ ★ 0U8ZtLzl9 2025-08-10 08:08:36 ※2025/8/9 13:00 産経新聞 12日に発生から40年となる日本航空機123便墜落事故の原因について、自衛隊の関与の可能性を主張している元日航客室乗務員でノンフィクション作家、青山透子氏が産経新聞の取材に応じた。青山氏には事故を題材にした著書が複数ある。産経ニュースが5月1日に青山氏の主張に反論する自衛隊OBらによるシンポジウムなどを報じた際、青山氏は後日取材に応じる意向を示していた。 《青山氏の著書は、123便が相模湾(神奈川県沖)上空中、垂直尾翼がミサイルによって誤射された可能性を指摘する。当時、同湾で護衛艦「まつゆき」がミサイルの実験中だったとして関与を示唆する》 ──まつゆきが墜落に関与したのか 「分からない。あくまでも仮説の一つだ」「乗客が機内から外を撮影した風景写真に丸い点のようなものが写り込んでいた。分析すれば、オレンジ色の飛翔体であることが判明した。ミサイルか標的機か、糸の切れたタコみたいにぶつかったのではないか。墜落直前に子供たちが『赤い飛行物体』を見たと証言している」 ──まつゆきは事故当時、石川島播磨重工業(現IHI)の所有船舶で、民間人も乗り込んでいたが 「(民間人も含めて)口封じは生半可なものではなかったようだ」 ◇ 《著書は123便が異変を生じた直後、F4戦闘機2機が即座に追尾し、午後6時56分の墜落を確認したとする。自衛隊の公式発表では、2機のF4が茨城県の航空自衛隊百里基地から飛び立った時間は123便の墜落直後だ》 ──墜落直前にF4が追尾したという公式記録はない 「記録と目撃証言は別だ。私が発掘した昭和60年10月号の『上毛警友』(群馬県警本部発行)には、陸上自衛隊第12偵察隊(群馬県榛東村・相馬原)の一等陸曹、M・K氏の手記として『午後6時40分頃、実家(吾妻郡東村₌現・東吾妻町)の上空を航空自衛隊のファントム(₌F4)2機が低空飛行していった』と記されている。遺族の情報開示裁判でも証拠採用された」 続きは↓…