共同体は壊れたのに、他人の目だけが残った。昔の人間を縛っていたものは、家、村、学校、会社、世間だった。そこには窮屈さがあった。だが同時に、「自分はどこに属しているのか」という感覚もあった。今は違う。共同体は弱まり、個人の時代になった。どこで働くか、誰と関わるか、何を信じるか。以前よりずっと自由に選べるようになった。それなのに、現代人は他人の目から逃げられない。投稿する前に、誰にどう見られるかを考える。怒る前に、どちら側の人間に見えるかを考える。楽しかった出来事でさえ、どう見せれば伝わるかを考える。SNSの中で私たちは、何度も“他人用の自分”を作っている。昔は共同体に縛られていた。今は関係性に閉じ込められている。誰に嫌われないか。どの空気に乗るべきか。どの立場でいれば安全か。誰の機嫌を損ねないか。そう考え続けるうちに、人は少しずつ「自分はどうしたいのか」を見失っていく。これは単なるSNS疲れではない。太宰治『人間失格』、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』、サルトル『嘔吐』、そして「他人は地獄だ」という言葉までつながる、古くて新しい問題である。現代人はなぜ、自分の実存を失ってしまうのか。…