
1: 征夷大将軍 ★ 2026/05/28(木) 18:16:12 ID:IMzyL5+q9 「マキちゃんには言わないで」故・ジャッキー佐藤(享年41)がマキ上田にがん闘病を“隠し続けた”真実…ビューティ・ペア解散から47年、伝説レスラーの現在 「マキちゃんには言わないで」故・ジャッキー佐藤(享年41)がマキ上田にがん闘病を“隠し続けた”真実…ビューティ・ペア解散から47年、伝説レスラーの現在(伊藤雅奈子)1998年9月、その電話をかけたのは、マキ上田さんのほうからだった。地元の鳥取県内で経営していたスナックの開店10周年を祝して、ビューティ・ペアを復活させるためだった。その翌1999年8月9日、ジャッキー佐藤さんは41歳の若さで壮絶氏した。胃Number Web - ナンバー Number web2026/05/28 11:02 1998年9月、その電話をかけたのは、マキ上田さんのほうからだった。 地元の鳥取県内で経営していたスナックの開店10周年を祝して、ビューティ・ペアを復活させるためだった。 その翌1999年8月9日、ジャッキー佐藤さんは41歳の若さで壮絶氏した。 胃がんだった。 ここでは、ジャッキーさんとの最期、さらに40代後半で選んだ“フランス婚”の生き方について迫った。 ビューティ・ペア、最後の生歌唱 マキ 私のほうから、「お店の10周年記念でビューティの歌を歌いたいんだけど、来てくれる?」って連絡したら、「いいよ」っていう返事でね。 ――おふたりは1979年のビューティ解散後も、テレビ番組の企画で何度か共演していますが、プライベートで会うのは珍しくないですか? マキ あれが、初めてでしたね。 そのときはもう彼女もプロレスをやってなくて、自分で考案した体操で教室を開いているっていうことで、会ったときはひと回り小さくなったというか、締まったなぁっていう印象でしたね。 病気になったなんて知らないから、体操のおかげで華奢になったのかなって思ってました。 ――スナックで、お客さんの前で「かけめぐる青春」をふたりで歌ったんですか? マキ そうです。 いま思えば、ビデオでも撮っときゃよかったなって思いますけど。 ――結果的に、それが最後の生歌唱となりましたからね。 マキ そうなりますか。 その日は彼女は近くのホテルを取ってて、翌日は温泉とかを楽しんで帰ったみたいです。 私は、空港まで送りに行きましたけど。 ――その翌月に、ジャッキーさんはがん告知を受けたんですよ。 私事で恐縮ですが、宣告されて退院したわずか数日後に、神奈川県川崎市内で「週刊ファイト」の取材を受けてくださって。 それが、ジャッキーさんが受けた最期のインタビューとなりました。 11月29日に横浜アリーナで開催された全女創立30周年記念大会の殿堂入りセレモニーでは、マキさんの横にジャッキーさんが立ちましたね。 マキ あの日は、懐かしいメンバーがそろいましたね。 そんななかでもやっぱり彼女は、昔からキャッキャするタイプではないので、みんなが「久しぶりっ!」とはしゃいでても、その輪の中にはいなかった気がする。 私は池下(ユミ)なんかと、「いまどうしてんの?」って言ってたけど、彼女は影が薄かったですね。 ――ジャッキーさんはあの日、途中でお帰りになられて。 マキ うん。 たぶんそうだったと思います。 会ったのは、あの日が最後になりました。 「マキちゃんには言わないで」 ――翌年に亡くなったことは、どうやって知りましたか。 マキ ナンシー(久美)からの電話で知りました。 聞いた瞬間? 頭が真っ白ですよね。 なにも考えられず、嘘でしょ、去年会ったばかりじゃん……と。 ――前年から入退院を繰り返していたことも知らなかったんですね。 マキ そうです。 なんで言ってくれなかったんだろうと、そういう気持ちになりましたね。 ――ナンシーさんは知っていたのに……。 マキ まぁ、ふたりは同じ横浜出身だし、ジャパン(女子プロレス)のときは一緒にやってた後輩でもあったから、(入院中は)お世話してた時期もあったようで。 ――ナンシーさんはジャッキーさんから、「入院していることをマキちゃんには言わないで」と口止めされていたそうですね。 マキ 私も、そう聞きました。 ――なぜだと想像しますか? マキ 私がいちばんのライバルだったからじゃないですか、プロレス面で。 私のことを、自分をいちばん認めてくれた戦友として見てたんじゃないかって思うんですよ。 彼女がやることに文句や悪口を言ったことはないし、そういう意味で、認めてくれたのは私だけだったんじゃないですか。 「籍は入っていないんです」浅草での晩婚夫婦生活 ――なるほど。 さて、話題をガラリと変えますが、マキさんはいまはなにをしているのかを教えてください。 48歳前後でご主人と出会われて。 マキ はい。 知り合いが浅草でスナックを出すとなったときに、私も鳥取でやってましたから、「東京に帰ってきたときは手伝ってあげるよ」と気楽な感じで言ってて、実際にオープンしたてのときに手伝ったことがはじまりですね。 彼はずっとここ(東京・浅草住まい)で、プロレスや相撲が好きで、私がこの土地にやって来たというのを噂で聞いて、友達と店に飲みにきて、通ってくれたんですね。 ※以下引用先で…