
転載元: ニーニーφ ★ 2026/11/08(日) 11:10:03.49 ID:4+kNpmJL9 工藤公康新監督体制となった中日ドラゴンズ。その打撃コーチに就任したのが、高校時代の後輩にあたる山崎武司氏だ。 秋季キャンプを前にしたタイミングで本人に聞いた。〈NumberWebインタビュー/敬称略〉 状況を理解するまでには時間を要した。10月7日、電話が鳴った。スマホの画面に表示された名前を確認すると、自然と背筋が伸びる。名門校の上下関係は年齢を重ねても変わらない。山崎武司は、工藤公康からの電話に出た。 「近況を話して、工藤さんから『どうなの? 』と尋ねられました。最初はコーチを打診されているとは思いませんでした」 中日の新監督に決まった工藤は、最重要事項の1つとなる組閣に着手していた。そこで声をかけたのが、愛工大名電の5学年後輩にあたる山崎だった。 山崎はセ・パ両リーグで最多本塁打のタイトルを獲得するなど、歴代20位の通算403本塁打を記録した。球界を代表する打者でありながら、現役を引退して13年間、年間を通じて正式に監督やコーチを務めた経験はない。その理由は本人が一番分かっている。 「自分みたいなタイプの人間は使いづらい。自分が監督の立場だったら、山崎武司をコーチには絶対呼びませんよ。扱いにくいですから」 山崎は現役時代、グラウンド外でも話題を振りまいた。首脳陣と度々衝突し、報道陣の前でも不満や怒りをあらわにすることもあった。実績は申し分なくても、指導者の適性はないと自己分析していた。だからこそ、工藤からの「どうなの?」という遠回しな言葉では真意を理解できなかったのだ。 「工藤さんらしい言い方ですよね。高校の後輩に対して『頼む、コーチをやってくれ』とお願いしづらい部分があると思います。お話をする中で、『一緒にユニホームを着てほしい』と言われ、その後の電話で最終的に『頑張ります』と伝えました」 プロの世界で投手としても監督としても結果を残した工藤からの誘いは光栄だった。しかも、高校時代からの“絶対的な上下関係”もある。断る理由はないように見える。だが、山崎は決断するまでに1週間かかった。最初の電話では、工藤に感謝しながらも「考えさせてください」と回答したという。 山崎はその経緯をこう振り返る。 「家族の問題で、世間に迷惑をかけてしまいました。このタイミングでコーチを引き受けて良いのか。それはないだろうと。クリアすべきハードルは高いと思っていました。自分一人で決められることではなかったので、即答できませんでした」 山崎が理由に挙げた家族の問題とは長男の事件。山崎も活動を一時自粛した。関係各所に頭を下げ、この時点では再びユニホームを着て現場に戻る可能性は限りなくゼロに近いと覚悟していた。 記事の全文はソースをご覧ください…