氷川が池田氏に初めて声をかけられたのは2006年、本部幹部会に参加した時のことだ。 「まさか声をかけてくださるとは思わなかったんですね。そしたら“氷川君”って言われて。“よく来たね”“いつも見てるよ”“やだねったらやだね、良いね。くちずさんでいるよ。頑張るんだよ”(と言われた)」 そして池田氏は居並ぶ幹部会員の前で、こう宣言したという。 「1000万人の学会員で応援しようじゃないか!」 その時、氷川は決意した。 「一生どんなことがあっても池田先生と共に生きていこう」 そもそも氷川が歌手になろうと思ったのは高校2年生の時、福岡ドームであった学会のイベント「アジア青年平和音楽祭」に参加し、池田名誉会長の前で「歓喜の歌」を合唱したことがきっかけだった。 その縁があるため、氷川は「自分の使命は広宣流布」と断言。 そして客席に向かって、こうメッセージを送った。 「これからも広布のために、広布のお役に立てるように歌い続けていきたいなと思っています。それが自分の使命だと確信しています」 最後には客席の前で、池田氏作詞の学会歌「母」をアカペラで熱唱。思わぬ展開に会場では、感極まって涙ぐむ人もいた。 ※詳しくは下記リンクより 関連記事 【悲報】氷川きよしさん、よくわからなくなる 【限界突破】氷川きよしさん、こういう事だった。 【緊急悲報】氷川きよしの所属事務所、本性を現す 【画像】母親「氷川きよし前みたいに戻るといいね」 女さん(え…) 【悲報】Kiinaさん「氷川きよし業とはこれでお別れです」…