1831年、スウェーデン海軍は湖に浮かぶ小さな島に、およそ30万本のオークを植えた。目的は将来の軍艦の材料である。木がようやく伐り時の太さに育ったのは、それから144年後の1975年。「ご用意ができました」という連絡を受けた海軍は、丁重にお断りした。そのころ軍艦は、とっくに鋼鉄で作られていた。 ※注:オーク=ヨーロッパナラ。日本の樫(カシ)と同じ「ナラ・カシ類」の仲間だが、冬に葉を落とす落葉樹で、木材としては硬く、粘りがあり、水に濡れても腐りにくい。ウイスキーの樽材やフローリングでおなじみの、あの木である。帆船時代のヨーロッパでは、船体を組む材としてこれに勝るものがなかった。 今日の知ってた? 🌳 1831年、スウェーデン海軍は将来の軍艦用木材を確保するため、ヴェッテルン湖に浮かぶヴィシングソー島に約30万本のオークを植えた。伐採適期を迎えた1975年、海軍のトップに「最初の木が使えるようになりました」と通知が届いたが、軍艦はすでに鋼鉄製になっており、海軍は受け取りを断った。行き場を失ったその森は今も島に残り、およそ360ヘクタール——東京ドーム77個分ほどの面積を覆っている。異様に背が高く、まっすぐな幹が並ぶ森として、今では島の観光名所になっている。 背景:スウェーデンは、戦争で「森」を失っていた なぜ海軍がわざわざ木を植えなければならなかったのか。話は、木が足りなくなったからではない。木のある土地を、まるごと失ったからである。 ナポレオン戦争の後始末として、スウェーデンは1814年に「スウェーデン領ポンメルン」を手放した。現在の北ドイツ、バルト海に面した一帯である。ここには良質なオークの森があり、スウェーデン海軍の艦船を組む材の多くはそこから運ばれてきていた。領土が消えれば、供給源も消える。強大な艦隊を持つ国が、その艦隊を作るための材料を持たない国になった。 では本土で調達すればいい、とはいかなかった。スウェーデンでは16世紀のグスタフ・ヴァーサ王の時代から、国内に生えているオークは誰の土地にあろうと王家のものと定められていた。自分の畑にオークが生えても伐ることは許されず、その周りは耕せない。農民にとってオークは、勝手に居座って土地を食う厄介者でしかなかった。結果として何が起きたかというと、芽が出た端から抜かれ、焼かれた。監視の目の届かないところで少しずつ数を減らし、19世紀に入るころ、スウェーデンのオークは国内でほとんど姿を消していたとされる。 皮肉なことに、この「オークは王のもの」という規制が緩められたのは1830年前後である。農民を縛る理由がなくなったので手放した、とも言えるし、縛ったところでもう残っていなかった、とも言える。いずれにせよ海軍が出した結論は単純だった。他人の土地をあてにするのはやめて、自分たちの島に、自分たちで植える。 もう少し詳しく 選ばれたのは、湖に浮かぶ細長い島だった。ヴィシングソー島は、スウェーデン第2の湖ヴェッテルン湖に浮かぶ最大の島で、長さ約14キロ、幅は広いところでも3キロほど。面積はおよそ25平方キロで、広島の宮島(厳島)よりわずかに小さい。歩いて一周できる大きさの島に、30万本を詰め込んだことになる。密に植えられたおかげで木々は横に枝を張れず、光を求めてひたすら上へ伸びた。船の竜骨や肋材に使うには、太くまっすぐな幹が要る。今この森が「異様にまっすぐ」なのは、造船用に設計された育て方の結果である。 技術のほうは、木を待たずに先へ行った。植え付けが始まったのは1831年。それから30年も経たない1859年から60年にかけて、フランスの装甲艦グロワールとイギリスの装甲艦ウォーリアが相次いで進水し、木の船体に鉄板を張る時代が始まる。やがて船体そのものが鉄になり、鋼になった。つまりこの計画は、苗木がまだ人の背丈ほどのころにはもう用済みになっていた。それでも木は伐られなかった。育ちきるまで手を出せない決まりになっていたからでもあり、単純に、誰も止めなかったからでもある。木は誰にも相談せず、あと110年伸び続けた。 1975年、通知は事務的に届いた。森を管理していた側からすれば、これは職務の遂行である。150年近く前に「軍艦用」として登録された木が伐期に達したのだから、注文主に連絡するのが筋だ。海軍側の返事は記録に残るような劇的なものではなく、要するに「不要である」だった。その瞬間、この森は世界でいちばん気の長い納品ミスになった。ちなみに同じことは隣国デンマークでも起きている。イギリスに艦隊を丸ごと奪われた後、デンマークも国中のオークを王家の所有として登録し、大量に植えた。海軍はそれを忘れ、林務当局は忘れなかった。数十年後、律儀な連絡が海軍に届いたという。 森のほうは、まったく無駄になっていない。現在この森を管理しているのはスウェーデンの国有林会社で、育った木は計画的に伐り出され、フローリング材、家具用の突き板、そしてウイスキーやワインの樽材として使われている。緻密で節の少ない大径のオークは、今の市場ではむしろ手に入りにくい高級材である。用途を間違えたのではなく、用途のほうが勝手に変わっただけだった、という見方もできる。島には毎年多くの人が渡ってきて、この森を歩く。軍艦のために植えられ、軍艦にならなかった森を見に来るために。 「木は待ってくれない」という悩みは、日本にもある。伊勢神宮では20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が続いており、一度の造替に必要なヒノキは1万本規模になる。かつては木曽の山から運んでいたが、大正時代の1923年、神宮は宮域林で用材を自給するための造林計画に着手した。目標達成の予定は200年後。着手した人が誰ひとり結果を見られない計画である。2013年の遷宮では、この宮域林で育った木が久しぶりに用材の一部として使われた。ようやく90年目の中間報告が出た、という段階だ。 逆に、時間がずれると何が起きるかも日本は知っている。戦後、焼けた国土と復興需要のために大量の木が伐られ、その跡地にスギとヒノキが植えられた。当時の判断としては合理的で、40年後、50年後には国産材が潤沢に採れるはずだった。ところが伐期を迎えるころには輸入材のほうが安く、山から木を出す人手も減っていた。伐られないまま太り続けたスギ林は、いま花粉の発生源としてのほうがよく知られている。木を植えた人には、100年後の値段も、100年後の技術も、100年後の花粉症も見えない。ヴィシングソー島の話が他人事に聞こえないのは、たぶんそのせいである。 海外の反応 1. 海外の名無しさん アメリカ海軍も似たようなことをやっていて、帆船USSコンスティチューションの補修用にオークの森を今も維持しているはずだ。あの船は現役の軍艦扱いのままなので、修理のたびに当時と同じ材が要る。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) インディアナ州のクレーン海軍武器基地に、木材供給用として5万エーカー——およそ200平方キロが確保されている。山手線の内側の3倍以上の面積を、200年前の設計の船1隻の補修のために抱えている計算になる。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) 海軍の基地が内陸のど真ん中にあるの、何度見ても笑ってしまう。船を1隻維持するというのがどれだけ大がかりなことか、こういうところに出るんだと思う。 4. 海外の名無しさん(>>3への返信) クレーンが内陸に作られたのは第二次大戦の開戦時で、当時の海軍弾薬庫が全部「沖から敵戦艦の主砲で届く範囲」にあると気づいたからだ。あそこは海岸から1600キロ近く離れている。届かない場所を探した結果があの立地なので、内陸なのは笑いどころではなく設計思想だった。 5. 海外の名無しさん デンマークでも同じことが起きた。イギリスに艦隊を丸ごと持っていかれたあと、国中のオークを王家の所有として登録し直して、新しい木を大量に植えたんだ。そして海軍はそれを忘れた。林務当局は忘れなかった。 6. 海外の名無しさん(>>5への返信) そのときの海軍内部の会話をぜひ聞いてみたい。「木が育ちましたので受け取りに来てください」という連絡が来て、部屋にいた全員が顔を見合わせる場面が浮かぶ。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) 当時の王様と造船職人の会話はたぶんこうだ。王「艦隊を作り直すぞ」職人「陛下、オークがもう国内に一本もありません」——それを聞いていたスウェーデン王「うちでは絶対に同じ目に遭わないようにしよう」。今回の話の出発点はだいたいこれである。 8. 海外の名無しさん(>>7への返信) デンマーク側で連絡を入れた担当者の名前まで残っているらしい。1950年代の終わりから60年代初めごろ、オークが「海軍が使える樹齢」とされる150年に達したタイミングだったそうだ。そしてその直後から、オークはデンマーク家具の代表的な材になった。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) その時代のデンマーク家具、いま中古で買うと本当に作りがいい。60年経っても天板が反らないし、脚の接ぎ目がきっちり締まったままだ。軍艦にならなかった木が居間のテーブルになっていると思うと、悪くない結末だと思う。 10. 海外の名無しさん 「老人が、自分は決して乗ることのない軍艦のための木を植えるとき、そこに文明が——」いや待て、この名言、こんな話だったか。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) おれの好きな格言を一行で台無しにするのはやめてくれ。木陰のところで止めておけばいい話だったんだ。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) まあ仕方ない。144年待った末に返ってきたのが木で鼻をくくったような返事だったわけで、名言のほうも途中で伐られて当然という気がする。 13. 海外の名無しさん さすがにスウェーデンも、1975年より前の段階で「軍艦はもう金属で作る」ということには気づいていたと思うんだが。どこかで計画を止める機会はあったんじゃないのか。 14. 海外の名無しさん(>>13への返信) いや、1975年1月1日にチェーンソーを担いだ一団が島に上陸したところで、現場の誰かが恐る恐る事実を伝えたんだ。「あの、お伝えしにくいのですが……」というやつである。 15. 海外の名無しさん(>>13への返信) 本当のところは、林務当局の誰かが人生で最高の通達を送る機会を手にして、それを逃さなかっただけだと思う。「お預かりしていた木、伐り時になりました」と144年ぶりに書ける立場になったら、あなたなら送らずにいられるか。 16. 海外の名無しさん 次の四半期より先を見て物事を決めていた時代が懐かしい。今どき「140年後に効いてきます」という企画を通せる組織が地球上にいくつ残っているだろうか。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 落ち着け、株主への説明はどうする。次の決算説明会で「投資回収は144年後を見込んでおります」と言った瞬間に株価がどうなるか想像してみてほしい。 18. 海外の名無しさん 「140年後に必要になるかもしれない」という理由で30万本植えるの、正気とは思えないし、同時にちょっと尊い。少なくとも、決めた人は自分の手柄にはできないわけだから。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) スウェーデンで林業をやっている側から言うと、それは林業では普通のことなんだ。伐ったら次の世代のために植える。そうしないと国土が土の流れる荒地になる。ただ今の主力の樹種は60年ほどで使える太さになるのに対して、オークは成長が遅い。遅いぶん硬くて強いから、船や構造材にはこれしかなかった。希少で高価だったのも同じ理由だ。 20. 海外の名無しさん スウェーデンでオークが激減した理由がえげつない。グスタフ・ヴァーサ王の時代から国内のオークは全部王家の所有物で、農民は自分の畑に生えても伐れなかった。だから芽のうちに引き抜いて焼いた。海軍が自前で育てるしかなくなったのは、要するに自業自得である。 21. 海外の名無しさん(>>20への返信) それに加えて、艦船用のオークの多くは北ドイツのスウェーデン領ポンメルンから来ていたのに、1814年にその領土を失っている。国内には残っておらず、海外の供給源も消えた。植えるしかなかったというのが実情に近い。 22. 海外の名無しさん 狙いは単なる木材確保ではなく、時間をかけて育った老齢木のオークを手に入れることだったはずだ。年輪の詰まった大径材は、今の早生の材とは強度も腐りにくさも比べものにならない。だからこそ150年待つ設計になっている。 23. 海外の名無しさん 似た話で、オックスフォードの学寮が14世紀に植えたオークが、19世紀の大広間の改修でそのまま使われたという逸話がある。細かいところは忘れたが、建てた人が最初から「500年後に一度は直すことになる」と考えていたらしい。 24. 海外の名無しさん 日本の伊勢神宮も同じ発想でやっている。20年ごとに社殿を建て替えるために、100年前に「200年計画」で自前の森を育て始めた。着手した世代は絶対に完成を見られない。この種の計画を実行できる組織には、何か共通の気質があると思う。 25. 海外の名無しさん ヴィシングソー島はいい場所だから機会があれば行ってみてほしい。歩いて一周しても1時間ほどで、グレンナという小さな町からフェリーで渡れる。この町は赤白の縞模様のハッカ飴で有名で、店先で職人が飴を引っ張って作っているのが見られる。飴を買って、軍艦にならなかった森を歩いて帰ってくる、いい一日になる。 まとめ 1831年に植えられた約30万本のオークは、144年かけてまっすぐに育ち、1975年に「使えます」と海軍へ通知され、そして断られた。ナポレオン戦争でオークの産地ごと領土を失い、国内のオークは規制のせいで農民に抜かれ尽くしていた——出発点の切実さを思うと、この計画は決して酔狂ではなかった。ただ、鉄と鋼のほうが木より速く育っただけである。森は今も島に残り、家具材や樽材として静かに使われている。 コメント欄は、アメリカ海軍が今も帆船1隻の補修用にオークの森を抱えている話、イギリスに艦隊を奪われたデンマークがまったく同じ経緯をたどった話へと広がり、「木が育ちました」という通達を送った担当者への羨望で盛り上がった。一方で、スウェーデンで働く林業関係者が「伐ったら植える、それだけのことだ」と淡々と書き込んでいたのが印象に残る。突飛な逸話として語られがちだが、当事者にとってはただの職務だったのだろう。植えた人が結果を見られない仕事を、それでも誰かが引き受け続けている。この話が二百年近く経っても面白いのは、たぶんそこである。 元ソース: 「1831年、スウェーデン海軍は将来の軍艦用木材を確保するため、ヴィシングソー島に30万本のオークを植え始めた。1975年に伐採適期を迎えたとき、軍艦はすでに鋼鉄製だったため海軍は受け取りを断った。その森は今もヴィシングソー島の一部を覆っている」(元スレッド) The post 「1831年に植えた30万本のオークが伐り時になったのは1975年」海軍が受け取りを断った森の話 appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…