あるナイトクラブの客席に、ダイアナ・ロスが何人もいた。全員、彼女の扮装をしたドラァグクイーンである。その光景を眺めていたギタリストは、そこで一曲思いついた。「I’m Coming Out」である。ところが本人に渡した瞬間、話がややこしくなる。ダイアナ・ロスはこの曲をアルバムから外そうとしたのだ。 ※注:ドラァグクイーン=華美な女装をして歌やパフォーマンスを行う芸能の担い手。主に男性が演じる。1980年前後のアメリカでは「女性の物真似(female impersonation)」という古い呼び方も広く使われていた。 今日の知ってた? 🎤 「I’m Coming Out」は、ナイル・ロジャースがクラブでダイアナ・ロスの扮装をしたドラァグクイーンたちを見て書いた曲だった。ダイアナ・ロス本人は当初、これを「モータウンのベリー・ゴーディのもとを離れて独立する」という意味の曲だと受け取っていた。後に「これは自分が同性愛者だと公表する歌に聞こえる、キャリアが終わる」と指摘され、収録の取りやめを求めたが、最終的にナイル・ロジャースが説得して曲は残った。 背景:ナイル・ロジャースとダイアナ・ロスが組んだ1980年 ナイル・ロジャースは、バンド「シック」のギタリスト兼ソングライターである。相棒のベーシスト、バーナード・エドワーズと組んで「Le Freak」「Good Times」といった曲を立て続けに当て、1970年代末のダンスフロアを事実上支配していた。 ※ シック(Chic)=ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズを中心とするアメリカのバンド。刻むようなカッティングギターと歌うベースが特徴で、ディスコ/ファンクの代表格。 一方のダイアナ・ロスは、シュープリームスのリードシンガーとして始まり、ソロでも長く第一線にいた大歌手である。ただしこの時期の彼女は、デビュー以来ずっと所属してきたモータウンとの関係を見直しつつあった。契約、権利、稼ぎの取り分——創業者ベリー・ゴーディとの間には、公私にわたる長い歴史があった。 ※ モータウン(Motown)=ベリー・ゴーディがデトロイトで創業したレコード会社。シュープリームス、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイらを世に出し、黒人音楽をアメリカの主流に押し上げた。 そのダイアナ・ロスが、新しいアルバムのプロデュースをシックの二人に任せた。1980年に出た『diana』がそれで、「Upside Down」と「I’m Coming Out」の2曲を含んでいる。 もう少し詳しく 発端はクラブの客席だった。ナイル・ロジャースがニューヨークのクラブに入ったところ、店内にダイアナ・ロスの扮装をしたドラァグクイーンが何人もいた。彼はそれを、ダイアナ・ロスがどれだけこの界隈に愛されているかの証拠として受け取った。そして「彼女がその客席に向かって歌う曲」を書いた。それが「I’m Coming Out」である。 本人はまったく別の意味で読んでいた。「I’m coming out」という英語は、字義どおりには「私は出ていく/表に出る」でしかない。ダイアナ・ロスはこれを、長く自分を育てた古巣から独立して新しい自分を見せる、という宣言だと理解した。実際その時期の彼女の状況にぴったり合う読み方でもあった。 「それ、そういう意味じゃない」と言われて凍りついた。ところがこの語には、英語圏でもう一つの確立した用法がある。「come out」=自分が同性愛者であることを公に明かす、という意味である。曲を聴いた周囲の人間から「あなたはこの歌で自分がそうだと宣言していることになる」と指摘され、彼女は動転した。ナイル・ロジャースの回想によれば、彼女は激しく怒り、涙を見せたという。 1980年に、それは笑い話では済まなかった。ストーンウォールの反乱から10年あまり。運動は前進していたが、アメリカの多くの州には同性間の行為を罰する法律がまだ残っており、公にカミングアウトした芸能人が仕事を失う例も現実にあった。「大衆に愛される国民的歌手」という立場からすれば、ダイアナ・ロスの警戒はその時代においては合理的な判断だった。彼女は曲を外すようレコード会社に求めた。 ※ ストーンウォールの反乱=1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」への警察の摘発をきっかけに起きた衝突。同性愛者の権利運動が本格化する転機とされる。 ナイル・ロジャースは引かなかった。彼は、この曲が特定の誰かの告白ではなく、もっと広い「自分を隠さずに前に出る」という宣言として機能すると主張した。ファンの間では、彼が「この曲を残せば、これから一生、あなたはコンサートの1曲目にこれを歌うことになる」と言って口説いた、という逸話が語り継がれている。結果はご存じのとおりで、この曲は彼女の代表曲であり続け、同時に性的少数者のコミュニティにとっての賛歌にもなった。 ちなみに、時代の風向きは逆だった。1979年にはシカゴの野球場でディスコのレコードを爆破する催しが開かれ、ディスコへの反発が可視化された年でもあった。ブームが終わったと言われる只中で、ディスコの中心にいた二人が作ったこの曲が長く残ったのは、少し皮肉な話でもある。 海外の反応 1. 海外の名無しさん この曲が出たとき自分はまだ子供だった。歌詞は「何かに押さえつけられていた人間が、戦う気になって前に出てくる」という意味だと思って聴いていた。今日まで一度も疑わなかった。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 自分は歌詞をちゃんと知らないまま、遊びに出かけるときのテンションを上げる曲だと思ってた。今この記事を読んで、四十何年ぶりに意味が入れ替わったところ。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) その意味なら英語としては「I’m going out」になるはずなんだよね。come と go の違いで一曲の意味が全部ひっくり返るの、あらためて考えるとすごい。 4. 海外の名無しさん 念のために書いておくと、ダイアナ・ロス本人は同性愛者ではない。公表されている限りでは交際も結婚もすべて男性が相手だ。この曲は当事者の告白ではなく、支持する側から贈られた賛歌として理解するほうが近いと思う。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) そう、そこが元の見出しのややこしいところで、「彼女がそうだと誤解されかねない」という心配だった、というのが正確な話。本人の秘密が暴かれた、みたいな筋書きではまったくない。 6. 海外の名無しさん きっかけになったのはドラァグクイーンたちなのに、ここを「物真似芸人」とだけ言い換えてしまうと、この話の温度が丸ごと失われる気がする。誰に向けて書かれた曲なのか、が抜け落ちてしまう。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) ややこしいのは、当時はドラァグそのものが「女性の物真似」という言葉で呼ばれていたことなんだよね。今なら区別して語れるけれど、1980年の言葉づかいとしてはそれが普通だった。 8. 海外の名無しさん 音楽の話をさせてほしい。あのイントロは全ポップスの中でも屈指だと思う。ホーンが鳴った瞬間に何の曲か全員わかるし、しかもあの入り方で始まるダンス曲って他にほとんどない。 9. 海外の名無しさん(>>8への返信) あのトロンボーンを吹いた人が、ディスコ調にアレンジしたスター・ウォーズのテーマを当てた人と同一人物らしい、という話をどこかで読んだ。本当だとしたら経歴が濃すぎる。 10. 海外の名無しさん 最近の曲でサックスやトロンボーンが前に出てくるものが減ったと思う。打ち込みが悪いとは言わないけれど、人が息で鳴らしている音があるだけで曲の体温が変わる気がするんだよな。 11. 海外の名無しさん(>>10への返信) 管楽器が主役の曲という話になると、どうしてもジェリー・ラファティの Baker Street が基準になってしまう。冒頭のサックスだけで曲が成立してるやつ。あれを超えるものが出てこないので、みんな挑戦をやめたのではという説を推したい。 12. 海外の名無しさん 説得のときの言葉が最高で、「これをアルバムに残せば、あなたは残りの人生ずっとこの曲でコンサートを始めることになる」と言ったらしい。営業トークにしても筋が良すぎる。 13. 海外の名無しさん(>>12への返信) そして実際そのとおりになったのがいちばん面白いところ。予言というより、この曲がそれだけの力を持っていることを書いた本人がわかっていた、という話なんだと思う。 14. 海外の名無しさん ナイル・ロジャースは、実績の大きさに対して名前の知られ方が明らかに釣り合っていない人だと思う。自分のバンドの曲だけでなく、他人の代表曲をいくつも作っていて、しかもジャンルがばらばらなのが本当にすごい。 15. 海外の名無しさん 彼は踊れるポップスの中に、クラブの現場の空気をこっそり持ち込むのがうまい。「Le Freak」の最初のサビは、大晦日に有名クラブの入口で追い返された腹いせに出てきた、およそ放送に乗せられない一言だったという有名な話もある。それをそのまま踊れる曲に化けさせている。 16. 海外の名無しさん 自分の世代だと、この曲を最初に聴いたのはノトーリアス・B.I.G.の「Mo Money Mo Problems」経由だった。あのイントロがそのまま乗っているので、長いこと「あれはヒップホップの曲」として頭に入っていた。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) そっちの文脈だと「金が入って表舞台に出ていく」という意味に聞こえるわけで、それはそれで筋が通っているのが面白い。作品は受け取った人の数だけ意味を持つ、という見本みたいな曲だと思う。 18. 海外の名無しさん 1980年という年を思うと、レコード会社があわてたのも無理はない。今の感覚で「なぜそんなことを気にするのか」と言うのは簡単だけど、当時は仕事を失うかどうかが本当にかかっていた話だった。 19. 海外の名無しさん(>>18への返信) そこは大事な補足だと思う。あの時期はまだ同性間の行為を処罰する法律が残っている州がいくつもあって、公表した芸能人が現実に仕事を失っていた。彼女の警戒は臆病さではなく、その時代の計算だった。 20. 海外の名無しさん 背景を知ってから聴き直すと、同じ曲がまったく違って聞こえるので驚いている。「隠していたものを表に出す」という一点で、独立の歌としてもカミングアウトの歌としても、どちらでも成立するように書かれているのがすごい。 21. 海外の名無しさん ダイアナ・ロス側の気持ちもわかる。自分の名前で出す作品の意味を、あとから他人に教えられる状況というのは、キャリアの長さに関係なく相当こわいと思う。最終的に歌い続けることを選んだのは立派だ。 22. 海外の名無しさん 結局、書いた本人の狙いも、本人が最初に読み違えた意味も、後の世代がサンプリングで足した意味も、全部まとめて曲の一部になってしまった。四十年以上たっても毎年どこかで鳴っているのだから、これ以上の答えはないと思う。 まとめ クラブで見た光景から生まれた一曲が、書き手の意図と歌い手の解釈のずれをはらんだまま世に出て、結果的に両方の意味を抱えたまま定着した——という話だった。コメント欄は「自分もずっと別の意味だと思っていた」という告白と、イントロのホーンを称える音楽談義、そして1980年という年の重さを補足する声に分かれた。「今聴くとまったく違って聞こえる」という感想が繰り返し出ていたのが印象的である。 元ソース: クラブでダイアナ・ロスの扮装をしたドラァグクイーンたちを見たナイル・ロジャースは「I’m Coming Out」を書いた(r/todayilearned) The post 「クラブにダイアナ・ロスが何人もいた」あの名曲が生まれた瞬間と、本人が収録を拒みかけた理由… appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…