ドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』で、町で起きる事件を次々に解き明かしていた作家役。あの主演女優が、現実の世界でも一家をまるごと危険から遠ざける決断をしていた。1970年、彼女はカリフォルニアの暮らしをたたみ、夫と十代の子ども二人を連れてアイルランドの田舎町へ移り住んでいる。そのきっかけのひとつとして語られてきたのが、当時ロサンゼルスにいたある男の名前だった。 ※注:チャールズ・マンソンは、1960年代末のカリフォルニアで若者たちの集団を率いていた人物である。1969年に女優シャロン・テートらが殺害された事件の首謀者として有罪判決を受け、そのまま獄中で生涯を終えた。集団は通称「ファミリー」と呼ばれたが、事件が起きるまで彼らの危険性が広く知られていたわけではない。ここで扱うのは、あくまでその事件より前の時期の話である。 今日の知ってた? 📏 『ジェシカおばさんの事件簿』の主演女優アンジェラ・ランズベリーは、1970年に一家でカリフォルニアからアイルランドへ移り住んだ。理由として語られてきたのは、十代の子ども二人をロサンゼルスの環境から引き離すためだったという話である。娘がチャールズ・マンソンやその周辺と接点を持ち始めていたこと、そして息子が薬物依存の治療を受けていたことが、いずれも本人の後年の証言として伝えられている。移住先はアイルランド南部コーク州の村だった。 背景:アンジェラ・ランズベリーという人 日本の読者にとっていちばん通りがいいのは、たぶん役名のほうである。ドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』で、推理作家ジェシカ・フレッチャーを12年間演じ続けた人。あるいはディズニーのアニメ映画『美女と野獣』で、ティーポットに姿を変えられたポット夫人の声を当て、主題歌を歌った人。この二役だけでも、世代をまたいで顔と声が知られている俳優ということになる。 本人は1925年にロンドンで生まれている。母親は北アイルランドのベルファスト出身の女優で、一家は第二次世界大戦の戦火を避けて1940年にアメリカへ渡った。映画デビューは1944年の『ガス燈』。小間使いの役で、10代のうちにアカデミー賞助演女優賞にノミネートされている。その後はブロードウェイの舞台でトニー賞を5度受賞し、テレビに移ってからは『ジェシカおばさんの事件簿』でエミー賞に12年連続でノミネートされながら、ついに一度も受賞しなかったことでも知られる。2022年に96歳で亡くなるまで、70年以上のキャリアが途切れることはなかった。 つまり移住の話が起きた1970年前後というのは、舞台のミュージカルで賞を取りまくっていた、キャリアのど真ん中にあたる時期である。仕事を減らしても構わないという状況ではまったくなかった。 もう少し詳しく 引っ越し先は、アイルランド南部の村だった。一家が居を構えたのはコーク州の小さな村で、ロサンゼルスからの距離を考えると、単なる転居というより生活の枠組みごと入れ替える選択に近い。母親がベルファストの出身だったこともあって、彼女にとってアイルランドはまったく縁のない土地ではなかった。後にアイルランドの市民権も得ている。それでも、仕事の中心地から大西洋を挟んだ反対側に家族を移すというのは、相当に思い切った判断である。 理由は、ひとつではなかったらしい。「娘がマンソンと関わり始めたから」という一行は確かに強烈だが、元スレッドでは早い段階から「それだけではない」という補足が並んだ。後年のインタビューで本人が語っているのは、むしろ子ども二人が同じ時期に薬物の問題を抱えていたこと、とくに息子が治療を受けていたことのほうである。娘についても、マンソンという特定の人物というより、当時のロサンゼルスのカウンターカルチャーの界隈に深く入り込んでいた、という語られ方をすることが多い。加えて、同じころにマリブの自宅が火事で失われている。いくつもの事情が短期間に重なった結果としての移住だった、と見るほうが実態に近そうだ。 時系列には、少し注意がいる。シャロン・テートらが殺害された事件が起きたのは1969年8月で、一家がアイルランドへ移ったのは翌1970年とされている。つまり「事件を予知して逃げた」という話ではない。事件より前の時点で、母親が娘の周囲にいる大人たちを危ないと感じ、距離を取らせようとしていた。そして事件が起きたことで、その判断の意味が後から重く見えるようになった——という順序になる。この点は元スレッドでも検証記事を引きながら整理されていて、娘が集団の一員だったわけではない、という但し書きも添えられていた。 その後のこと。移住のあとも彼女は仕事を続けており、1971年公開の『ベッドかざりとほうき』では魔法使いの見習いを演じている。子ども二人はいずれも依存から立ち直り、後年、息子は母親のドラマの制作現場に演出側として関わるようになった。彼女自身は仕事のたびに大西洋を往復する生活に戻っていくが、コーク州の家はその後も長く手元に残していたと伝えられている。近所の店では、しばらくのあいだ普通の常連客として扱われていたという。 海外の反応 1. 海外の名無しさん 移住の理由としては、実は息子のほうが大きかったという話も出ている。娘がマンソンと面識があったのは事実らしいが、そちらは決め手のひとつであって全部ではない。何より当時は、彼がのちにあんな事件を起こす人物だとは誰も思っていなかった。 2. 海外の名無しさん(>>1への返信) 娘のほうも、当時のロサンゼルスのカウンターカルチャーにどっぷり浸かっていたと言われている。マンソンが現れるずっと前から危なっかしい界隈に出入りしていたわけで、母親としては特定の誰かというより、あの街ごと引き離したかったんじゃないか。 3. 海外の名無しさん(>>2への返信) 本人が後年に語ったところでは、息子が治療を終えて戻ってくるのを待って、一家でロサンゼルスを発ったらしい。子どもの一人が病院にいるあいだに移住先を決めていたことになる。相当に急いでいたはずだ。 4. 海外の名無しさん 今の感覚だと「マンソンと関わっていた」と聞いた時点で全力で逃げるが、1969年より前の時点では、単に得体の知れない大人の集団でしかなかった。それでも近づけたくないと判断できたのは、母親の勘としてかなり鋭い部類だと思う。 5. 海外の名無しさん(>>4への返信) 「なんとなく嫌な感じの人物が娘の周りにいる」くらいの手がかりで国を移るのは、普通は踏み切れない。結果的にその勘が当たっていたのが、いちばん怖いところだ。 6. 海外の名無しさん 原題の『マーダー・シー・ロート(殺人事件を、彼女は書いた)』をもじって、これは『マーダー・シー・ノープ(殺人事件、彼女は遠慮した)』だな。うまいことを言ったつもりだが、中身を考えると笑っていいのか少し迷う。 7. 海外の名無しさん(>>6への返信) いや、現実のほうは事件が起きる前に手を打っているんだから、『マーダー・シー・プリベンテッド(彼女は未然に防いだ)』のほうが近いだろう。ドラマの役より仕事が早い。 8. 海外の名無しさん 余談だが、『ジェシカおばさんの事件簿』はドイツ語圏では「殺人は彼女の趣味」という題で放送されていた。行く先々で人が死ぬ主人公に対する、視聴者側の本音がそのまま題名になったようなものである。 9. 海外の名無しさん うちの母がコーク市の店で働いていたころ、彼女は常連客のひとりだった。ある日、配達の運転手が荷下ろし中に荷台から物を持っていかれたとこぼしていたら、別の客が「あそこのジェシカが解決してくれるよ、どうせ犯人はあんたの義理の兄弟だろ」と言ったそうだ。本人も笑って受け流していたらしい。 10. 海外の名無しさん(>>9への返信) 軽口を叩かれるようになったら、その土地の人として受け入れられた証拠だと思う。よそから来た有名人のままなら、店の誰もそんな冗談は言わない。それ以来、彼女のほうから仕事の話をよくしてくれるようになったという続きがまたいい。 11. 海外の名無しさん 母親がベルファストの出身で、アイルランドとの縁はもともとあった。まったく知らない国に飛び込んだわけではなく、行き先の当てがある状態での移住だったわけだ。それでも大陸をまたぐ決断であることに変わりはないけれど。 12. 海外の名無しさん(>>11への返信) 市民権のあたりは少しややこしくて、実際に手続きを済ませたのは移住した後の1970年らしい。1956年の国籍法でアイルランド人の親を持つ人に資格が生まれたが、自動的に与えられていたのかどうかで解釈が割れていた。 13. 海外の名無しさん 移住の少し前にマリブの家が火事で失われている、という話もあった。子どもの問題とは無関係の出来事だが、住む場所を一から選び直すきっかけとしては大きい。いくつかの事情がたまたま同じ時期に重なったということなんだろう。 14. 海外の名無しさん 有名で収入があれば国を移るのはそこまで難しくない、という見方もできる。実際、彼女自身はイギリス生まれで、母親も戦争を避けてアメリカに渡っただけだった。アメリカに深く根を張っていた家族というわけではない。 15. 海外の名無しさん(>>14への返信) 条件が整っていたのは確かだけど、十代の子ども二人が反対しているなかで実際に踏み切れる親がどれだけいるかという話でもある。お金があっても動かない人のほうが、たぶん多い。 16. 海外の名無しさん 当時のハリウッドとマンソンの距離は、今の感覚だと信じられないくらい近かった。ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンが、一時期マンソンと若者たちを自宅に住まわせていた話は有名だ。危険人物として扱われていたわけではなかったということだと思う。 17. 海外の名無しさん(>>16への返信) 音楽業界の人脈をたどって出入りしていたらしい。当時のカウンターカルチャーの界隈では、素性のよくわからない人物がふらっと現れて居着くこと自体が珍しくなかったという。事件のあとから振り返るから異常に見えるだけで。 18. 海外の名無しさん 『ベッドかざりとほうき』で家具を魔法で動かしていた人が、現実では家財ごと本当に海を渡っていたことになる。しかも映画の公開は移住の翌年で、順番としては引っ越しのほうが先だ。 19. 海外の名無しさん 行く先々で殺人が起きるドラマの主人公こそが真犯人だった、という定番のネタがあるけれど、現実のほうは事件が起きる前に子どもを連れて国外へ出ている。解決より予防のほうが得意な人だったらしい。 20. 海外の名無しさん その後、子ども二人はいずれも依存から立ち直っている。息子は後年、母親のドラマの制作現場に演出側として関わるようになったそうだ。あの引っ越しがなかったら、という仮定を考えたくなる話ではある。 21. 海外の名無しさん デビュー作の『ガス燈』では小間使いの役だった。そこからブロードウェイのミュージカル、『美女と野獣』のポット夫人、そして『ジェシカおばさんの事件簿』まで行き着くのだから、キャリアの幅が普通ではない。 22. 海外の名無しさん 自分が同じ立場でも、たぶん同じことを選ぶと思う。仕事も家も友人も全部その街にあるのに、子どものために手放せるかどうか。言うのは簡単だが、実際にそうした人の話として読むと重みがまるで違う。 まとめ 『ジェシカおばさんの事件簿』の主演女優が、1970年に一家でカリフォルニアからアイルランドへ移り住んだ。きっかけとして語られてきたのは娘とマンソンの接点だが、コメント欄でまず伸びたのは「理由はそれだけではない」という補足のほうだった。息子の治療、娘が出入りしていた界隈、そして火事で失われた自宅。どれか一つに絞れないところが、かえって当時の切迫感を伝えている。そして印象に残るのは、移住先のコークで彼女がしばらく普通の常連客として扱われていた、という話のほうかもしれない。国を移るという大きな決断の先にあったのは、ドラマのような続きではなく、店先で軽口を叩かれる日常だった。 元ソース: 女優アンジェラ・ランズベリーは、娘がチャールズ・マンソンと関わり始めたことをきっかけに、一家でカリフォルニアからアイルランドへ移り住んだ The post 「子どもをあの街から引き離すために、一家ごと海を渡った」『ジェシカおばさんの事件簿』の女優が1970年に選んだ道 appeared first on みんな知ってた?【海外の反応】.…